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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/14009
主党と共和党の融和を目指すワシントンのシンクタンク、超党派政策センター(BPC)が、連邦債務の上限引き上げに関する両党の話し合いが失敗に終わったらどうなるかという報告書を先日公表した。
そこには実に恐ろしいシナリオが描かれている。言うなれば、米国は経済政策史上最大の凡ミスを犯すことを熟考しているのだ。
〇経済政策史上最大の凡ミス
瀬戸際政策を瀬戸際まで、そしてそれ以上のところまで推し進めることに躍起になっている一部の共和党議員は、財務省はまだ余裕を残しているに違いない、というのだ。
債務が本当に上限に達すれば、ワシントンが以前経験したような表面的な「シャットダウン(政府閉鎖)」ではなく、過去に例を見ない規模で政府の業務が中断され、大変な結果をもたらすだろう。
筆者はまだ、上限引き上げに関する両党の話し合いは結局まとまると考えている。警告する声が強まっていること(このBPCの報告書も、有益な警告の1つだ)は人々の意識を集中させるはずだ。
〇深刻なガバナンスの危機
しかし、筆者のこの見方がたとえ正しいとしても、米国は今、ガバナンス(統治)の危機を迎えているのである。
米国が自発的なデフォルトの条件を議論するなど、信じ難いことだ。政権に歳出削減を飲ませる方法は他にはないじゃないかなどという共和党の主張もまさに驚きだろう。
こうなると、この国の政治家が妥協すること、あるいは相手方の議論にほんのわずかな利点を見いだすことにも病的な抵抗感を示すのは一体なぜなのかと、疑問に思わざるを得ない。
この抵抗感はもはや、事実関係や経済理論を巡る見解の不一致を大幅に超えている。いわゆる米国の「文化戦争」も超えている。つまり、国の将来に関する異なるビジョンの衝突以上のものだ。実はこの抵抗感、個人的な側面が強いのだ。
〇リベラル派と保守派の道徳的な対立
今の状況は、米国の財政政策を理解するために心理学者の手助けが必要なところまで来ているのである。
ハイト教授の研究によれば、リベラル派は主に、公正さや被害者が受けている害についての直観に突き動かされている。保守派もそのような直観によって行動しているが、こちらは忠誠や権威、純粋さに関する直観にも導かれている。
そうした直観は、見解と言うよりは身体に深く埋め込まれた道徳的な衝動であり、宗教の体裁(あるいは特定の宗教を信じないという姿)を取ることが多い。この直観に背くことは一種の涜神行為となる。
米国では、このような道徳的・心理学的な基盤の違いが非常に顕著だ。
進歩的な人ほど、忠実さや権威、純粋さが大事だという主張を理解し難いと思っているし、保守的な人ほど、そうしたものが必要不可欠だと思っている。
これは重要なポイントだ。なぜなら米国の政治は、特にその最も保守的な層では、極端な政治思想に存在するエネルギーからパワーを得ているからだ。
上記のような保守的な衝動は、世界中の宗教や文化にほぼ普遍的に見受けられる。世俗的なリベラルの方が変則的なのだ。
そのうえ、こうした保守的な衝動は社会で重要な役割を果たしている。さもなくば保守派が支配的であるはずがない。
社会的な公正に対するリベラル派の強い関心が、米国という国家の発展というプロジェクトの成功にとって欠かせない要素だったことは疑う余地がない。
しかし、保守派の見解、例えば忠誠心に対する関心についても同じことが言えるはずだ。例えば、照れくささも何も覚えない愛国心、国旗に対する敬意、外国で活動する米軍への本能的な支援などがそれにあたる。そう、いずれもリベラル派が笑い飛ばすものばかりだ。
〇両者が互いを憎み会う米国政治の悲劇
米国の政治の悲劇は――そう、これは悲劇そのものだ――、道徳的に異なる2つのコミュニティーが、米国の成功に対する互いの貢献を認識できないばかりか、互いを嫌悪するようになってしまったことにある。
民主党の支持基盤を形成する進歩派と、共和党の主導権を握ろうと戦っているティーパーティーの活動家たちを活気づけているのは、この根深い敵意にほかならない。ガバナンスの危機の根底にあるのは道徳の対立なのである。
このことを理解することは、何か役に立つのだろうか? 間違いなく役立つはずだ。なぜなら、道徳的に異なるコミュニティーが気持ちよく共存していくためには何が必要か分かっているからだ。すなわち、寛容と相手を尊重する気持ちである。
リベラル派は外国の文化や宗教に敬意を表している。そうした文化や宗教では忠誠や権威、純粋さが重視されているにもかかわらず、だ。リベラル派はイスラム教徒を軽蔑したりしないし、仏教徒を笑ったりしない。
であれば、難しいかもしれないがもう少し頑張って、その礼儀正しさを隣人にも発揮してもらいたい。たとえその隣人が、宗教右派として知られる福音主義のキリスト教徒だとしても、だ。(抜粋)
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