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北欧もノルウェーの極右テロに見られるように決して理想郷ではないから
個人的には制度をまず学ぶべきだと思うが
経済弱者への愛と平等意識が多数派に共有され無ければ制度も根付かないか
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20110721/221600/?ST=print
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社会保障、日本に「愛」と「平等」を スウェーデンに学ぶべきは「制度」ではない
2011年7月26日 火曜日
加藤 修平
今、「社会保障」というテーマが日本の政策の軸にある。この言葉の堅苦しいこと限りない。要は生きるために困っている人に手を差し伸べる「助け合い」なのだろうが、これに「カネ」が絡むから政策の大問題になる。政策とは、限られた資源を最大の効率を生む分野に投資する手段に他ならない。
この堅苦しいテーマについて日経ビジネス7月18日号で特集を担当した。私がチームを組んだのは大先輩のある編集委員(K.T氏)だ。
特集という大掛かりな記事を仕上げるには、担当者は何度も打ち合わせを繰り返す。会社で会い、喫茶店で会い、時には酒も飲みながら。しかし、相手はベテラン編集委員。知識、経験ともに若造(35歳)の私では歯が立たない。
東京で社会保障制度に詳しいスウェーデン人に巡り合えた
しかし、先輩に言われるまま働くのでは、私の貢献は小さくなってしまう。何とか独自の観点で役立つ記事を書きたい。そう考えていたら、先輩の編集委員はどうもスウェーデンの政策に興味を持っていることが分かった。「高福祉・高負担」のモデルで成功したと言われている国である。
そこで考えた。「学者とか政府職員ではない、普通のスウェーデン人に話を聞けないものか」。所得の6割近くを社会保障費として政府に納める生活になぜ耐えられるのかを聞いてみたかった。しかし昨今、スウェーデンへの出張など簡単に言いだせる雰囲気ではない。そこで友人の紹介で巡り合ったのが、東京都内の英会話学校で働くグスタフ・ロヴクヴィストさんだ。T氏を誘い、都内の喫茶店でインタビューをすることになった。
出会ってみると、ハンサムな好青年。聞くと1976年生まれの35歳とのこと。やはり世界共通、私と同じくこの年に生まれた人に悪い人間はいないようだ。大学で政治を学んだ経験があるとのことで、スウェーデンの社会保障制度について、その歴史から分かりやすく教えてくれた。
話し始めて15分。インタビューする側、される側の双方が気付き始めた。話がかみ合わないのである。
一例がこのやり取りだ。
問:「あれだけ高負担だと、所得の多いお金持ちには不満がたまるのではないですか」
答:「論理的に考えれば、そうだけど。しかし、多くの人はスウェーデンに残っています。多くの富を得ることが、すごくいい話だとは、誰も考えていないよ」
要は制度の違いというよりは、価値観の違いなのだ。ロヴクヴィスト氏はこうも続けた。「私達の親の世代が今のスウェーデンを作った。リッチになるチャンスだってあったはずさ。でも、リッチになってできることって、大きな家を買うことぐらいだろ。だから、シンプルな社会を作ることにしたんだ」
シンプルな社会。それは「社会的な連帯がポイント」だという。政治を学んだというだけに堅苦しい表現だが、それは家族や身近な友人を大切にするということだ。そのための負担は負担ではなく、必要なことだ。
スウェーデンは高福祉の社会だという。では、託児所は真夜中まで開いているのか?と聞くと、スウェーデンでも17時には閉まるという。夫婦は共働きが「100%当たり前」(ロヴクヴィスト氏)だから、夕方になれば夫か妻のどちらかが、子供を託児所に迎えに行く。仮にそれで会議に出られなくなっても、周りもみな同じ境遇だから、それはOKだ。
スウェーデン人はお金より時間
スウェーデン人はお金より時間を大事にするという。だから仕事は夕方までにさっさと片付ける。効率性・生産性への意識は高い国だ。そのせいだけとは言えないが、2000年以降のスウェーデンの経済成長率は日本のそれを大きく上回っている。日本のサラリーマンの残業癖は、スウェーデン人には滑稽に見えるに違いない。カネも時間も無駄にしているのだから。
話を戻そう。日本の社会保障を巡る政策論は、「制度の不備」に目が行きがちだ。急病人が病院をたらい回しにされたことが話題になれば、医師の不足が問題となり、医師の増員に重点を置いた議論が進む。少子化対策では、まだ20歳代で所得が比較的少ない時期の経済的な支援が話題になる。
確かに重要なテーマだ。しかし、それが政策である限り、私は何かの思想があるべきだと思っている。万能の政策などないのだ。どんな考えに基づくかによって、政策の在り方は違ってくる。
私がロヴクヴィスト氏と話して感じたのはこの点だ。日本の政策には「愛」と「平等」という思想が足りないのだ。
この2点のうち、分かりやすいのは「平等」の思想だ。
例えば自治体が子どもの医療費を無料にしている政策に私は反対だ。1児の父親としてこの制度の恩恵を受けているが、これは子どもを持たないという選択をした世帯にとって不平等な仕組みだ。「子どもがいる」ということは貧困とは違う。所得移転を受けるほどのことではない。むしろ、その分を不妊治療の費用に悩む世帯への給付にあてたほうが、少子化対策としてもよほど意味があると思う。「子どもをつくる」という機会については、平等であることが望ましい。
子ども手当もそうだ。子どもが親の経済力によって将来を左右されないようにしようというならば、所得制限を設けるべきだろう。子どもがいる世帯だけあれだけ優遇するのは、子供がいない、できない世帯にとって不平等だ。しかも今の日本は公立高校まで授業料はタダで通うことができる。あれだけの現金給付をもらっても、多くの家庭で子供の教育費としての使い道はないはずだ。
そして政党によっては、子ども手当が選挙向けのアピールになると考えているフシがある。子育て世帯の支持が集まるということだろうが、バカにしないでほしい。もともとは私達が払った税金だ。それを自治体に支給させることで事務費が生じている。それなら、せめて子育て世帯の税額控除にしてほしい。全国の税務署を活用できるのだから、無駄なコストはここでは追加されない。
ロヴクヴィスト氏によると、スウェーデンでは病院でかなり大がかりな手術を受けても、2週間もすれば退院するのが当たり前だそうだ。そこにあるのは徹底した「効率化」の思想。社会的連帯が重視されるからこそ、帰宅してから周りがサポートできるという感覚もあるのかもしれない。
2年ほど前。北九州市で独居するお年寄りの取材をしたことがある。自宅に伺ったところ、本人はいたって明るい、趣味も持つ話しやすいお年寄りだった。しかし、生活にはなかなか苦労していたようだ。部屋にエアコンはなかった。
この人が住む団地の目の前には、大きな病院があった。仮に倒れても、救急車で通りを2、3分走れば、救急病棟に着くだろう。しかし、倒れた彼を誰が見つけるのか。同じ団地に身内はいない。周りの多くは、同じように1人暮らしのお年寄りだ。病院が多くあり、近くにあっても、救われないのがお年寄りなのだ。必要なのは彼らを支え、そして彼らも支える側の1人となる平等な社会であって、病院だけではない。
日本は「高福祉・高負担」への道のりを歩むのか。私は避けられない道だと思う。お年寄りの数は増え、働く世代の人口は減る。単純に考えても、お年寄りをサポートするだけの負担はやむを得ないだろう。
しかし、今のままではそれが成功するとは思えない。仮に医師と病院の数が今の3倍になったとしよう。前述のお年寄りはそれでも、福祉が充実したとは感じないだろう。家族、地域というコミュニティーが崩壊した今の日本で、高福祉の政策が福祉の充実につながるとは限らない。
社会を平等に支えるという思想があるからこそ、誰もが受益者であり負担者でもある「高福祉・高負担」が成り立つのだと思う。制度に平等の思想がない以上、高負担に不満が集まるのは当たり前だ。
もう1つ、ロヴクヴィスト氏との間で印象的なやり取りがあった。
問:「日本では女性が結婚する際、男性の経済力に強い関心を持つことが多いようですが」。
答:「スウェーデン人は愛で結婚するよ。お互いに。だから離婚率が高いのさ」。
両親が離婚した子も、そうでない子も平等に扱われる。だから社会保障制度が充実しているとある専門家が解説してくれた。
日本とスウェーデン。違うのは制度ではない。「愛」と「平等」の思想だ。
このコラムについて
記者の眼
日経ビジネスに在籍する30人以上の記者が、日々の取材で得た情報を基に、独自の視点で執筆するコラムです。原則平日毎日の公開になります。
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著者プロフィール
加藤 修平(かとう・しゅうへい)
日経ビジネス記者。日本経済新聞社に入社後、大阪経済部、東京産業部、東京経済部を経て2009年4月より日経ビジネス記者。
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