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http://www.toyokeizai.net/business/interview/detail/AC/7eb67c1255046e0f13a921e5bd0bcc4a/page/1/
「東洋経済オンライン」から標記を下記のように転載します。
=転載開始=
08/16 | 16:18
大竹氏は、日本人の市場競争に対する拒否反応を分析し、市場経済の本質に迫ったベストセラー『競争と公平感』の著者。5月25日に開催された第14回東洋経済LIVEセミナーでの大竹文雄氏による講演の模様を一部お届けする。
●日本人の市場に対する反感
本日は昨年出版させていただきました『競争と公平感』という書籍の内容に沿ってお話をさせていただきます。書籍が発売されたのは2010年。反市場主義的な鳩山政権が発足したばかりの頃です。
鳩山政権の発足は09年9月ですが、連立の三党合意文書には次のような文章が書かれていました。「小泉内閣が主導した競争至上主義の経済政策」で、「国民生活、地域経済は疲弊し、雇用不安が増大し、社会保障・教育のセーフティネットはほころびを露呈している」と。
それから鳩山さん自身が『Voice』に書かれた論文も注目を浴びましたが、そこにも「冷戦後から今日までの日本社会の変貌を顧みると、グローバルエコノミーが国民経済を破壊し、市場至上主義が社会を破壊してきた過程」という文章がありました。当時こういった意見が広く国民の間で共有されたために政権を取ったという形でした。
私自身は、それはちょっと行き過ぎだろうと思いながら、あえて『競争と公平感』という当時の世論の方向とは異なるテーマで本を書いたのです。
このような市場に対する反感は、鳩山さんが特殊だったというわけではなく、もともと日本人全体として拒否感があったのだろうと思います。
私は経済学者ですから、市場経済の効率的な面はデメリットよりも大きいと考え、研究してきました。一方でそういう常識と日本人全体の間の受け止め方の間に、随分ギャップがあるのではないかということも、もともと感じてはいました。
さらに、とにかく市場主義に対する反感により政権交代が行われたということがあり、どうも私たち経済学者が思っていることと、多くの日本人が感じていることの間にギャップがあるのだろうと思いました。
●日本人のギャップの実態
最初に、そのギャップの実態を実際の統計を使ってお話しします。市場という自由競争で効率性は高められます。しかしそれは、格差や貧困の問題を解消するわけではありません。
格差や貧困はセーフティネット、所得再分配で解決します。つまり、効率性と分配を分けて考えるということです。
本当は完全に分けられないのですが、できるだけ分けて考えることを経済学では教えようとしているはずですが、どうもきちんと伝わっていないという証拠が、後でお示しする統計で出てきます。
日本人の考え方と経済学の考え方が異なる一番の例は、小泉改革批判というところに典型的に表れています。
民主党政権が出てきた背景は、格差問題ですね。私の専門の1つである、所得格差の問題が拡大してきたという背景が、民主党の政権交代にはありました。
その際の議論はどうだったかというと、所得格差をもたらす諸悪の根源は、規制緩和だという流れでした。先ほどの鳩山さんの言葉では「市場至上主義」というのがそうですが、問題は規制緩和によって発生したと考えられています。
しかし、先ほど申し上げたとおり経済学者の多くは、もし格差問題が発生したら、所得再分配で解決すべきだという教科書的な考え方です。
一方で日本の世論はそうはいきませんでした。格差が発生したら、それは規制緩和によってもたらされたのだから、行き過ぎた規制緩和を元に戻すべきだという議論になったのです。
たとえば、タクシーの台数に関する規制緩和が行われてタクシー運転手の所得が下がりました。それは行き過ぎた規制緩和がもたらした問題だから、タクシー台数の規制を強化して、また元に戻すべきだということになりました。実際に規制強化がなされたのです。
おそらく経済学の普通の考え方では、賃金が下がったら、タクシーの運転手たちはほかの仕事に就くか、あるいは低所得で暮らせないということであればセーフティネットで補助していく仕組みをどうやって作るかが標準的な考え方だと思います。しかし規制を強化するという手法で戻していこうと考えたのです。
この典型的な日本人の市場に対する考え方をうまく表してくれる統計があります。『競争と公平感』にも書きましたが、アメリカのPew研究所が世界各国で定期的に調査しているデータの07年の項目です。
その中に、「貧富の差が生まれたとしても、多くの人は自由な市場経済でよりよくなるという価値観に同意するかどうか」という質問項目があります。
格差は生じても市場経済に賛同するという考え方ですが、その比率を主だった国について取り上げてみると、実は過半数、または7割以上の人たちが賛成している国がたくさんあります。その上位にくる国が意外に面白い。
大きな国の中ではインドや中国です。中国が市場経済にこれだけ賛成しているというところは興味深いです。それから韓国、イギリス、スウェーデン、カナダ、アメリカといったところが、7割以上の賛同を得ている国です。7割に近いのはスペインやドイツ。
そしてあまりこの考え方に賛成しないグループが、フランス、ロシア、日本となっています。特に先進国の中では、日本が圧倒的に賛同する比率が低く5割を切っています。私はこのデータを見て非常に驚きました。
それでは、市場経済をあまり好まない日本人は、国に期待するのかどうか。
同じ調査の中で、自立できないような非常に貧しい人たちの面倒をみるのは国の責任だという考え方に同意するか、という質問があるのですが、この質問でも、日本は例外的に賛同する比率が低いのです。5割は超えますが、それでも59%です。小さな政府を志向するアメリカは、日本に近いです。近いといっても7割なので随分離れてはいますが。
ここに、小さな政府と市場という1つの組み合わせが見られると思います。それ以外の多くの国は、やはり再分配と先ほどの市場経済という組み合わせを選んでいます。
ロシアは、大きな政府で市場経済を嫌うという、いかにも旧社会主義国らしい組み合わせです。中国は、どちらかというとヨーロッパを中心とした市場主義の国の考え方に近いことがわかります。
ここで言いたいことは、日本人の市場経済に対する考え方は、私たちが考えているミクロ経済学に書いてある考え方とは随分違うということです。
<図:日本人の市場に対する考え方 単位%>
(http://www.toyokeizai.net/business/interview/detail/AC/7eb67c1255046e0f13a921e5bd0bcc4a/page/3/)
●人の能力に差があったときに賃金格差があるのは不公平かどうか
なぜ日本人が国にも期待せず、市場を嫌うのかという理由は、私自身にもよくわからないのですが、もしかすると国レベルではなくて、会社をはじめとしたコミュニティの中で貧しくなったときに助け合うといったように、もう少し狭い世界を対象に考えていることに原因があるのかもしれません。
もう1つは、規制で競争を減らして、規制の中でレントをシェアするという考え方があったのかもしれません。
ただ、こういう価値観は変わらないかというと、おそらくそうではないと思います。その例として中国が挙げられます。
ケ小平以前の中国で、格差を是認するような考えを持つ人はいなかったと思いますが、中国人の留学生に聞いたところ、「教育で格差はいいことだと教えられる」ということでした。
格差はいいことで、それで競争が促進されて豊かになるという考え方を学校で教わるのですから、その教育の成果が出ています。
実際に、日本人の考え方が変わってきた例を1つ挙げます。
定期的に世界各国のいろいろな価値観を調べているアメリカのミシガン大学の世界価値観調査があるのですが、その中に次のような質問があります。同じ年齢で同じ仕事をしている人が2人いて、その能力に差があったときに賃金格差があるのは不公平かどうかという考え方です。
日本は1981年と90年の調査では3割から4割の人が、同じ仕事で同じ年齢だったら能力が違っても賃金が同じであるべきだと考えていました。もちろん過半数は、不公平ではないと言っています。
ところが95年には、同じ賃金であるべきだと考える人の割合は18%に減り、02年には12.5%まで減りました。おそらくこの間に、実際に日本の社会の中で年功賃金という制度が随分減ってきたことが反映されて、その価値観もここまで変わったのだと私は思っています。
比較的短期間の間に変わってきたということですから、市場に対する価値観も、実際の日本の市場のシステムや政治、制度、教育の変化に伴い大きく変わる可能性があるのではないかと思っています。
●就職氷河期における価値観の影響
次にお話ししたいのは、なぜこのタイミングで非常に反市場主義的な政権ができたのだろうということです。そのヒントとなる研究がいくつかありました。
市場主義という形があまり信頼されていない国は、日本以外にもいくつかあります。その特性を明らかにしたのが、ディ・テラ、マカロックという2人の研究です。
彼らの研究によれば、市場主義や資本主義を支持するかどうか国際比較統計で分析すると、価値観として大事なことがいくつかあるということでした。
1つは、勤勉が成功につながるという価値観を人々が持っているということです。コネではなく、努力したら成功するという価値観が、市場主義に対する信頼をサポートするために重要だと。
もう1つは、汚職がないということです。公務員が汚職でおカネを渡せば利権をくれるというシステムだと、成功は努力と無関係であるという形になるわけですから、汚職はない、勤勉が大事だというこの2つの価値観がある国では、資本主義や市場主義を多くの国民がサポートしているという研究結果が出ています。
私は、彼らの論文を読んだときに、日本は勤勉を重視する国だったはずだから、彼らの説では説明できないのではないかと思いました。しかし、実際にデータを集計して驚きました。
人生で成功するためには勤勉よりも運やコネが大事だと思っている人の比率を見ると、05年の時点で41%の人がそう思っていました。多くの国を並べてみると、どちらかというと運やコネが大事だと考えているグループに入ります。これは非常に予想外でした。
これを見て「なるほど。ディ・テラとマカロックの言っていたことは正しかった。日本人は勤勉ではなく、運やコネが成功するうえで大事なことだと思っている国に入っているから、反市場主義の国になっているのだ」と理解しました。
一方で中国は、運やコネが大事だと思っているのは25%。勤勉で成功できる国だと思っているのです。日本人の閉塞感は、大陸ヨーロッパで階級社会的な国、たとえばフランスやイタリアに近い。私は非常に驚いたと同時に、ディ・テラ、マカロックの研究に納得しました。
<図:運や価値観の重要性に関する価値観の調査 単位%>
<図:勤勉よりも運・コネが大事と考える日本人の比率の変化>
(共に、 http://www.toyokeizai.net/business/interview/detail/AC/7eb67c1255046e0f13a921e5bd0bcc4a/page/5/)
しかし私は、以前は日本人は勤勉を重視する国だと習ってきましたし、そのように思っていました。では、どこかで変わったのではないかと疑問に思い先ほどの世界価値観調査の過去の統計を見てみました。
05年は、先ほど申し上げたとおり41%ですが、10年前は実は2割、今から20年前だと25%という数字でした。その数値は、世界でも最も勤勉を重視するグループに入ります。やはり日本人の価値観は、1990年代後半から2000年代前半のどこかで大きく変化したと考えられます。
これは何によるのだろうと思っていたのですが、そのような価値観への影響について、ギウリアーノとスピリンバーグという人たちによる研究があります。
彼らの研究で比較的最近出た論文では、ちょうど就職する時期、18歳から25歳の年齢層のときに不況だったかどうかが、その世代の価値観を決めるということを明らかにしています。
高校や大学を卒業して就職する時期に不況を経験するかどうかが、大きな影響を与えます。このときに不況を経験すると、努力よりも運だと考え、再分配を支持します。再分配を支持する点は少し日本と違うかもしれません。また、公的な機関に対する信頼を持たなくなります。
こういった価値観を持つことで、市場主義、資本主義をサポートしなくなる傾向が生まれることを明らかにしました。
さらに、この価値観は年をとってもあまり変わらないことも明らかになりました。アメリカの年齢別、州別のデータを使い、各世代の人たちが卒業した時点で不況だったかどうかを調べ、価値観との関係を調査したことでわかったようです。
残念ながら日本ではきちんとしたデータはないですが、それに近いことを年齢階級別に分析すると、若い世代のほうが運やコネが大事だと考えています。もちろん全年齢層でそのように考える人が増えていますが、それでも若い人たちの割合が多い。
直感的には若い人たちのほうが実力を信じたいと思うと感じるのですが、それとはまったく逆で、年をとった人のほうが実力が大事だと思っているということは、90年代後半以降の就職氷河期が、価値観に影響を与えたのではないかと思っています。
日本に市場主義が根付かなかった理由はほかにも考えられます。シカゴ大学のジンガレスというイタリア人の学者が、市場主義が根付くかどうか、その違いがなぜ生まれたかいくつかの仮説を考えています。
世界でアメリカほど市場主義を信頼している国民はいないということですが、彼の説では、アメリカでは民主主義が早く発生して、大企業が生まれる前に根付いたことが理由ではないかということです。
それ以外の国では大企業が先にあり、大企業の活動を抑えようとすると、すぐ社会主義に向かう。市場競争は、新規参入で競争を盛んにするという考え方ですから、既存の大企業を保護するという考え方と、実は似ていて随分異なります。
参入障壁をもたらさないようにするのが経済学の考え方で、市場主義は大企業の活動をサポートすることとは一対一になりません。大企業の活動に反対しようと思うと、すぐ社会主義的な反市場主義になってしまう。
ところがアメリカでは、まだ大企業が生まれる前に資本主義、民主主義が発達して、その段階では政府の役割は重要でなく、政府のコネがビジネスで成功するうえで大事だという考え方もなかったという理由が1つあります。
もう1つは、特にアジア諸国を念頭に置いた議論ですが、アメリカ以外の国では、アメリカの企業の参入を阻止するために非関税障壁をいろいろなレベルで置きました。コネがないと市場に参入できないような、コネが重要な社会にあえてしたというのが1つ。
さらに、日本に当てはまると思うのですが、もともとマルクス主義の影響が強かった国では、市場主義と大企業主義、財界は一体化してマルクス主義と闘うという形になっています。それがたとえば日本人にとっては、市場競争が大事だと言う人は、すぐ大企業の肩を持つ人だと誤解されるようになったということがあります。
実際に、日本の経済財政諮問会議が小泉政権の前からできていましたが、そのメンバーは財界の代表と経済学者ということで、市場主義者と財界代表が一緒に入りました。アメリカの経済諮問委員会は、経済学者ばかりが入っています。
アメリカの政権全体としては大企業の人がたくさん入っているので、どこが違うのかといえるかもしれないですが、少なくとも経済財政諮問会議のメンバーは、財界と経済学者が民間代表として一緒になり、市場主義者の代表という形で入っています。
一般の人から見ると、経済学者と財界の代表は同じだと思われたのではないかと思います。そういうことで、反大企業と考える人たちは市場も嫌うのではないかと考えています。
●日本人は運、才能、学歴において実態と価値観のギャップがかなり広い
次にお話ししたいのは、なぜ小泉政権のときにあれだけ所得格差の格差論議が高まったのだろうかという議論です。
私は所得格差の研究をずっとやっていますが、少なくとも小泉政権のときには所得格差はそれほど拡大していないというのが事実発見です。確かに全体の所得格差は高まりましたが、多くは人口構成の高齢化で説明できるというのが、私の発見でした。
その後、00年代に入ってから少しずつ貧困率が高まってきたということは事実ですが、際立って所得格差が拡大したというわけではありません。それにもかかわらず、格差拡大議論が多くの人たちの賛同を集めたのです。
それはなぜかということについての意識調査が大阪大学のCOEデータです。
04年から調査していますが、06年の調査で所得格差の決定要因と、本来はどういうものが所得を決めるべきなのかという価値観について質問をしています。そして、日米でどのように回答が異なるのかを明らかにしました。
まず、努力や運、才能、育った家庭環境、学歴、これらが所得を決めているのかどうかについてイエス、ノーで聞きました。日本とアメリカで似ているところもあり、たとえばアメリカでは、所得の決定要因は努力だと思っている人が圧倒的に多い。日本は、アメリカほど多くはありませんが、7割ぐらいはそのように答えています。
運が決定要因かどうかについては、この年のデータでは、やはり日本人にそう感じている人がかなり多い。比率で見ると、アメリカのほうが努力を大事にし、日本のほうが相対的には運が大事だと思っているのです。
日米で違うのは学歴です。実際に、学歴間の賃金格差はアメリカのほうがはるかに大きいので、それと対応しています。そのほかアメリカでは才能で所得が決まっていると思っている人が6割もいますが、日本では3割しかいません。
本来はどういうものが所得を決めるべきなのかという価値観で見ると、日米で随分違いがあります。
日本では、努力で決まるべきだと思っています。運などで決まってはいけないと。ほかの要因などほとんど影響してはいけないと思っています。
ところがアメリカでは、たとえば運についてもある程度寛容ですし、才能についてはさらに寛容です。6割の人が所得は才能で決まっていると思っていますし、決まるべきだと思っている人は5割もいます。学歴についても同じです。
つまりアメリカのほうが、運を別にすると、実態と価値観との間の乖離が少ない。日本人は運、才能、学歴といったところで実態と価値観のギャップがかなり広いということがわかります。
<図:所得の決定要因に関する価値観と意識>
<図:所得は何で決まるべきか>
(共に、http://www.toyokeizai.net/business/interview/detail/AC/7eb67c1255046e0f13a921e5bd0bcc4a/page/8/)
このギャップがどうも格差感をもたらしたのではないかと思い、実際に調べてみました。
まず、過去5年間にどれくらい格差が拡大したかの認識について、日本では06年の調査で平均的には7割の人が拡大したと思っています。アメリカでも過半数を超えています。
その中で、先ほどのギャップを調べました。運・不運で所得は決まるべきでないと思っているが、実際はそうなっていると感じている人たちを特定します。特定した人たちだけに限り格差拡大を認識しているかどうか比率を調べました。
日本でギャップを持っている人の格差拡大感は平均よりも5%高いポイントが見られました。アメリカでも同じです。また、運が所得に影響するようになったと思っている人たちは、将来の格差も拡大すると感じています。そういったギャップを持っている人の比率は日本がアメリカより高く、37.9%です。
つまり、自分の価値観と実態との乖離が発生している人たちが、格差感を随分持ったと考えられます。学歴で所得が決まるべきではないのにそうなったと思っている人たちは、日本だと半分以上です。一方でアメリカは2割。アメリカではあまりギャップがありません。
学歴による差がついてきたことが、日本の格差感に大きな影響を与えています。ここで申し上げたかったのは、どうも実際の所得格差がどうかという話ではなく、どういう形で所得が分配されるべきかという価値観と実態の間に生じたギャップが、あれだけの格差騒動をもたらしたのではないかということです。
そのほかこの調査で衝撃を受けた結果が、機会の平等です。将来豊かになる機会が平等にあるべきだという価値観と実態について聞きました。価値観としては、アメリカと日本、どちらも誰もが豊かになれるべきだと思っている人たちが多い。
そうでないと考える人たちもいることも驚きましたが、もう1つ驚いたのは、日本ではそういう機会が平等にあると思っている人は15%しかいないということです。アメリカは43%。実際にそうなのかどうかは、おそらく別だとは思います。
日本人のほうが平均的にはみんな豊かになっていると思いますが、そうなっていないと思っている人たちがかなり多いのです。
年齢階級で見るともっとはっきり出てきます。歳をとった人たちのほうが、誰もが豊かになれると思っている人の比率が高い。しかしこれは、もちろん非常に低い中での話です。
しかし、働いている若者から中堅までの50歳未満の年齢層は機会の平等が満たされていないと思っています。
アメリカ人も年齢階級の動きとしてはかなり似ていますが、レベルが大きく異なります。アメリカンドリームを信じている人たちは日本より、はるかに高いレベルで存在するということです。
このように、日本では所得格差が自分の認識と違って拡大し、あるべき所得格差の姿とのギャップがあること、そして将来にわたって豊かになれるチャンスそのものも減ってきたと思うようになったことで、格差騒動につながっていったのでしょう。
就職氷河期の話になりますが、非正社員として就職した人が、正社員になかなかなりにくい。特に日本の場合、高卒の人はだいたい10年経てば最初の就職が正社員か非正社員なのかは関係なくなりますが、大卒の人は最初に非正社員で就職した場合、10年を超えてもそのまま影響をもたらしてしまうというのが最近の私たちの研究です。
私たちの研究を受け、いくつかの日本の労働経済学者の研究でも明らかになっています。昔は、特に男性で大卒の場合は正社員になるのが当たり前でした。今は、男性であっても非正社員は10%を超えています。大卒に限ると少し減ると思いますが、それでもかなりの比率で存在するようになっています。
90年代前半までは、働いている男性の中で非正社員は3%ぐらいでした。今は、若年層だと大卒・高卒を合わせて10%を超えています。その中で、所得格差のギャップや機会の不平等に対する認識が広まってくることは、仕方がないかとは思っています。
就職氷河期で、非正社員として長く働いている人が出てきたことで、流動性がなくなり閉塞感が生まれてきたこと。そして、努力ではなくて運・不運で生涯が決まってしまうという価値観というのをもたらしてきたのです。
就職氷河期の閉塞感は、単にこのような価値観をもたらすだけではなく、市場競争に対する支持を失ってしまうという意味で、非常に大きな問題点をはらんでいます。
どの国でも、不況は若い人たちにシワ寄せが行きますが、特に日本の労働市場において正社員と非正社員が分かれているところは、その影響が長期間続きやすい。そして若い人たちの価値観に大きな影響を与えてしまいます。
将来、グローバル化が進み新興国との競争が激しくなっていく中で、競争に対する拒否感を持った人たちが増えてしまう。さらに市場主義そのものを信頼しなくなるという悪循環が生まれるという問題点があると思っています。
彼らの価値観を変えるためにも、若い人たちの就職の場をどう拡大していくかが大事だと思っています。
●価値観の経済への影響
同じ実態があっても、価値観とのギャップがあると多くの人が不満を持つということをお話ししましたが、価値観は一種の文化です。その国が持っている文化と実態がどう乖離するかによって問題が引き起こされています。
その価値観が経済のパフォーマンスに影響を与えているかもしれないというのが、最近の経済学で関心を持たれていることです。たとえば、次のような研究があります。
ハーバード大学のバローの研究ですが、教会に行く人たちが多い国ほど経済成長率が低いという結果があります。また、天国や地獄を信じている人の比率というデータもあって、その比率が高いと経済成長率が高いという研究もあります。
天国や地獄を信じると経済成長率が高くなるという議論にかかわる最近の研究で、個人主義と経済パフォーマンスが関係しているのではないかというものがあります。
何を元にしているかというと、ホフステッドという心理学者が世界各国の個人主義の程度を調べたデータです。個人主義というよりは、たとえば企業で訓練を受けているかとか、そういう企業に従属しやすいか、企業ではなくて個人の生活を重視しやすいかというようなイメージで、私たちが思うような個人主義とは少し違う指標になっていますが、いずれにしても彼が世界各国のIBMの社員を対象に行った調査があります。
それによるとアメリカはいちばん個人主義的な国で、アジア諸国が集団主義的な国。日本はだいたいその中間ぐらいに位置しています。
理論的には、個人主義と集団主義でどちらの経済成長が高いかは、はっきりしていません。集団主義では協調性が重視されるので、組織効率が高まり経済成長が伸びることも考えられます。一方で個人主義が強い場合は報酬や名声が個人に帰属するので、新しいアイデアを出そうということになり、技術革新に有利になる可能性があります。
今は技術革新の時代だから、技術革新が盛んになる個人主義の国のほうが有利ではないかというのが、彼らの結論です。
一方で豊かな国ほど個人主義になるのではないかという可能性もあります。彼らはそれをどう分析したかというと、個人主義の程度がひょっとして遺伝で決まっているとすれば、遺伝を示すような変数で個人主義の程度を説明してみたらどうかということでした。
そこで彼らが行ったのは血液型分布です。これはO型がどうだとかA型がこうだというのではなく、ABOの比率がアメリカとどのくらい近いかという距離を測ったものです。そして、先ほどの個人主義との関係が説明できるのかどうか。つまり分布の特性であって、B型は個人主義的などという話ではありません。
実際に見てみると、個人主義の程度がアメリカに近いほど、血液型分布も近くなるというきれいな関係が見られました。ほかの指標もありますが、ある程度生物学的なことで人々の文化が決まっていて、たまたま今の時代には個人主義の国が有利なのではないかと議論をしているのです。
私は、それで全部決まるとは思っていませんが、彼らによれば、生物学的に文化が決まっていたとしたら、その文化を変えるのは難しい。よって文化に合った経済政策をしようということです。
この議論が正しいとすれば、日本はまだ希望が持てます。国際比較のデータで見ると、日本は前述したように集団主義の国ではなく個人主義との中間です。そうすると、どちらが有利になっても生き残っていけるでしょう。
個人主義、集団主義、両方のタイプをうまく使ってそれぞれに見合った働かせ方ができるのだと、彼らの結論を解釈することもできるのではないかと思っています。
おおたけ・ふみお
大阪大学社会経済研究所教授。1961年生まれ、1983年京都大学卒、1985年大阪大学大学院博士前期課程修了。経済学博士。大阪府立大講師、大阪大学社会経済研究所助教授などを経て現職。著書に『日本の不平等−格差社会の幻想と未来』『経済学的思考のセンス』ほか、雑誌や新聞への寄稿も多数。
=転載終了=
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