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株式日記と経済展望
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Appleはなぜ成功したのか?それはAppleはソフトウェアの会社であると同時
にハードウェアの会社だったからだ。ジョブズ亡き後のアップルはどうなる。
2011年10月7日 金曜日
◆「ソフトウェア革命」が起きつつある今、日本は「物作り」に執着していてよいのか 10月5日 安藤茂彌
http://diamond.jp/articles/-/14263
では、「ソフトウェア」だけあれば「物」は要らなくなるのか?そんなことはない。だた、ハードウェアの世界でも大きな変化が起きつつある。「ひとつの物」が「他の多くの物」を駆逐する傾向が出てきたことだ。
AppleのiPhoneのようなスマートフォンが出てくると、通話だけを目的とした従来の携帯電話機の多くは代替される。スマートフォンは多機能である。デジタルカメラが付いているのが当たり前になった。そして性能も普通のデジカメに匹敵するようになった。スマートフォン以外にデジカメも一台持っていなければならないと感じる人はどんどん減っていくだろう。「多機能」なスマートフォンが「単機能」のデジカメ等を駆逐する傾向が出てきた。
AppleのiPadが目覚しい売れ行きを示す一方で、ネットブックとラップトップの売れ行きに陰りが見え出した。iPadのような製品はタブレットと呼ばれる製品だ。今までに何社かがタブレットに挑戦して普及せずに敗れている。ところがAppleがiPadを出した途端に、タブレットは一気に成功のカテゴリーになった。
なぜこういう現象が起きたのだろうか?ハードの会社がソフトの会社になろうとしても失敗するジンクスがある。逆もまた真である。ソフトの会社がハードの会社になろうとしても失敗する。ではAppleはなぜ成功したのか?それはAppleはソフトウェアの会社であると同時にハードウェアの会社だったからだ。AppleはPCの黎明期から30年に渡ってPCのハードとソフト(OS)を一体で開発してきた唯一の会社であることを忘れてはならない。
ソフトを他社からライセンスして、ただ「単なる物」を作ってきたHPや日本・韓国・台湾・中国の多くのPCメーカーはAppleような魅力的な製品を作れない。自社にソフト能力がないからだ。価格の安いところでしか勝負できない。逆に、「単なるソフト」会社マイクロソフトはゲーム機器Xboxで失敗している。Appleのようにソフトとハードを一体化して魅力ある製品にできないからだ。
世界の大きな流れはハードウェアからソフトウェアに移行しつつある。「単なる物」の市場はどんどん小さくなっている。ハードで成功している製品は、ソフトウェアと一体化して魅力的な製品に仕上げられている「ソフト付きハード」に限られつつあるように思う。
日本は経済を再興させなければならない危機的な状況に追い込まれている。それでも「物作り」が日本再興の切り札であると誰もが主張している。日本が「単なる物」を作って世界に売れる時代は終わった。賃金が高く、インフラコスト(地価、輸送コスト、電力料金、税金)の高い国で、価格競争力のある「単なる物」を作れるはずがない。では世界を魅了する「ソフト付きハード」を作れるのか?
日本でテレビを見ていると「巧の技」を残した製品を賛美する番組がある。それは日本の文化に深く根ざしたものだと。確かにこうした製品は価格に関係なく生き残るだろうが、その市場はあまりにも小さい。それでも日本の「物作り神話」は生きている。日本経済を再興するには「これしかない」と。「神話」は「信仰」に変わりつつある。
シリコンバレーではソフトウェアを開発する技術者の給料が上がっている。こうした人材は「引っ張り凧」だ。米国全体の失業率は9%を切れないでいるのに、シリコンバレーは別世界だ。米国経済が向かう方向で人材が払底し、経済が不要と判断した方向で職を求める人があまりにも多いからだ。同じことが日本にも言える。
「単なる物」作りに専念してきた企業がソフトウェア企業に変身するのは至難の業だ。米国でも変身できずに苦しんでいる企業がたくさんある。だが日本よりマシだ。大規模なレイオフと、大規模な中途採用が出来るからだ。
日本が採るべき政策は、ソフトウェア・エンジニアの大量育成とソフトウェアベンチャーの育成だ。これができないと、日本企業は変身できないし、日本経済も復興できないように思う。今やらなければならないのは「物作り国家」のスローガンを下ろすことだ。「ソフトウェア国家」にスローガンを変えれば、国民の意識も変わるだろう。「信仰」を捨てて「現実」に目を覚ますことだ。
(私のコメント)
米アップルの創業者スティーブ・ジョブズ氏が亡くなりましたが、彼はアップルを最大の時価総額の会社に育て上げた。私もアップルの株を持っていれば大金持ちになれたのでしょうが、iPhoneの発売は世界に衝撃を与えた。「株式日記」ではiPhoneを携帯パソコンとして断定しましたが、携帯電話として見るのは一面に過ぎない。
iPhoneの発売当初はネット端末としては通信速度が遅くて使いものになりませんでしたが、アメリカでは本格的なネット端末として発売された。日本ではガラパゴス携帯がネット端末として使われていましたが、ネットの相性ではiPhoneのほうがいい。日本がガラパゴス携帯化したのは、世界標準の携帯ではネット端末としては不十分だったからですが、日本でこそiPhoneのようなネット端末がなぜ出来なかったのだろうか?
日本のメーカーでもシャープのザウルスなどが携帯端末を早くから開発していましたが、ソフトもハードも洗練されたものではなく中途半端な性能で普及しなかった。手のひらサイズのパソコンと言う意味ではiPhone の先駆けになるものですたが、シャープはiPhoneのようなものは作れなかった。アップルとシャープの差はどこにあるのだろう。
それはOSの差であり、アップルはiOSを自社開発したが、シャープは高機能なOSを自社開発できなかった。W-ZERO3も限りなくiPhoneに近い製品でしたが、iPhoneは限りなくアプリを追加することが出来てデザインなどでもタッチパネルを採用して機能とデザインの両立に成功している。タッチパネルは日本のメーカーが開発したものですが、日本のメーカーはキータッチに拘った。
『ソフトバンクの孫正義社長は「スティーブ・ジョブズは、芸術とテクノロジーを両立させたまさに現代の天才だった。』とのことですが、スティーブ・ジョブズ氏は技術者ではなくあくまでも経営者でしたが、ソフトにもハードにも通じた経営者であり、どのような製品を作るかと言うビジョンを持っていた。それを実行させる能力も持っていた。
W-ZERO3はシャープやウィルコムやマイクロソフト三社が開発した製品ですが、携帯情報端末でありまさにスマートフォンだった。しかしタッチパネルを採用してもキーボードを搭載して携帯と一線を画してしまったためにシャープの戦略は失敗した。OSもWindows Mobileを搭載して機能的にはまさに携帯パソコンでしたが、iPhoneのようには成功しなかった。
だからiPhoneが発売された当初は機能的に目新しいものはなく、しゃれたデザインぐらいしか特徴はなかった。しかし次々と新型のiPhoneが開発されてアプリも充実して世界的なヒット商品となった。OSもハードも自社で作れるから次々と改良してライバル製品と差別化していくことが出来た。それに対して他のW-ZERO3は三社の寄り合いだから改良もスピードが遅れた。
これからのコンピューターが組み込まれた製品は、ハードとソフトの組み合わせで開発しなければならないのであり、携帯電話から自動車にいたるまで製品格差は組み込まれたソフトとハードの組み合わせで決まる。だからソフトも一種のものづくりだと思うのですが、日本のメーカーはソフトは下請けに作らせていた。
iPhone以外のスマートフォンではOSにAndroidを使っていますが、これではOS開発は米Google社任せになる。開発の手間省けますが美味しいところはGoogle社が持っていってしまうだろう。いつGoogleが
Androidを囲い込んでしまうか分からず、ウィンドウズパソコンの二の舞になりかねない。アップルに出来ることがなぜシャープやソニーが出来ないかはスティーブ・ジョブスがいるかいないかの違いだけなのだろうか?
スティーブ・ジョブスが経営に再び加わるようになるまで、アップルは倒産寸前になっていた。1997年にジョブスが復帰してスケルトンiMacが発売されて一気にアップルは息を吹き返しましたが、商品作りの基本はデザインと使いやすさだ。それに対して日本のメーカーは家電から自動車にいたるまでのデザインは醜悪であり、彼らの美的感覚はどうなっているのだろう。
美的感覚は学習で身に付けられるものではなく、天性の才能がなければどうすることも出来ない。ビルなどのデザインも東京でも醜悪なものや無味無色の特徴のないビルが溢れていますが、私もビルを建てる時は自分でデザインしましたが、ビルデザインの優秀さがテナントを集める時の切り札にもなる。アパートを建てる時もしゃれたデザインにすることで入居率を高めている。
このように美的感覚と理工学的な理解力を備えた人物は天才であり、スティーブ・ジョブスはレオナルドダビンチのような人だったのだろう。機能性と美的センスを両立させるには天才的な能力が要る。ジョブス亡き後のアップルはどうなるのだろうか?
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