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返せといわれても資産は何も残っていなかった
【ワイキューブ】人気ベンチャーはなぜ潰れたのか4
プレジデント 2011年8.1号
漫画『ONE PIECE』のように、利害を超えて情熱を燃やせる世界があってもいいと思っていた。
大内祐子(プレジデント編集部)=構成 佐粧俊之=撮影
キーワード: リクルート 経営者・社長 ベンチャー・独立 人気ベンチャーはなぜ潰れたのか 経営・組織 投資・信託 再建・再興
返せといわれても資産は何も残っていなかった
安田佳生●「ワイキューブ」代表取締役社長。1965年、大阪府生まれ。高校卒業後渡米し、オレゴン州立大学で生物学を専攻。帰国後リクルート社を経て、90年ワイキューブを設立。新卒採用コンサルティングなどの人材採用関連を主軸に中小企業向けの経営支援事業を手がけ、社員研修事業、広告企画制作事業なども好調となった2007年には売上高約46億円を計上。オフィスにワインセラーやバーを設置するなど独特の福利厚生でも知られ、就職人気企業ランキングでは有名大手企業にまじり、20位内にランクインしたこともある。『千円札は拾うな。』など、著書も多い。
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安田佳生●「ワイキューブ」代表取締役社長。1965年、大阪府生まれ。高校卒業後渡米し、オレゴン州立大学で生物学を専攻。帰国後リクルート社を経て、90年ワイキューブを設立。新卒採用コンサルティングなどの人材採用関連を主軸に中小企業向けの経営支援事業を手がけ、社員研修事業、広告企画制作事業なども好調となった2007年には売上高約46億円を計上。オフィスにワインセラーやバーを設置するなど独特の福利厚生でも知られ、就職人気企業ランキングでは有名大手企業にまじり、20位内にランクインしたこともある。『千円札は拾うな。』など、著書も多い。
そういうときは、たいがい社長が自宅に資産をもっているとのことだった。だが、私は自宅も賃貸で、自動車ももっていなかった。貯金もいちばん多かったときで、500万円しかなかった。
高いワインを毎日飲んでいたのではと思う人もいるかもしれないが、そういうわけでもなかった。
たぶん、必要ないものをいろいろ買っていたのだろう。ソフトやインフラの売り込みも少なくなかった。いつの間にか、社員が売り込みの営業マンを私に会わせなくなっていた。
一括ではとうてい返せないことがわかり、銀行とは返済計画をリスケジュールすることで話がついた。代わりに金利も、それまでの2%から上がって年4%になった。それが08年秋前のことだ。
そこへきてようやく、人件費を含めて経費を下げようということになった。
それまでは、どれだけ金を使ってもいいから売り上げを伸ばし続けるといっていたのに、社員を集めて、「ケチケチ大作戦」というのもやった。笑い話のようだが、今日から自分たちはケチになるというので、ほんとうにそういう名前のキャンペーンを張ったのだ。
売り上げが減りはしたが、それに見合うように経費も人件費も圧縮して、09年3月期には28億の売り上げとなった。そこから盛り返していくつもりだった。だが、そうはいかなかった。とくに私たちは新卒がターゲットだったので、マーケットのなくなり方も急だった。
10年3月期の売り上げは14億5000万円。07年から09年の2年間で3分の2になり、次の1年でその半分になった。3年間で3分の1だ。そのときの落ち方は、なだらかな下降などではなく、180度下を向いているくらい真っ逆さまの感じだった。
その間、さらに経費を圧縮して、人件費も下げ続けていた。それまではずっと右肩上がりで、社員の給料も年俸ベースで上げてきていた。
「申し訳ありません。できる社長とはいえませんでした」
給料を下げることで、何がいちばん変わったかというと、社員のモチベーションだった。リストラはしないつもりだった。その代わり、一部の社員を休職扱いにしただけでも、全体のモチベーションは落ちた。抜けてほしくない優秀な社員も抜けていった。
東京地裁に民事再生法適用を申請したのが、11年3月30日。倒産の情報は、ツイッターですぐに広がった。帝国データバンクの倒産速報に記事が出たのがきっかけのようだった。フォロワーが一気に1000人も増えていた。会社へ問い合わせの電話もかかってきていた。
「期待してフォローしていただいた方、申し訳ありません。できる社長とはいえませんでした」
31日朝の私のツイートだ。先にお世話になった取引先に挨拶にいくつもりでいたのが、順番が逆になってしまった。
負債額は40億円。それでも銀行との返済計画の見直し交渉より、民事再生が決まったときのほうが、気持ちはずっと楽だった。
それまでの2年、銀行へは金利を含め年2億から2億5000万円を返していた。金利分だけで年1億2000万だ。これでは毎年3億円くらい利益を上げても、永久に返済し続けなければならないのではないかという感覚だった。
民事再生法の適用により、経営権が他に移るということも事実だが、もし可能だとしても私が社長をやり続けるのはどうかと思う。社長としての自分が機能していなかったことを、いまや認めざるをえないからだ。
どんなに売り上げが上がったときでも、私たちの会社の利益は常に1億くらいにしかならなかった。
コンサルティングがメーンであれば、ソフトウエア会社などと同じで、利益率も高く、経費といえばほとんどが人件費の事業だ。給料や時間をどう管理するかによって、利益は大きくもなるし、小さくもなる。いま考えれば、利益を出すという意味での事業の本質を、私はまったく掴んでいなかった。
いつも頭にあったのは、どうすれば社員がやる気を出して働いてくれるか、どうすれば彼らのモチベーションを上げられるかということだった。ただ、だからといって常に彼らとの一体感を感じていたかというと、それも違う。
どこかに、漫画『ONE PIECE』のように、利害を超えて情熱を燃やせる世界があってもいいと思っていた。あの時代のリクルートに自分はずっと憧れていたのだと思う。だが、リクルートにはなれなかった。いや、リクルートの中にさえも、そんな世界など、ほんとうはなかったのかもしれない。
>>「人気ベンチャーはなぜ潰れたのか」の目次はこちらから
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