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心ある人が何時の間にこんな酷い社会に成ってしまったのだろうと嘆いていた。
もう10年も前のことである。テレビでも書籍でもそういう話を聞いた。
しかしそれから10年、何の改善も無く、さらに酷い社会に成ってしまった。
ほとんどの人が何でこうなったのか分からず、なすすべも無い。
資本主義市場経済とは利潤追求の社会です。利潤追求のためほとんどの人は動いている。
しかし利潤追求にも原則的なルールがある。社会に富を生産し、その値として富を得るということです。
この原則が無くなってしまったら、経済社会には倫理もモラルも無くなる。金を儲けた者が勝だというj弱肉強食、共食いの社会に成ってしまう。
経済の公正は忘れ去られ、倫理もモラルも無い社会に成る。酷い社会だと思うのは当然のことです。
経済社会に公正が無くなれば力(資本力、市場支配力、政治力、情報力)により富の配分が決められることになる。
世界有数の高さの力(資本力、市場支配力、政治力、情報力)により決められる電力料金、電力と労働の対価である賃金の交換が公正なものでしょうか。つまり電力料金が公正なものでしょうか。
同一労働、不同一賃金、社会に同じだけの富を生産し、分配される賃金は格差がある。これが公正なことでしょうか。公正ということを少しでも考えれば、このような格差は許されることではありません。
それを放置するのは社会は公正を無視すると宣言したのも同じことです。
資産価格上昇によるマネーの増大、これは社会に何の富も生産しないマネーの印刷、偽札を刷るのと同じことです。
社会が公正で無くなれば、格差が拡大し金融カジノ市場に行くマネーが増大し、倫理もモラルも無くしたマネーはバブルゲームへと突入し、そして崩壊します。
格差の拡大は消費性向の高い低所得者の可処分所得を減らし消費を冷え込ませます。また将来不安が発生し。消費者は護りに入り消費を冷え込ませます。
かくて金融カジノ市場は沸き立ち、実体経済はデフレに喘ぐことに成ります。
しかし市場経済には不公正はつきものです。社会が市場経済以外に効率的な経済システムを知らないなら、この不公正と付き合っていくことを学ばねば成りません。
それなのに市場原理主義、市場に任せればすべて上手く行くとばかり、不公正を是認してしまったのが現在の経済です。
戦後は不公正を是正するために、ミクロ的には独占禁止法、労働法が造られました。マクロ的にはシァウプ税制、高率の累進課税、法人税などが作られました。
しかしこれらの枠組みをどんどん壊して来たのが自民党政治であり、その延長の現在の民主党政治です。
私は格差を無くせとは言いません。能力差が有る以上、格差は当然です。また格差が有るから利潤追求の市場経済が成り立つのです。
しかし格差は社会にどれだけ富を生産したかで決められることです。どれだけ富を生産したかなど、厳密に査定することなど不可能です。しかしこの原則が有るということを人々が知らなければ、無秩序な利潤追求競争に陥ります。
個人の富の生産が厳密に査定できないのなら、格差を経済が好調だった時代の格差の範囲内に抑えるという目標を作ったらどうでしょう。
これなら経済体質を何時も自律成長可能な体質にしておくことが出来ます。デフレスパイラルに陥ることは無いでしょう。
経済政策を考えるには、経済だけがグローバル化された環境だということを知らなければ成りません。
税は世界的に安売り競争に晒されています。税で格差の問題を解決するのは難しいのです。
また賃金も途上国との安売り競争に晒され、賃上げで解決するのも難しいのです。
ここでバブルでもインフレの恐れはほとんど無かったということに注目しなければ成りません。つまり偽札を大量に印刷してもインフレの恐れはなかっつたのです。
これは社会にはモノ(物、サービスなど価値の有るもの)が大量にあり、人々が十分な暮らしが出来るほどのモノが有ったということです。
現在でもその状況は変りません。20兆円とも30兆円とも言われる需給ギャップがあり(モノが余っている)公的赤字を加えたら100兆円に近いくらいだと思います。
ここでマネーを印刷する(実際には電子マネー)という方法が考えられます。
昔はインフレ税とも言われ嫌がられましたが、今はデフレ税とも言うべきものです。
マネーの価値上昇は富の生産を伴わない所得ですから、公正という原則にもあっています。
経済的にもインフレに成らないのなら、経済に悪い影響はほとんど有りません。グローバル経済という環境に耐えられる方法です。
具体的な方法としては0金利永久国債を日銀引受で発行し財源とします(もちろん法改正の必要有り)
定額給付金として国民一人当たり100万円くらい配布する。
これにより消費が増え経済が活性化します。
困窮者が激減します。
自殺が激減します。
経済犯罪が激減します。
税の自然増収が見込め財政が健全化します。
正にインフレの恐れが無い今、すべてがハッピーになる政策です。
モノが有り余る中での困窮とは、豊作の中で飢饉を起こしているのと同じことです。
どうしてこういう感覚が持てないのでしょう
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資本主義という思想で経済社会は動いている。
そしてネオりべラル、新自由主義という思想で、経済の構造を変えた。
小さな政府、自由放任の市場が効率的だと考えられた。
それを政治的に実践したのがレーガン、サッチャーであり、日本では中曽根、小泉です。
しかし自由放任の市場とは、モラル無き金儲けの世界です。一時、弱者を犠牲にして輸出で経済を回復させても、世界中が自由放任の市場を信奉し、輸出に頼るようになれば上手く行くはずが無い。
純輸出はゼロサムゲームだからです。それが今日の世界経済の姿です。
新自由主義はもはや多くの人に信用されず、現在の世界経済危機に対し、何の打つ手も無いことが証明されました
しかし米国には茶会派が存在し減税と小さな政府を標榜しています。しかしこの思想は多くの人に見放されているので世界に広まっていくことは有りません。
ウオール街を占拠せよは「拝金主義」を嫌って起きています。そしてそれは世界中の多くの人の願いであり、世界中に広まっています。
しかしそれを導く経済思想が有りません。経済思想が無ければ何をどう変えて行けば良いのか分からず、目標を見失います。
拝金主義が嫌いと言っても博愛だけでは経済は動きません。博愛では市場経済は機能しません。
拝金主義を嫌い市場経済を動かすのには、公正を基調とした経済にするしか有りません。
しかし公正を基調とした経済思想を考える経済学者が見当たりません。
相変わらず、人間性を無視した、机上の効率重視の経済学ばかりが目に付きます。
しかし人々の願いが大きくなれば、必ず公正を基調とした経済思想が出来るものだと信じています。
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