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働けど働けど
なお我が暮らし楽にならざり
じっと手を見る
(石川啄木)
石川啄木がこう詠んだときから、貧困は個人の責任ではなく、そうならざるをえない社会の責任である、ということに気づく人々がでてきた。
啄木がこの歌を詠んだ明治の頃には、労働条件の改善がその主なテーマであったが、
21世紀の今では、もっと巧妙に人々に分からない形で、『我が暮らし楽にならざり』という状況がある。
経済がグローバル化した今では、『為替』と『金融』によって一国の経済をどのようにも操ることができる。
働いても働いても儲からないのは円が高すぎるからだし、資産が増えないのはゼロ金利政策のためだ。
円は、1984年には1ドル=260円だったものが、今では1ドル=80円にまで上がっている。今もっと上がろうとしている。異常な数値だ。
残ったお金を貯金にまわしても金利はわずか0.1%。こんなものは金利のうちに入らない。これも異常だ。
1960年代の金利は約8%。世界中でどんなに金利が安くても1%であった。
いかに今の金利が異常かが分かる。
ドルは安くなる構造になっているというのなら、
対人民元では、1984年には1ドル=1.5元であったものが、現在では1ドル=6.5元と逆に高くなっている。
これが人為的操作でなくて何なんだろうか。
その結果、日本ではここ20年、ほとんど生産額が伸びていないのに対して、中国は8倍に伸びている。これは驚異的だ。
日本人がサボっていたのではない。中国人が特別努力したのでもない。
『為替』の人為的操作があったからだ。
その結果、『働けど働けど』、日本の生産額は伸びていない。
自殺者が3万人を超えてもう十年以上になる。
日本の政権が、『為替』と『金融』に対して無策であったからだ。
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