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これからの家づくり @
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2011-08-18(Thu):(反戦な家づくり)
なんとも、漠然としてたいそうな表題を書いてしまった。
ちょっと失敗したかなと思いつつも、やはり書き進めてみたい。
一回ではとても書ききれないので、@ということにしておく。
おそらく、今回の震災で多くの人が気づいていることに、「持ち家政策」への疑問ということがある。
1945年8月
戦争により日本の都市に200以上が被災し、死者は33万人、負傷者は43万人、被災人口は970万人。被災面積は約6万4,000ヘクタール、約223万戸(住宅数の約2割)。
と、ウィキペディアには書いてある。
今回の津波による浸水面積が5万3千ヘクタールあまりであるから、面積においてはほぼ同じであるが、空襲は主に都市部であったことから、住民と住宅への被害は、桁違いに多かったはずである。
戦前の日本の住宅事情は、とくに都市部にあっては劣悪と言える状況であったようだ。
大都市では8割以上が民営の借家であり、所帯持ち家の平均が3坪〜6坪であったという。
詳細は、こちらの論文に詳しい
こちらの論文によると、戦前戦中から住宅不足は深刻だったという。
そこに、戦争による焼失住宅が232万戸。さらに、引き上げや疎開からの帰還で、住宅不足は420万戸。実に住宅数の1/3に及んだという。
戦後しばらくは、借地の上に立つ6坪程度の狭小住宅(おそらく連棟長屋と思われる)を、建物のみ購入するという、なけなしのカネによる持ち家化が進んでいく。
やがて高度経済成長が始まると、木賃アパートが急増し、住宅はそっちのけで産業への投資が進んでいく。資本にしても国にしても、庶民の住宅など、住めればいい という程度の認識だったようだ。
ところが、1970年代に入り、高度経済成長が一段落すると、住宅産業というものが登場し、住宅への資本の投下が進み、持ち家率は一気に上昇する。
その広さも、12坪以上のものが増え、住宅産業は高度経済成長以降の日本経済の大きな柱になる。住宅の投資は、そこから派生する消費が大きいために、見かけ以上の経済効果を期待された。
その結果、日本人の過半数は、持ち家を得るために働き、持ち家に住むために生き、持ち家の老朽化と共に老いていった。
働き続ける限りローンを払い続け、住宅の価格と同じくらいの利息を銀行に貢いできた。
さらに波及効果と言われるように、少しでも広い住宅に住むと、少しでも物を買いそろえ、日本人は働けば働くほど、なぜか貧しくなるという負のスパイラルに、少しずつ少しずつ落ち込んでいった。
それは、「消費者」 という言葉に端的に表現されている。
消費するために存在する人間。
働いて得たオカネはもちろん、その存在そのものを削り取られ消費する存在。
資本が 賃金という名目で投下したカネを、消費という行為で再度資本の流れに戻すための存在。
この消費者の典型が、住宅ローンのために生き働く姿であり、持ち家政策の実態であった。
夢のマイホームとか、理想の家づくりとか、私も含めて住宅業界で生きてきた人間は口にしてきた。
だが、反省を含めて、ちょっとこの辺で大きな構図を見直すべきではないか。
もちろん、持ち家の全てを否定するものではないし、理想の家づくりがいけないと言うつもりもない。
ただ、「持ち家政策」という手のひらの上で踊らされているのは、もう止めようじゃないか ということだ。
いろんなことを考えて、がんばって良い家を作っている人は、たくさんいる。
私も、その端くれであると思ってやってきた。
だが、しょせん、持ち家政策の手のひらの上で飛び回っていた孫悟空であったのではないか という忸怩たる思いが、胸に去来する。
では、どうするか。
この視点から、郊外楽園プロジェクトを深化させていきたいと思っている。
ということで、今日はお時間となりました。
続きは、また明日(か明後日かその次か・・・)
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