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日本の急激な円高は、1985年のプラザ合意から始まった。
しかしその前年の1984年には、それまで切り上げ傾向にあった中国の人民元が、突如として切り下げられている。しかも大幅な切り下げである。
それまで1ドル=1.5元で推移していたものが、一気に1ドル=2.8元と半値に近く切り下げられている。
これを日本に当てはめれば、1ドル=150円で推移していたものが、1ドル=280円になったのと同じで、大幅な切り下げである。
その理由は中国の貿易赤字解消(当時中国は貿易赤字国であった)のためということであったが、それにしても日本の感覚で一気に130円も切り下げるとは大幅すぎる切り下げである。
当時の中国はとう小平が復権して(1977年)、改革開放路線を取り始めた頃であり、中国は輸出拡大をめざしていた。
そして1979年には米中国交正常化が約30年ぶりに実現している。
中国とソ連との対立は同じ共産主義国でありながら1960年代から続いており、中国の改革開放路線はその対立をますます深めた。
戦後米ソ冷戦構造の中で、米中国交正常化は、米中vsソ連という構図を生み、ソ連はこの人民元の大幅切り下げから10年も待たずに、1991年に消滅することになる。
ところが日本は、この米中の融和関係から取り残されるように、1985年9月の『プラザ合意』によって大幅な円高に見舞われることになった。
このプラザ合意によって、その年の初めの1月には1ドル=260円であったものが、年末の12月には1ドル=160円に円は値上がっている。
この円高傾向は2年後の1987年には1ドル=120円にまで跳ね上がっている。
一方で人民元は、1985年1月(プラザ合意の8ヶ月前)にも2回目の切り下げを行っており、1ドル=2.8元から、1ドル=3.8元へと急激に変化している。
人民元の切り下げ以前(1984年)は、1ドル=1.5元=260円であった。これを元円レートにすれば、1元=170円である。
それが1年後の1985年の末には1ドル=3.8元=160円となっており、
これを元円レートにすれば、1元=42円である。
さらに1987年には1ドル=3.8元=120円となり、1元=32円となる。
つまりたった3年で、1元=170円から1元=32円へ人民元は五分の一以上値下がりしたのである。
1987年といえば、日本のバブル絶頂期である。
日本がバブルで踊り、やれブランドだ、グルメだ、高級車だ、海外旅行だ、と浮かれていた頃、その裏側ではこのような大きな世界的変化が起こっていた。
1984年の人民元の切り下げは今までさして注目されることはなかったが、これを境に、その後の世界は大きく激変する。
1989年には中国で天安門事件が起こり、これを鎮圧したあと、江沢民が総書記の地位についている。中国は国家の力を見せつけた。
そしてその年(1989年)の11月には、ドイツのベルリンの壁が崩壊している。
それをきっかけとして次の年の1990年3月にはにはソ連内の、リトアニア・エストニアが独立を宣言し、ソ連の崩壊が始まる。(ソ連は1991年に消滅する。)
米ソ冷戦が終わり、アメリカの一極集中がはっきりと目に見える形となって現れた。
続いて1990年の10月には、東西ドイツが統一している。
この年日本ではバブル崩壊が始まっている。
日本が長い平成不況に入る始まりの年となった。
1990年のこのような激動の影に隠れて見えないのが、同年の中国人民元の3回目の切り下げである。
1ドル=3.8元であったものが、1ドル=5.3元へとまた大幅に切り下げられた。
1ドル=5.3元=120円となり、1元=32円であったものが1元=23円と人民元はさらに安くなった。
日本の政界でも動きがあった。
政権与党である自民党が分裂し、1993年6月に小沢一郎を中心とした新生党が結成され、その年の8月には、非自民政権である細川内閣が誕生している。
ここで55年体制が崩れた。
小沢一郎は新政党結党の目的として『国際的に通用する政党をめざす』と言っている。
『国際的に通用する政党』というのが何を意味するのかは不明だが、小沢一郎が国際社会の大きな変化を敏感に感じ取っていただろうことは想像できる。
次の年、1994年には、中国がさらなる人民元切り下げを行う。(4回目)
1ドル=5.7元から、1ドル=8.8元へと切り下げたのである。
当時のドル円レートが1ドル=110円前後であったから、
1ドル=5.7元=110円が、1ドル=8.8元=110円となり、
元円レートに直せば、1元=19円が1元=12円となり、人民元は大幅に切り下げられたことになる。
その後人民元は若干切り上げられたが、円高も進行したため、
現在のレートは、1ドル=6.5元=80円であり、1元=12円は今も変わらない。
1984年には、1ドル=1.5元=260円(1元=170円)であったものが、
10年後の1994年には、1ドル=8.8元=110円(1元=12円)になったのである。
つまり人民元は円に対して、たったの10年で15分の1近く値下がりしたのである。異常な値下がりである。
その結果日本の100円ショップで中国製品がずらりと並ぶようになった。
アメリカはこの人民元安を容認した。
それは米ソ冷戦を終わらせるための見返りだったのではないか。
そしてそれと同時に日本に対しては円高を強制した。
反共の防壁としての役割を終えた日本は、アメリカにとってもはや無用の長物になったのではないか。
日本の輸出力を抑え、中国の輸出力を伸ばす。
あとに日本に残ったのは、アメリカの財布代わりとなって米国債を買うことと、米軍基地を提供するという属国としての役割だけだ。
この頃(1994年)から中国は安い人民元を武器に、急激な経済成長を始めた。
日本では、茶パツブームやヘアヌードブームで踊っていたころである。
この頃、その後の中国の急成長を予測する者は日本にはいなかった。
まして日本のGDPが中国に追い抜かれるなどと考えた者はいなかった。
しかし20年経った今、そのことは現実のものとなっている。
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