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株式日記と経済展望
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国債はいずれ償還されるのだから国債の発行は無意味だとする論理が
おかしいように、政府発行紙幣は金利も償還の期限もない国債と同じだ。
2011年8月1日 月曜日
◆「政府紙幣発行で財政再建可能」のウソ 8月1日 國枝 繁樹
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110726/221685/?P=3
政府紙幣は、恒久的な財源になるのか?
最近では、政府紙幣の発行で財政再建ができると主張する者もいる。政府紙幣とは、中央銀行ではなく、政府が直接発行する紙幣である。政府紙幣を現在の硬貨と同様の形で発行した場合、政府紙幣の流通額の増分からその製造コストを差し引いた額が歳入となる(現行制度下では、貨幣回収準備資金への繰入分を考慮する必要があるが、簡単化のため、無視する)。
この点だけ見ると、一部の論者が主張するように「政府紙幣をどんどん刷ればいくらでも財源がある」と思うかもしれない。しかし、そうした主張は貨幣需要側の制約の存在を忘れている。政府紙幣が日銀券と完全に代替可能な通貨だとすれば、国民にとっては、政府紙幣でも日銀券でも同じなので、政府紙幣の増加分だけ、日銀券の保有を減らす。それに対応するため、日銀は国債を売り、日銀券を吸収する。
その結果、日銀保有の国債残高が減少し、金利収入が減るので、日銀納付金も減少する。簡単な計算により、現在および将来の日銀納付金の減少額の現在価値は、政府紙幣による増収額と一致することを示すことができる。結局、現在価値ベースで見れば、政府紙幣の発行により政府の歳入は増加しない。
ただし、上述のように、通常の貨幣需要側の制約は、流動性の罠においては一時的に外れる。従って、経済が流動性の罠にはまっている間は、理論上は、政府は日銀券の減少を伴わず、大量の政府紙幣を発行することが可能となるので、政府紙幣の大量発行で巨額の財源を確保できると思う読者もいるかも知れない。
だが、流動性の罠を脱すれば、再び貨幣需要側の制約が効いてくる。高インフレを招かないためには、政府紙幣または日銀券を減少させる必要が出てくる。仮に政府が直接、政府紙幣を回収すると、今度は政府紙幣の回収に伴って、政府は損失を被ることになる。直感的に言えば、流動性の罠の間は安い製造コストで印刷した紙切れを例えば政府紙幣1万円として大量発行することで利益を得ることができるが、流動性の罠を脱する際には政府は同じ紙切れを1万円で回収しなければならないので、損失が発生するのである。
実際には、直接、政府が政府紙幣の回収を図るのではなく、日銀が国債の売却を通じて、日銀券または政府紙幣を回収する可能性が高いだろう。その場合には、やはり日銀の国債保有残高が減少し、日銀納付金が減少する。この日銀納付金の減少額の現在価値は、流動性の罠の間に通常の貨幣需要側の制約を超えて発行された政府紙幣による財源確保額に一致する(政府紙幣に関するより厳密な議論は、大久保和正氏の論考を参照されたい)。なお、政府紙幣のみならず、日銀券によるヘリコプター・マネーについても同様の議論が可能である。
政府紙幣による財源調達を主張する論者は、政府紙幣の発行の際に生じる利益だけに着目し、正常な状態に回復する際の回収に伴う損失を忘れていることが多い。政府紙幣の回収の際の損失を無視するのは、狸の札がいずれ元の姿に戻ることを忘れるようなものである。
狸の札に惑わされることなく、増税や歳出削減により地道に財政再建を進めることが求められる。
(私のコメント)
國枝繁樹氏は東大経済学部を出て大蔵官僚となり、現在は一橋大学院の助教授だそうですが、財務省の増税議論は日経ビジネスの記事を読めば分かる。國枝氏は財政は黒字でなければならないと考えているようで、だから財政再建が第一の重要政策となってしまう。財政が黒字と言うことは経済が未熟で信用が成り立っていないところでは当然のことだ。
しかし現代は信用通貨制度の時代であり、通貨は信用があればいくらでも発行する事が出来る。だからこそ日本政府は国債を発行して財政を賄っていますが、借金による財政は間違いなのだろうか? もちろん借金をしすぎれば金利も支払えなくなり、国債を買う人がいなくなるから成り立たなくなる。そうなる前には金利が上がり国債は暴落する。
今回の大震災の復興財源に関しても、國枝氏は財政黒字の蓄積から復興財源を賄うべきだと言う意見は理解不能だ。このような財政黒字論者が財務省官僚の意見ならば税金は果てしなく上昇して行くだけだ。このような官僚に野田大臣も囲まれて洗脳されてしまうのだろう。財政が黒字になれば政治は減税して収支バランスをとるようになりますが、将来の為に溜め込むのは天下りの特殊法人のやることだ。
もちろん財政は均衡していれば理想ですが、最近では国債財源で半分近くを賄うことは普通になっている。財務省官僚にすれば税金で財政を賄いたいと思うのは分かりますが、国が国民に借金をして財政を賄うのも正常な形だと考えるべきだろう。税金は国家権力で国民から富を奪うことですが、国民から借金をして賄うのは、国民にそれだけの金があれば借りたほうがいいのではないだろうか?
税金は支払えなくなれば国税が差し押さえて富を奪い取りますが、国債を発行して賄えば余剰資金で買われるのだから問題は無い。日本国内には金が有り余って使い道がないから銀行は国債を買う。このような仕組みは課税制度よりも健全であり、財政を余剰資金で財政を賄えればこれほど理想的なことはない。
財務省がなぜ国債で財政を賄うよりも税金で賄おうとするのは、税金で徴収すれば償還の義務がないからだ。国債ならば毎年の利払いコストもかかるし、償還期限が来れば返す必要がある。このような形態は民間企業なら当たり前の仕組みなのですが、国家権力は税金と言う形で国民の金を奪いたがる。国家が未熟で経済も黎明期なら税金と言う形で集めないと賄えないだろう。国債を発行しても買う人がいない。
しかし現代では、銀行は借り手のいない預金を持て余しており市場は国の国債発行を求めている。財務省官僚にとっては国債は借金だからいつかは返さなければならないということが頭から離れないのだろう。しかし税金による黒字財政こそ健全だと言う考えそのものが間違いなのだ。
財務省為官僚や日銀官僚は、通貨と言うものがどういうものか分かっていないのだろう。昔なら金などの兌換紙幣でしたが、経済が高度化すれば金では間に合わなくなり信用通貨制度が当たり前になった。そこにおいて通貨の価値の裏づけになるのは生産力や労働力や技術力であり、生産性は幾何級数的に拡大している。だから通貨もそれにふさわしいくらいの流通がなければデフレになる。
財務省や日銀官僚はバカだからその仕組みが分からない。コンピューターによる生産の合理化は100倍1000倍の生産力の増強になり、通貨も100倍1000倍に増やしていかなければ、生産過剰で消化しきれなくなる。昔は1日に1個しか出来なかったものが100個も1000個も出来るようになり、売り上げも100倍から1000倍にならなければなりませんが、客に買う金がなければ値下げして売るようになる。それがデフレだ。
国内で売れなければ海外に輸出して売っていますが、貿易黒字が溜まって円の価値が上がる一方だ。貿易黒字と共に円も発行していかなければ、海外に対しても売れなくなる。それに対して日銀は通貨の発行を抑えているから円が上がり海外にも売りにくくなる。これは経済力が強くなればしなければならないことであり、アメリカもかつては世界の工場となりドルをばら撒いて基軸通貨にした。
政府紙幣の発行は、日銀がなすべきことをなさないから出てきた議論であり、日本の経済力の拡大に伴って円を世界にばら撒いていかなければ、いつまでもデフレと円高に悩まされるだけだ。大英帝国もアメリカも世界の覇権国家になるころは長い間デフレに悩みましたが、ポンドやドルをばら撒いて基軸通貨になってきた。今度は日本の円が基軸通貨になる時代が来ているのかもしれない。
國枝氏の発想は、課税による国家財政を賄うと言う発想は間違いであり、政府も市場から資金を調達して財政を賄うほうが合理的だろう。国債が売れなくなるときは金利が上がりインフレ経済になったときであり、その時は比重を税収に置くようにすればいいのだろう。インフレになれば自動的に税収も増えるから、それで国債の償還をしていけばいい話だ。
民間に金が余っているのだから国債の発行で財政を賄うことは合理的であり、財政再建を今やることは間違いだ。国債の発行残高が1000兆円になっても超低金利であり、円高も続いていると言うことは国債をもっと発行して日銀が買い取って円を世界にばら撒いて行かなければ、ドルは世界の基軸通貨としての命は尽きかけている。
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