http://www.asyura2.com/11/hasan73/msg/549.html
Tweet |
*****クルーグマン教授へのインタビュー
最近、欧米を始めとした景気後退や金融不安に関して、色々な人々が解説をしたり意見を述べている。中には的外れなものがあるが、筆者が見かけたもので最も共感を覚えたのは、日経新聞(10月6日付)のポール・クルーグマン・プリンストン大学教授に対するインタビューである。
教授は欧州の金融不安連鎖を最大のリスク要因として挙げ「今後、世界は50%以上の確率で景気後退に陥るだろう」と言っている。また米国が政治的に財政出動に動けない状況にあることを認識し、現状では一層の金融緩和を求める他はないとしている。さらにギリシャのデフォルトが避けられないことを指摘し、またECB(欧州中央銀行)による今年に入ってからの利上げ(4月と7月)を「2000年の日銀によるゼロ金利解除の失敗をなぞるもの」と批判している。そして欧州金融安定基金(EFSF)について思い切った与信枠の拡大を主張している。
ただ「欧米の経済は後退しそうであるが、新興国は減速してもなお成長を続けるので、世界全体で見れば穏やか後退にとどまる」と予想している。たしかに8月初旬からの世界同時の株安の印象が強いため、世界全体の経済の先行きを人々はより悪く見てしまう傾向がある。しかし世界的に見れば、まだそれほど落込んでいない地域や国もある。例えば同じ米国でも、農産物や石油の価格上昇で潤っている地域がある。つまり世界経済が大変になるとしたなら「これから」ということである。
★さらに教授は欧米経済が長期停滞に陥る「日本化」の懸念について「10年前からバーナンキ教授(現FRB議長)らとともに恐れていた」と述べている。また米国経済の停滞の要因として「バブル崩壊の規模とショックが想像以上に大きく、それに比べ政策対応が小さかった」ことを挙げている。
このようにクルーグマン教授の発言は、8月以降の本誌の見解や主張にほぼ一致する。しかし教授も抜本的な解決策を示すまでには到っていない。★なんとなく教授の発言に無力感を覚えるところが気になる。
これまで本誌は、クルーグマン教授の言論を何回も取上げてきた。主なものとしては00/1/17(第146号)「有力エコノミストの対談」と10/9/13(第631号)「中央銀行の制度設計」である。前者では、文芸春秋誌上の教授とリチャード・クー氏との対談を取上げた。日本のバブルが崩壊して10年ほど経った頃の話である。
ここでは「さらなる金融緩和は効果がなく、財政政策に重点を置くべき」とリチャード・クー氏が主張したのに対して、「金融政策を重視すべき」とクルーグマン教授が反論していた。筆者は、一応リチャード・クー氏に軍配を上げたが、教授の「効果があることは全てやる」という姿勢も大事とコメントした。ところがその後の10年の間に、クルーグマン教授は考え方に変化があったと筆者は見ている。
★それを取上げたのが後者10/9/13(第631号)「中央銀行の制度設計」の「ポール・クルーグマン教授の変心」である。リーマンショック後に米国で景気対策が採られたが、少し経済が上向くと財政規律を重んじる人々がさかんに出口戦略を主張し始めた。それに対して教授は「政府が財政引き締め論者に耳を貸せば、「3度目の恐慌」に陥るだろう」と財政支出拡大の必要性を主張した。
このようにリチャード・クー氏と対談を行った10年前とは様変わりし、クルーグマン教授は財政政策重視の発言を行うようになっている。今回の日経のインタビューでも「オバマ政権が唱えた4,500億ドルの雇用創出策は規模が小さいくらい」と言っている。そして90年代に米国の識者が日本になすべき課題をあげつらったことについては「謝るべきかもしれない」とも述べている。
たしかに当時、「財政政策ではなくさらなる金融緩和を」はましな方で★「悪い銀行を整理し日本は構造改革を進めるべき」と言った的外れな意見が米国やIMFなどの国際機関から寄せられていた。これらを真に受け、思考力のない多くの日本の経済学者やエコノミストは同じことを言い始めた。橋本政権や小渕政権の後半以降の経済政策は、少なからずこれらの主張に影響を受けていた(今も続いている)。
****優れた経済学者の証
筆者は、前段で触れたように10年の間にクルーグマン教授の考えに変化があったと考えている。その背景に米国経済でのバブルの生成と崩壊があると思っている。バブル崩壊が起ると人々の関心は、金融機関の経営危機とか、あるいは金融債務者の破綻に向かう。したがって金融機関が経営の安定を取戻し、債務者の破綻が減ると、危機が去ったと勘違いをする。そしてむしろ財政規律を心配し始め、出口戦略に向かう。
しかしバブルの生成と崩壊によって、壮大な有効需要が喪失していることまで人々は思いが及ばないのである(一方で有効需要の喪失額に見合う額の金融資産が増えているはずである)。つまり金融危機が一時的に去っても、以前のように経済は上向かない。むしろ緊縮財政への転換によってバブル崩壊の後遺症が現れる。それが今日欧米でも始まろうとしているデフレ経済である。
筆者の持論は、第二次世界大戦後、日本だけが「日本列島改造」と「80年代後半の土地ブーム」という2回のバブルの生成と崩壊を経験したと考える。その過程で日本では金融資産が増え、それに相当する有効需要が失われていた。ところが「日本列島改造」ブームの崩壊後、税収の減少と景気対策のための財政支出による財政赤字の方が問題になった。そしてこれが大平政権以降の財政再建運動に繋がった。
本来、増加した金融資産に見合う額の国債を発行し(見合う額の政府紙幣の発行でも良い)、これを財政支出に使うべきであった(つまり本来はもっと大きな財政支出が必要だった)。もし国債の市中消化が困難なら日銀が買えば良い。ところが表面的な政府債務の増加におののき、時の政権は増税と財政支出削減に向かった。ちなみに当時も「子々孫々に借金を残してはいけない」と言ったセリフがはやっていた。しかしこれが日本経済を外需指向に走らせ、後の円高不況と超金融緩和に繋がり、結果的に「80年代後半の土地ブーム」という二度目のバブルを引き起した。
このように90年代のバブル崩壊だけを見ていては不十分である。日本経済のデフレ体質を正しく認識するためには、「日本列島改造」ブームの崩壊によって想像以上の大きな有効需要不足が起っていたことから検証する必要がある。福田赳夫首相はそのことを理解し国債発行による積極財政を展開したが、大平政権以降、★とんだ勘違いを起し財政再建に走った。土光臨調が指向したケチケチ財政は明らかに大間違いであった。それにしてもいまだに土光経団連会長と当時の行革を持上げているマスコミ人は、経済のことを全く理解していない。もっとも日本の多くの経済学者(特に財政学者)やエコノミストもマスコミ人と同じほど低レベルである。
★ちょうどこれと同じことが欧米で起っている。一年前の欧州各国の緊縮財政への転換であり、米国の中間選挙におけるティーパーティー派(茶会派)の躍進である。もっとも欧米人にとって初めてのバブル崩壊の経験であり、やむを得ない面がある。ただ日本のデフレ経済を学んでいるバーナンキFRB議長やクルーグマン教授は、このような動きに危惧をいだいている。
このように昔は金融政策一辺倒と思われていたクルーグマン教授も、財政政策の重要性を強調するようになった。二流の学者には、持論に固執し考えを修正すべき事象に遭遇しても、昔からの考えに頑固にしがみつく者が多い。クルーグマン教授のように柔軟に考えを修正できるのも優れた経済学者の証と言える。
★一方、日本の経済学者やエコノミストにはなさけない者が多い。「財政再建が急務」とか「構造改革なくして経済成長はない」と主張していた者のほとんどが、いまだに同じ戯言を言っている(もっとも言うことを変えると学界で抹殺されたり弟子達が戸惑う)。また30年も前から「日本の財政は最悪で、そのうち国債は暴落する」と言い続けている財政学者は最悪で、金利が1%を切るほど日本の国債が買われている事実から目を背ける。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。