http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/904.html
Tweet |
別に一人暮らしの老人に責任はないから、彼らを搾取と批判するのは間違っているが
ぽつぽつと点在する老人向けの介護や医療サービスは高コストで
非効率な上、老人の交流も阻害し、犯罪の温床にもなる。
彼らが集合住宅に移り、逆にファミリーが都市近郊中古住宅を安く利用できるような
制度的な枠組み、再開発投資、そのためのインフラ整備などが必要ということだ
http://news.livedoor.com/article/detail/5820856/
いまそこにある過疎
2011年08月30日00時01分
花水木法律事務所
通勤途中、住宅街の一角に、さら地を見つけた。「売地」の看板が立っている。「ここ、前に何があったっけ?」と考えても思い出せない。すこし感傷をともなうが、ここまでは、土地の代替わりとして、よくある風景だ。
ところが、「売地」の看板をよく見ると、3区画に分割されている。思いだしてみると、この種の分割は多い。100坪が50坪に、60坪が30坪に。50坪が3分割、というのもある。
少子化によって、日本の人口は減り続けている。普通に考えれば、住宅地は需要が減って、次第に広く、安くなるはずだ。それなのに、なぜ細分化されるのだろう?しかも、なぜ相変わらず高いのだろう?住宅購入世代に限って言えばまだ多い、ということもあろうが、一つの理由として考えられるのが、「住宅街の過疎化」だ。
昭和40年代から50年代にかけて開発された住宅地では、人口減少が進んでいる。マイホームを買った世代から子どもが独立し、配偶者が亡くなっていくからだ。古い住宅街の周りには、病院が集まってくるから分かる。どこも、朝から点滴を受ける老人で繁盛している。夕方のスーパーでは、小さなお弁当を一つだけ、買い求める老婦人が目立つようになる。こうして、昭和40年前後に建った住宅に、一人住まいの老人が増えていく。ファミリー世帯の住むマンションの人口密度に比べれば、一軒あたり老人一人しかいない住宅街は、立派な過疎地と言ってよい。老人ホームに入っても、子どもらは、親の存命中に実家を処分しないから、空き家として何年も放置される。こうして、一等地の住宅地が、どんどん過疎化していく。
老婦人たちは、駅近くの100坪の土地に立つ一戸建てで、一人お弁当を食べる。駅からバス10分の場所にある20坪のマンションでは,4人家族が夕餉を囲む。妻は、駆け回る子どもを叱りながら、「そろそろ一戸建てに住みたいわ」と愚痴を言うが、「うーん、先立つものがなあ」と夫は煮え切らない。
何のことはない。老人が広い一等地を一人(または無人)で占拠しているから、土地がなかなか空かず、空いても分割され、しかも高いままなのだ。
100坪の土地に一人で住む老人がいる一方で、20坪のマンションに4人で住む40歳台がいる。老人は、家と近所の病院とスーパーをまわるだけの生活なのに、40歳台のお父さんは、バス10分、電車1時間かけて通勤だ。そのうえ妻はパートに出ている。それでも蓄えでは、老人の住む土地の半分を買うのがやっと。しかも、老人の年金と医療費を、実質的に負担させられているのだ。
どう考えても、これは理不尽だ。親世代と同じく働いても、親世代と同じ資産と老後は絶対に手に入らない。日本を支える働き盛りで、住宅購入世代のお父さんとお母さんは、もっと怒るべきだと思う。怒らなければ、老人世代に搾取されるだけの人生で終わるだろう。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。