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誰のために? なぜ? 農業を保護するのか?
ないがしろにされてきた根本の議論
2011年9月6日 火曜日
山下 一仁
農業界では、農業の存在理由や政策の目的についての議論がなされないまま、政策が論じられることが多い。つまり、なぜ日本に農業が必要なのか、なぜ農業を保護するのか、という大本のところがなおざりにされているのだ。「農業なのだから保護するのは当然だ」というところから議論が始まる。
政府は、地方の商店街がシャッター通り化しても、中小の商家に補助金を交付することはない。なのに、なぜ、農家には手厚い保護が与えられるのだろうか。
供給力が十分でも食料安全保障は危機に陥る
理由の一つは、「食料の安全保障」を維持する必要がある、という議論だ。他の物資と異なり、食料は、人間の生命・身体の維持に不可欠だ。わずかの不足でも、人々はパニックに陥る。1993年に起きた平成の米騒動の際は、米が足りないというだけで、主婦がスーパーに押しかけた。1918年の大正の米騒動の時より食生活に占める米の比重は大幅に低下している。また、パンなど他の食料品は潤沢にあった。それにもかかわらずである。
日本で生じる食料危機のうち最も可能性が高いのは、お金があっても、物流が途絶して食料が手に入らないという事態である。東日本大震災においてこうした事態が生じた。最も重大なケースは、世界全体の食料生産能力は十分あったとしても、日本周辺で軍事的な紛争が生じてシーレーンが破壊され、食料を積んだ船が日本に近づけない事態である。「世界全体の食料生産能力は十分だから、食料危機を論じる必要がない」という主張は誤りである。世界で食料が潤沢にあっても、輸送の途絶で入手できない場合がある。
日本が戦争に巻き込まれる可能性が小さく、想定外だからといって、防衛力を持つ必要がないという人は少ないだろう。発生する可能性は低くても、生じた時に国民の生命そのものに危害が及ぶほど重大な事態であれば、「想定外」としてはならない。食料も同じである。日本のような食料輸入国で軍事的な危機が生じた時には、食料の輸入も途絶える。必ず食料危機が発生する。これに対処するためには、一定量の備蓄と国内の食料生産能力を確保しておかなければならない。
食料安全保障を訴えたのは農協
ところで、食料安全保障とは、誰のための主張なのだろうか。食料安全保障は本来、消費者の主張である。農家や農家団体の主張ではない。1918年に米価が高騰したなか、米移送に反対して暴動を起こしたのは、魚津の主婦だった。農家ではなかった。終戦後の食糧難の際、食料の買い出しのため着物が一枚ずつ剥がれるようになくなる「タケノコ生活」を送ったのは、都市生活者であって農家ではなかった。近くは平成の米騒動の際、スーパーや小売店に殺到したのは主婦であって農家ではなかった。
それなのに、政府は、農家団体である農協の強い要求により、「現在40%の食料自給率を今後10年で45%に引き上げる」計画を2000年に閣議決定した。消費者団体よりも農協のほうが、食料自給率の向上、食料安全保障の主張に熱心である。さらに民主党政権は、食料自給率の目標を50%に引き上げた。
農政が食料自給率を下げている
誰のための食料安全保障かはさておき、食料自給率を高める政策は進んでいるのだろうか? 政府は食料自給率を向上させる目標をもう15年近く掲げている。だが、一向に上がらない。上がる気配さえ見えない。そればかりか、2010年度には40%から39%に低下し、遠ざかっているのである。普通の行政だったら、数値目標をかかげながら、かくも長期にわたり達成できなければ、責任問題が生じるはずである。
しかし、農林水産省は目標未達成の責任を取ろうとしないばかりか、これを恥じる様子さえない。なぜだろうか? 食料自給率が上がれば、農業を保護する根拠が弱くなり、農林水産省にとって困る事態となるからだ。農林水産省は、本音では、食料自給率が低いままの方がよいのだ。食料自給率の向上を目標に掲げるのは、農業予算を獲得するための方便にすぎない。
それどころか、農林水産省は、食料自給率向上を唱えながら、自給率の低下につながる政策を採っている。下の図が示す、国産米冷遇、外国産麦優遇という政策だ。
自給率が低下したのは「食生活が洋風化したため」というのが農林水産省の公式見解である。米の需要が減少し、外国から輸入しなければならない麦(パン、スパゲッティ)の需要が増加することを見通していたのであれば、米価を下げて米の需要を拡大すべきであった。同時に、麦価を上げて麦の消費を抑制すべきだった。政府が取ったのは、この逆の措置である。
また、WTOドーハ・ラウンド交渉において政府は、関税率の大幅な削減を回避する代償として、低い関税率で輸入する関税割当数量(ミニマム・アクセス)をさらに拡大してもかまわないという対処方針を採っている。これは食料自給率を確実に低下させる。WTO交渉における対処方針は、食料自給率を向上させるという閣議決定に反している。
農協の要望を受けて交渉している農林水産省が食料自給率を犠牲にしてまでも守りたいのは、高い関税に守られた国内の高い農産物価格である。農業を保護するためには、消費者に負担や犠牲を強いてもかまわないとする立場に他ならない。WTO交渉では、誰のための食料安全保障なのか――むろん消費者のためである――という原点を政府は忘れてしまっている。
食料安全保障は有事のため。飽食を前提にした政策ではない
そもそも食料安全保障とは、海外から食糧を輸入できなくなった時に、国民の生存を維持するための政策である。必要な農業資源、特に農地が確保されていなければ飢餓が生じる。この時には、牛肉など食べられない。従って、食料安全保障は、イモやコメなどカロリーを最大化できる農産物をどれだけ生産できるか、という問題だ。飽食の限りを尽くしている現在の食生活を前提としたまま食料自給率を云々することは無意味だ。
畑に花を植えることは、食料自給率の向上には全く貢献しないが、農地資源の確保につながるので食料安全保障に貢献する。しかし、花農家に対して、政府は農業保護政策を実施していない。他方で、米などのカロリーを供給する土地利用型農業に対しては、関税や補助金などさまざまな農業保護政策を講じている。自給率向上を主張する背後にあるのは、土地利用型農業に対する保護の要求である。
前回述べたように、農地を宅地に転用することで農家は潤ったが、農業は衰退し、食料安全保障に赤信号が灯っている。現在の農地では、「肥料や農薬が十分にあり、天候不順もない」という条件に恵まれた場合に、イモと米だけ植えて、やっと日本人の生命を維持できるだけである。不作になれば、餓死者が出る。
農政が多面的機能を破壊している
農業を保護する根拠として、農業界は農業の多面的機能を挙げる。多面的機能とは、特定の農業生産は、水資源のかん養や洪水の防止など、市場では取引されないプラスの外部経済効果を生んでいるという主張である。しかし、農政はこの多面的機能を弱める政策を採ってきた。
農業界が主張する我が国の多面的機能のほとんどは、水田が持つ水資源かん養、洪水防止機能などである。しかし政府は、水田を水田として利用しないどころか、水田を潰す減反政策を40年も採り続けている。水田面積は戦後一貫して増加し、減反政策を開始する1970年までに344万ヘクタールに達した。だが、減反導入後は一貫して減少し、現在は254万ヘクタールとなっている。
2000年WTO交渉におい日本は、多面的機能を前面に打ち出した提案を行った。この過程において、パブリック・コメントを求めるなど国民合意プロセスを取った。WTO農業協定では補助金を交通信号方式で分類した。「緑」は金額を削減しなくてもよいし、増額してもよい補助金、「黄色」は一定額まで削減しなければならない補助金、「赤」は出すことを禁止する補助金である。多面的機能は農業生産と密接不可分に結びついていることから、生産との切り離しを要求している緑の補助金の要件見直しを、日本提案のコアとして主張した。しかし、米などにかけている高い関税率を維持できるかどうかが我が国農業界の重大関心事項となったため、2002年11月に行った再提案で、農林水産省はこのコアの提案部分を、与党自民党にも十分な説明を行うことなく、こっそり削除してしまった。
農業保護と高関税に利用された食料安全保障と多面的機能
これまで、食料安全保障や多面的機能という理念から農林水産省が政策を導いたことはない。農業生産が拡大すれば多面的機能も向上する前提で議論をしているが、農薬を多投する場合、農業生産の拡大は環境への負荷を増大してしまう。場合によっては、農地を林地に戻したり、特定の農業や農法は縮小する方が多面的機能に役立つ。しかし、このような議論は農業界ではタブーである。
農業界は農業保護を維持したり増したりしようとする時だけ、食料安全保障や多面的機能の主張を利用してきた。だから、農業界は、高い農産物価格と、それを維持するために必要な関税を確保したい時は、食料自給率向上や多面的機能という主張を捨ててしまう。、食料安全保障の基礎となる農地を転用・潰廃して平気なのである。
農業界は、農業保護や高関税が必要だという理由とするために、食料安全保障や多面的機能の概念を利用してきただけである。農政の欺瞞である。
このコラムについて
山下一仁の農業政策研究所
農業は儲からない。
日本の国土は狭く、農業には適さない。
だから日本の農業に競争力はない。
農業貿易が自由化されれば、日本の農産物はひとたまりものない。
などなど。
日本の農業には“弱い者”のイメージがつきまとう。
しかし、これらは本当だろうか?
強くなるための手段を講じてこなかっただけではないのか?
本コラムでは、日本の農業に関するこんな疑問に答えていく。
そして、日本の農業が成長、拡大するための方策を考える。
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著者プロフィール
山下 一仁(やました・かずひと)
経済産業研究所 上席研究員。キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹。
専門は食料・農業政策、中山間地域問題、WTO農業交渉、貿易と環境、貿易と食品の安全性。
1977年に東京大学法学部卒業、農林省入省。
1982にミシガン大学行政学修士、1982年にミシガン大学応用経済学修士、2005年に東京大学博士(農学)
農林省において以下を歴任。ガット室長、地域振興課長、食糧庁総務課長、農林水産省農村振興局整備部長、農林水産省農村振興局次長。
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