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家電や車など、日本御家芸の高度なすり合わせ技術が、デジタル化やブラックボックス化の進展で、単純な組み立てビジネスに侵食され、利益を失ってきたのと同じ構図
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/24466
Financial Times
破壊的技術の犠牲となった米コダック
2011.10.04(火)
フィルム時代には富士フイルムとともに世界を独占したコダック〔AFPBB News〕
先週、イーストマン・コダックの株価が6割以上急落した時にほとんど論評されなかったことは、残念だが意外ではなかった。
何しろ、かつて一大企業グループを形成したコダックの凋落は長く続いてきた。株式時価総額が2億ドル余りまで落ち込んだ今、投資家はもう同社のことなど気にしなくなっている。
通説に従うと、コダックは単にデジタル時代の新たな犠牲者に過ぎない。これは半分しか真実ではない。より有益なもう半分の真実は、デジタル時代とはやや意味が異なる破壊的技術という概念にかかわるものだ。
正確に定義すると、破壊的技術とは、既存バージョンよりも安く、当初は性能が劣る技術のことだ。
既存企業に文化的な問題を引き起こす破壊的技術
確立された大企業にとっては、破壊的技術は深刻な文化的問題を引き起こす。というのも既存企業は実現可能な最高品質で顧客が求める製品を提供することで、今の地位を築いてきた。安くて質の低い代替技術に直面した既存企業は、課題に取り組むかもしれないが、そうした新技術に経営資源をつぎ込むことは性分に合わないのだ。
こうして機械式掘削機のメーカーはバックホー・ローダーの脅威に立ち向かえず、高炉大手はスクラップから鉄鋼を生産する電炉メーカーに不意打ちを食らった。どちらの製品もニッチ市場向けで、本物を買う余裕のない顧客のためのものだった。こうした技術が安さを保ちながら品質的に同等になる頃には、旧来メーカーが対応するには、もう手遅れだった。
こうした事例は、米国の学者クレイトン・クリステンセン氏が1997年に名著『イノベーションのジレンマ』で列挙している。奇しくもコダックの株価は同じ年に94ドル25セントの史上最高値をつけた。9月30日の終値は78セントだ。
コダックの窮状は、当時まだ同著に記されるほど進行していなかったが、クリステンセン氏の論題を完璧に説明するものだ。
コダックは1世紀にわたって銀塩フィルム・印画紙を事業基盤としてきた。デジタル画像がもたらす脅威は認識しており、その研究に多額の資金をつぎ込んだが、有用な効果は得られなかった。
銀塩に固執したコダックの誤算
筆者が1990年代半ばにニューヨーク州ロチェスターにあるコダック本社を数回訪れた時、同社の文化的な思考がはっきり示されていた。様々な幹部が、銀塩がいかに素晴らしいか語ってくれた。プロのカメラマンやハリウッドは、銀塩なしではやっていけない。デジタルは素人向けで、彼らでさえ常に、家族のアルバムやホームビデオのためにプリントを欲しがる、というのである。
当時コダックの会長だったジョージ・フィッシャー氏は、本来もっと分別を持てるはずの格好の立場にいた。根っからの科学技術者で、モトローラの経営を離れてコダックに転身したばかりだったからだ。だが、頑固なコダックの現実に直面して、同氏は中途半端な苦しい立場を取ってしまった。
フィルムはデジタルと共存する。少なくとも(クリステンセン氏の命題を逆さまにしたバージョンの論旨で)フィルムの方が安い、とフィッシャー氏は主張した。
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最も安いデジタルカメラでも1000ドルした〔AFPBB News〕
コダックの最上位機種のデジタルカメラで撮影された写真は、画質を全く損ねることなく、銀塩印画紙にプリントアウトできる。だが、カメラの値段は2万7000ドルもした。フィルムよりも画質が悪いコダックの最も安いカメラでさえ1000ドルした。
フィッシャー氏は、こうした状況が変わっていくことは認めつつも、「有名科学者たちはこうしたもののペースに夢中になってしまう」と述べていた。
科学技術者であるうえ、思慮深く、定評のある経営者だったフィッシャー氏がこれほど状況を見誤ったことは、示唆に富んでいる。だが、消える運命にあったのは、フィルムだけではなかった。カメラそのものも概ね吹き飛ばされることになった。
今では人は携帯電話で写真を撮り、ノートパソコンを使って遠く離れた親戚と向かい合っておしゃべりをする。
では、コダックの運命は避けられなかったのだろうか? 完全にそうだとは言えない。
フィルムの時代には、コダックは富士フイルムとともに世界を支配した。コダックに対抗する日本企業として1930年代に設立された富士は最近苦境にあるが、コダックほど厳しい状況ではない。このため、過去10年間で富士の売上高が8%減少したのに対し、コダックの売上高はほぼ半減した。また、富士の純利益は20%減少したが、コダックが最後に利益を上げたのは2007年のことだ。
富士フイルムとの命運の違い
そして極めて重大なことに、富士は昨年、まだネットで24億ドルの営業キャッシュフローを上げていたのに対して、コダックは2年連続でキャッシュフローがマイナスになっている。実際、先週の株価急落を引き起こしたのは、コダックがついに資金繰りに行き詰まるという懸念だった。
この懸念は次第に現実味を帯びている。コダックは予想外に既存の与信枠から資金を引き出したばかりで、破産申請を検討していることは断固否定しながらも、リストラを専門とする弁護士を雇い入れている。
しかし、これほど似て見える会社2社の命運が違うのはなぜなのだろうか?
答えの1つは間違いなく、米国がIT(情報技術)の本拠地であるのに対し、日本は数十年にわたって、今ではデジタルカメラも含む家電製品の本拠地だったことだろう。一方で、コダックは減りゆく特許と、遅ればせながら進出したインクジェットプリンター事業で何とか生計を立てようとしている。
ここから得られる教訓は、例の破壊的技術に追いつかれたら、会社は二度と同じ姿には戻れない、ということだ。
By Tony Jackson
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