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最近では日本のみならず、欧米においても、財政再建や国債の残高に関する議論が活発になっている。その背後には、欧米諸国がリーマンショック以降に強めた拡張的財政政策の結果として積み上がった、巨額の国債残高がある。この残高の積み上がりまで考慮する場合、拡張的財政政策の総合的な効果をどのように考えるべきだろうか。
「1%の財政支出増大でGDP約1.5%増大」?
財政出動の成果を判断する際に、「乗数効果」という考え方がある。多くのマクロ経済学の教科書では、初めにケインズの乗数理論が説明されている。
この理論では、家計は所得の一定割合を消費すると考える。これを限界消費性向という。限界消費性向を「c」とすると、財政支出が一単位増加すればGDP(国内総生産)が「1/(1-c)」だけ増えることが示される。これを財政乗数と呼ぶ。限界消費性向が0と1の間にある限り、財政乗数は1以上になる。乗数が1以上であるということは、拡張的財政政策が政府支出以外の需要項目も刺激し、全体として経済拡張効果を持つことを意味するわけだ。
乗数理論が産出量の決定のみに分析の焦点が置かれるのに対し、産出量と利子率の両方を分析するIS-LM分析という手法がある。これによれば、財政支出の拡大によって利子率が上昇する結果、投資が減少すると考えられるため、IS-LM分析が予測する財政乗数は、乗数理論が予測する財政乗数よりも小さくなる。
もっとも、流動性の罠に陥っているような経済では、利子率が上昇しないために投資が減少するような効果は生じない。現在の日本や欧米のように、名目利子率がゼロに近いような経済では、ケインズ経済学で考える限り、財政支出は有効な政策手段のように思える。従来のケインズモデルの色彩の強い、FRB/USモデルを用いたローマーとバーンスタインは、リーマンショック後に米国が行った拡張的財政政策ARRA(American Recovery and Reinvestment Act)の効果について、「1%の財政支出増大に伴って、GDPが約1.5%増大する」と推計した。
実証研究では所得が増えても消費は増えなかった
しかしながら、彼女らの推計は多くのマクロ経済学者から批判された。現在の経済学は家計や企業のより動学的な行動に焦点を当てるからだ。
現代マクロ経済分析の標準枠組みのひとつである、ニューケインジアンモデルを用いた分析では、財政乗数は伝統的なケインズモデルによる予測値よりも小さくなることが一般に示される。その理由は、拡張的財政政策によって所得が増えたとしても、多くの部分を貯蓄に回すと予測するからである。
実証面においても、テイラーは「米国のARRAによる可処分所得の増加は、ほとんど消費を増加させていない」と主張している。テイラーの実証が正しいならば、ニューケインジアンモデルの予測のほうが、現実的であると考えられよう。
国債残高の増加は長期的に「負」の影響
財政拡大に伴う国債残高の増加がどのような効果を経済に与えるかということも論点となる。「政府は最終的には増税によって国債を償還しなければならない」と仮定すれば、増税が与える影響を定量的に考える必要がある。
ここで重要なことは、租税は経済活動にさまざまな形で資源配分に歪みを与えるということである。例えば、所得税は労働意欲を減退させるので産出量を下げる効果がある。例え財政支出の増大によって短期的に産出量が上昇したとしても、国債を償還する過程で産出量が減少する可能性があるわけだ。
例えば、ドラウツブルグとウーリグは、「短期的な財政乗数は0.5程度で『正』であるものの、 長期的には-0.42と『負』である」と推計している。拡張的財政支出の長期的帰結は、経済を収縮させるだろうということだ。
このように、国債残高の増加は増税に伴う資源配分の歪みを通じて経済に負の影響を及ぼす。しかし、国債には負の側面しか存在しないわけではない。
政府の健全な課税能力が不可欠
民間経済主体と政府の根本的な違いは、政府は課税をできるということである。政府の負債である国債の信用力が民間経済主体の負債の信用力よりも高いのは、この課税能力のためである。政府はその課税能力を背景に、安全かつ良質な担保となりうる資産としての国債を市場に提供しているのである。
このことは非常に重要だ。特に金融市場の機能が低下している経済では、民間経済主体同士の貸し借りによって良質な貯蓄手段が十分に形成されない。このような経済では、政府は国債という良質な貯蓄手段を提供することを通じて資源配分を改善することができる。
国債残高の増大が経済に与える長期的な影響を評価する際には、国債の良好な貯蓄手段としての機能と、それをファイナンスするための課税による資源配分の歪みの双方を考慮する必要がある。
国債が良好な貯蓄手段として機能するためには、それに見合う健全な課税能力が欠かせない。そのため、政府の課税能力に信任が得られているかということは非常に重要である。
将来の財政再建の展望を見出せないような場合には、国債はその最も重要な機能を失い、拡張的財政政策の長期的な帰結は非常に悲観的なものとなるであろう。
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「拡張的財政政策によって所得が増えたとしても、多くの部分を貯蓄に回すと予測するからである。」
このことは、国民の多くが国家財政の持続可能性に確信が持てる場合には成り立たないだろう。将来不安がないのであれば所得が増えれば消費を増やすことになる。残念ながら現在の国民の多くは、財政の持続可能性をまったく信用していない。そうであれば、所得の増加分を貯蓄に回すのは当然の成り行きである。
仮に政府が財源の裏付けなしに、国民一人当たり毎月10万円を現金で支給したらどうだろう。毎月必要な約12兆円の現金は、法律を改正し、日銀が輪転機を回して、日銀券の増刷によってまかなうしか方法がない。1年では144兆円に達する。これだけの金額の紙幣を毎年ばらまいたとしたら、流動性のワナにはまっている日本経済といえども、必然的に猛烈なインフレが発生することになる。国債の長期金利は急上昇し、国民の貯蓄は急激なインフレの結果、大幅に目減りする。資産の裏付けのない日銀券の大量増刷は、円の暴落を招き、インフレに拍車をかける。倒産が多発し、給与だけでは生活できなくなった多くの国民が、物々交換で日々の生活を維持しようとする。巨額の国債残高は猛烈なインフレの結果、たいした金額ではなくなる。国民生活の破綻と引換えに日本政府は財政再建を実現する。
メデタシ・メデタシ。
少々荒っぽいやり方だが、進退窮まった国家はこのくらいのことをやりそうな気がする。
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