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国家財政危機にどう立ち向かうか?
戦後資本主義国際経済
の「歴史的」転換点
デフォルト(債務不履行)必至とさえいわれるギリシャの国家財政危機、国債発行上限額一四・三兆ドルの引き上げに議会内で合意して、ようやくデフォルトを回避した米国政府、九〇〇兆円に達する日本政府の債務など、国家財政危機は、多くの国々に及んでいる。なぜこのような事態が生じたのか、それは何を意味しているのか。第二次大戦後(戦後)の資本主義国際経済のありようを、三つのエポック(ブレトン・ウッズ体制の崩壊、プラザ合意、リーマンショック)をもとに、欧米日に限って大まかに跡づけるなかから、さぐってみたい。
エリック・ホブズボームは、『極端な時代――二〇世紀の歴史』の中で次のように述べている。
「一九七三年以降の二十数年の歴史は、世界が方向感覚を失い、不安定と危機にすべり込んでいく歴史である。それでも一九八〇年代までは、黄金時代の基盤がいかに取り返しのつかないまでに崩れたかは、まだ明らかではなかった」。こうして、「戦前の資本主義批判の中心的問題点、つまり黄金時代には一世紀にわたってほとんど除去されていた問題点――『貧困、大量失業、不潔、不安定』――が、一九七三年以後、再び現れてきた」。
このように、「歴史的」と形容することのできる転換点となる出来事が、一九七三年に起きた。それは何か?
ブレトン・ウッズ体制の実態
とその崩壊(一九七三年)
一九四六年に発効したブレトン・ウッズ体制は、米国のドルだけが金との兌換を保証することを柱にしている。それ以外の国の通貨は、それぞれ金に対する平価を設定し、その上下一%の変動幅の中に固定される。つまり、金と兌換できるドルとの関係で各国通貨の価値を固定し(たとえば、一ドル=三六〇円)、国際貿易の決済はほぼドルによってなされることになった。米国という一国の通貨であるドルが、間接的な金本位制のもとで国際通貨として機能したわけである。
これは、資本主義国際経済が、米国の経済力に完全に依拠するシステムだといえる。このシステムが機能するためには、米国経済が安定的に世界にドルを供給し続けなければならない。いいかえれば、米国の輸出を減らし輸入を増やさなければならず、米国の貿易収支が赤字になることを前提にしたシステムであった。
これは、当初、西欧諸国と日本経済の戦後復興に対応したものであった。だが、一九五〇年代半ばには、これら諸国で戦前期の生活水準に回復し(日本では一九五六年の『経済白書』は「もはや戦後ではない」とうたいあげた)、その資本は部分的には米国資本と競い合う関係に変わっていった(一九六〇年代後半から始まった日米貿易摩擦などはその一例である)。しかも、一九六五年から八二年まで、米国内のインフレーションが続いた。この間、平均年率六・五%で物価上昇が続いたため、ドルの価値は三分の一ほどに下落したが、高率インフレ(高金利)はドルの過大評価を呼ぶように作用した。さらに、ベトナム革命への反革命介入によって膨らみ続ける軍事費は、米国の国家財政に重くのしかかることになった。
このようにして、貿易収支と国家財政の赤字に陥った米国の経済力は、資本主義国際経済全体を支えることは不可能になり、一九七一年、ドルと金との兌換を停止した(ニクソン・ショック)。そして、石油危機を経て、為替レートが固定相場制から変動相場制に移行し、ブレトン・ウッズ体制が崩壊したのが一九七三年である。金との兌換という制約に縛られることがなくなり、米国で印刷されるドルは、国際通貨であることに変わりはなく(ほかに国際決済手段がないため)、各国通貨の為替レートはドルとの関係で絶えず変動することになった。
ちなみに一九七三年は、日本で一九五四年以来続いていた高度経済成長が終わり、国債発行額が急増した年であった。
金融資本の暴走を追認、拡大
したプラザ合意(一九八五年)
一九七〇年に入るころから、資本の流れや為替レートが、貿易とは独立した動きを示し始めるようになる。資本が生産等に投入されることによって、利潤と賃金が生み出されるところから、それとは相対的に独立して、金融という形をとった資本の移動がウエイトを高め始めた。それは、国際的に自由に移動する資本が金融という別枠の中で自己回転し増殖するという、資本主義史上でもまったく新しいシステムの登場を示すものであった。
また、このころから、米国の貿易収支と国家財政の赤字は、西欧諸国(とりわけドイツ)と日本の政府と資本による米国債の引き受けと資本投入によって埋め合わせる関係が始まっていった。ドルは、国際貿易の決済通貨であるだけでなく、徐々に投機の対象にもなっていった。たとえば一九八四年―八五年には米国の貿易収支が悪化しているにもかかわらず、高金利のドルに買い手が殺到してドル高が進むという、逆転した現象が現れた。
こうしたなか、一九八五年のプラザ合意によって、主に日本とドイツ政府による円高とマルク高への誘導によってドル高を是正することになった(それまで一ドル=二四〇円前後だったものが、一挙に一四〇円〜一二〇円台にまでなった)。プラザ合意は、国民経済が国際経済に従属し、それに翻弄されるようになるという新たに登場した資本主義システムを追認し、それをさらに加速する作用を及ぼした。
新自由主義の台頭とリーマ
ンショック(二〇〇八年)
一九八〇年代の初めころから、英国のサッチャー政権、米国のレーガン政権のもとで、新保守主義(ネオコン)と一体となった新自由主義が登場し始めた。金融取引の野放しの自由化(規制緩和)、公共部門の民営化をはじめとする公共サービスの大幅削減、労働者の賃金切り下げと非正規労働の全面導入、「持たざる者」の社会的排除などを特徴とする新自由主義は、プラザ合意以降、一挙に全世界に拡大していった。
この間、拡大する経済規模をはるかに上まわって通貨供給量は膨らんでいった。だが、それは生活物価や賃金の上昇に結びつくのではなく、地価や金融商品の交換価値だけが自己回転し、バブル経済(とその破綻)を生み出した。使用価値との結びつきから離れて交換価値に特化したマネー(資本)が、人びとの日々の生活のためでなく、ひたすら自己増殖しようと暴走し始めたのである。ここから全世界をかけめぐったリーマンショック(世界金融危機)まではまっしぐら。それに対して各国政府は、資本の論理に命じられるまま、金融機関の救済のために国家財政をおしみなくつぎ込んでいくほかはなかった。
つくりだされたギリシャ
財政危機(二〇一一年)
ギリシャは、二〇〇〇年ごろからつい最近まで、経済成長率(実質GDPの対前年度増減率)でドイツを上まわっていた。そこで突然降って湧いたかのように、財政破綻が宣告されることになった。
ギリシャでは、ユーロ導入以降、自動車や家電製品などの輸入額が増え、物価(地価を含む)は上昇し始めていた。そのため、大きな収入源である観光客の足が大幅に遠のき打撃をうけていた。さらに、民間金融資本(ゴールドマン・サックスなど)がギリシャ国家財政の中にもぐり込み、それを自らの利益に替えて懐に入れていった。EU内の経済規模の大きな国(ドイツなど)は、ギリシャ国債の保有国となった。ギリシャの国家財政を支えるためではなく、輸出による産業大資本の利潤を拡大するためである。
このように、EU内の経済規模の大きな国の産業大資本と多国籍金融資本のターゲットにされたギリシャの国家財政は、危機に向かった。そして、ギリシャの国家財政は破綻寸前にまで陥ったが、その結果生じたユーロ安傾向は、EU内の輸出産業資本には有利に作用している。
EU内各国間の不可避的な不均等発展をはらみながらも共通通貨(ユーロ)を使うという問題、そこに目ざとく襲いかかる資本の増殖への飽くなき欲望がつくりだしたのが、ギリシャの財政危機だといっても過言ではない。
国家財政を食いものにする
者たちが危機の背後にいる
端的にいえば、今日、たとえば日本あるいは中国が保有する米国債を売りに出したとすれば、米国の国家財政が一瞬のうちに破綻するとともに、国際貿易は「物々交換」のレベルに落ち込んでしまうであろう。まさに米国債は、「大きすぎてつぶせない」代物になっている。このことは、米国の経済力が、ブレトン・ウッズ体制時代とは似て非なるまでに弱体化していることを物語っている。実体経済の外側で自由に移動し増殖しようとする金融資本をコントロールできない各国政府は、通貨供給量と、もはや限度を示している公定歩合(金利)の調整以外には、「首脳」たちが集まって声明を出して記念撮影することぐらいしか打つ手を持たない。資本主義国際経済は、極めて危うい基盤の上にかろうじて立っている。
ちなみに、日本の経済成長率は、高成長期の一九五六〜七三年度の平均は九・一%だったが、一九七四〜九〇年度は四・二%に落ち込み、一九九一〜二〇一〇年度では〇・九%までになっている。このように、経済成長率が階段状に落ち込んでいっているのは、欧州各国、米国もまた同じ傾向にあり、この下り階段が上り階段に変化する兆しはない。
このようにして、今日の欧米日各国を襲う国家財政危機の原因は、経済成長率の落ち込みにともなう税収減にあることは明白だが、さらに、国家財政を食いものにする者たちがいることを見逃すわけにはいかない。
産業大資本―金融資本
―各国政府の固い結束
産業大資本にとって、興味があるのはただ利益の一点であり、生産ラインがどの国にあるか、あるいは生産された商品の販路がどの国にあるかといったことは、二義的なことにすぎない。
その一方で、産業大資本は、国家(その政治委員会としての政府)に対して、自らの収益を確保する条件をととのえるように強制する。法人税をもっと引き下げろ、使い捨て労働を規制するな、円高対策をもっとしっかり行なえ……。かれらは、つねに生産の場を国外に移すと脅しながら、そのように要求する(あたかも、かれらの前には利潤のための無限の広野がひろがっているかのように)。
では、ブレトン・ウッズ体制崩壊以降、投機の結果生じた円高(あるいはドル高)対策として、どれだけ日本の国家財政がつぎ込まれてきたのだろうか。また、日本にため込まれたドルはどこまで目減りしたのだろうか。これらの正確な額は、闇の中。いずれにせよ、ため込まれた莫大なドルは、埋蔵金というより死蔵金になっているが、その利益を享受したのは、もっぱら輸出産業資本である。
ハイリスク・ハイリターンを好む銀行・投資会社といった金融資本にとって、ハイリターンは自らのものだが、ハイリスクは国家のものである。日本の場合、国債の九〇%以上が国内の金融資本が保有するといわれている。政府の債務は国内の金融資本の債権になり、それが運用されているわけである。銀行・投資会社は、この債権を質にとって、致命的なハイリスクをこうむった場合、政府に対して国家財政を投入して穴埋めをするように迫る。これが、リーマンショックの際に実際に実行されたことである。
このように、産業大資本と金融資本は、それぞれに国家財政を平然と食いものにしている。そして、そのツケを労働者・市民に支払わせようとする。この点で、産業大資本と金融資本と政府の間には固い結束がある。実際、一九八〇年代以降、賃金切り下げと使い捨て労働を強化することによって日本資本主義は生き延びてきたが、今日では、東日本大震災の復興を増税の名目にするばかりではなく、社会保障のさらなる低下さえ目論んでいる。
他人の労働で生きていない
人びとの生き残りのために
他人の労働で生きていない人びと、つまり大多数の労働者・市民にとって、今日の国家財政危機にはなんの責任もない。だが、マスコミは「国の借金は国民一人当たり○○円」などと、財政赤字があたかも「国民の借金」であるかのように操作し、「この借金はあなたが返すものだ」と描き出そうとしている。借金をしてギャンブルにつぎ込んでしまった呑んだくれの父親がいたら、家族みんなで力を合わせて叩き出せばよい。もし比喩を用いるなら、こちらのほうがよほど現実を映し出している。「誰が誰に返すのか」は、絶対にあいまいにされてはならないのだ。
まずは、現在の不公正な税制を変えなければならない。金持ちこそが、金を出さなければならない。所得に対する高率累進課税、資産に対する高率累進課税、高率の相続税、企業利益への高率の法人税によって、所得配分を公平なものにしなければならない。公共サービスを守り、拡大しなければならない。社会保障を拡充しなければならない。
さらに、闇の中にある金融取引の実態を明るみに出さなければならない。そのために、金融取引のすべての段階に課税するとともに、すべての銀行と金融関連企業を一つに統合・国有化し、それを労働者・市民によって民主的・社会的に監督できる体制をつくりださなければならない。
こうしたことは、反原発運動のなかで多くの人たちが感じ始めているように、既存の政党に頼ることなく、しかも決してあきらめることなく、集会やデモ、ストライキによって自らの意志を示す大衆行動の積み上げによってこそ実現できる。生き残るのはわれわれ労働者・市民であり、退場すべきは他人の労働で生きる者たち、国家財政を食いものにする者たちなのだ。
(岩田敏行)
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「現在の不公正な税制を変えなければならない。金持ちこそが、金を出さなければならない。所得に対する高率累進課税、資産に対する高率累進課税、高率の相続税、企業利益への高率の法人税によって、所得配分を公平なものにしなければならない。」
申し訳ないが焼け石に水だ。もうすでに手遅れである。早晩行き詰まることは決定している。日本の財政運営が行き詰まれば影響は世界に伝播する。
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