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需給ギャップがなくなり、インフレになってきたら、増税するか歳出削減しなければならないのは当たり前だが、今はまだ早い
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日経ビジネス オンライントップ>企業・経営>復興の経済学
「永遠に借り換えできるから大幅な増税は不要」のウソ
2011年6月28日 火曜日
國枝 繁樹
ポイント
・国債を永遠に借り換えるポンジー・ゲームで増税を逃れようとするのが「ポンジー財政政策」
・ポンジー財政政策の考え方は我が国の財政政策に影響を与えてきた
・経済学ではポンジー財政政策は現実的ではないとされる
・財政赤字ギャンブルは将来世代に対する「財政的児童虐待」
2008年末、リーマンショックの影響の去らないニューヨークで、NASDAQの会長まで務めた投資会社社長バーナード・マドフが逮捕された。嫌疑は、巨額の証券詐欺。日本の大手金融機関を含めた世界中の有名機関投資家から投資資金を集めたマドフの投資会社だったが、実際には投資はなされず、新規の顧客からの投資資金を過去の顧客に投資成果として支払う自転車操業を続けていた。日本でいうネズミ講だが、英語ではポンジー・ゲーム(またはポンジー・スキーム)という。20世紀初め、チャールズ・ポンジーがボストンで同種の詐欺を大々的に行ったことから、そうした詐欺にポンジー・ゲームの名が付けられたのである。マドフ本人は翌年に150年の懲役判決を受け、現在服役中である。
マドフが行ったのは総額約650億ドル(諸説ある)のポンジー・ゲームで史上最大規模の詐欺と言われた。しかし、これをはるかに上回る数百兆円規模のポンジー・ゲームが1999年に提唱され、2000年代半ばまで実施が想定されていたことはあまり認識されていない。我が国の財政政策のことである。
ポンジー・ゲームによる財政再建の提唱
国債の満期が来れば、通常であれば増税等で確保した財源で国債の元利償還が行われる。しかし財源が確保できなければ、元利償還の資金もまた国債を発行して借金で調達することが考えられる。この借り換えを永遠に繰り返すことができれば、増税を避けることができるかも知れない。このネズミ講的な財政スキームも、ポンジー・ゲームの一種である。
しかし、元利償還を行うには、元本だけでなく、利子も支払わねばならないから、実際には、国債の残高は金利のスピードで無限大まで増加してしまう。これに対し、経済成長率が金利より低ければ財政破綻するが、経済成長率が金利より高ければ、その国の経済は金利より高い率で成長するので、国債のGDP比率は収束し、問題がないとするのが、我が国ではよく言及されるドーマーの定理である。
このドーマーの定理を持ち出して、ポンジー・ゲームにより我が国の抱える膨大な公債に係る負担を回避しようとする財政政策(本稿では「ポンジー財政政策」と呼ぶことにする)が提唱された。小渕内閣の下に設置された「経済戦略会議」の1999年の最終答申である。小渕内閣では、景気対策として財源の確保なしで巨額の所得減税・公共事業が実施されたが、その結果、巨額の公債残高を抱え、小渕総理が「世界一の借金王」と自嘲する厳しい財政状況に陥った。このため、同会議の最終答申では、財政再建の道筋を示すことが求められたが、その回答の一部として。ポンジー・ゲームによる財政再建が提唱されたのである。
具体的には、同最終答申は、(1)プライマリーバランス(公債費を除く歳出と租税等の歳入の差。基礎的財政収支とも呼ばれる)の赤字を極力速やかにゼロに回復させること、(2)名目成長率が名目金利を上回る状況を実現することの2点により財政の持続可能性が回復できると強調しており、ポンジー財政政策の考え方を明確な形で提示している。
2001年の小泉内閣において、ポンジー財政政策の主唱者である竹中平蔵氏が経済財政担当大臣となったことから、以後、2000年代半ばまで、我が国の財政再建戦略にポンジー財政政策の考え方が色濃く反映されるようになる。例えば、2002年1月の「改革と展望」では、2010年初頭までの国・地方合計のプライマリーバランスの黒字化が望ましいとされたが、同文書では、黒字化と同じ頃には政府の債務残高の対GDP比の動向も改善すると見込まれるとしており、経済戦略会議答申以来のポンジー財政政策の考え方が背景にあることがわかる(ポンジー財政政策の考え方を否定する場合、プライマリーバランスの単なる黒字化では債務残高の対GDP比は発散を続ける)。
しかし、2005年後半になると、経済財政担当は与謝野馨大臣に変更となり、プライマリーバランスの単なる黒字化を財政再建目標とすることに対する疑問が政府部内でも示されるようになった。2005年末には、経済財政諮問会議において、成長率と金利の関係についての論争が行われ、長期金利が成長率より高いとの前提に基づく「改革と展望」の改訂案に竹中総務大臣が反発するのに対し、理論的には長期金利の方が名目成長率よりも高くなるのが正常な姿である等の批判が吉川洋東京大学教授等の他の参加者から行われた。いわゆる「成長率金利論争」である。
その後の議論においては、債務残高のGDP比率を低下させるための相当幅のプライマリー黒字の確保の必要性が認識されるようになり、「骨太の方針2006」では、プライマリーバランスの黒字化を達成した後も、国、地方を通じ収支改善努力を継続し、一定の黒字幅を確保し、債務残高GDP比の発散を止め、安定的に引き下げることを確保することが明記された。その後、ポンジー財政政策の考え方は次第に政府の財政再建戦略への影響力を失っていくが、財政政策を巡る関心はリーマンショックへの対応のための財政出動に移っていく。
民主党政権下では、大震災前ではあるが、2010年6月の「財政運営戦略」において、2020年度までの国・地方(および国単独)のプライマリーバランスの黒字化という収支(フロー)目標に加え、残高(ストック)目標として、2021年度以降において、国・地方の公債等残高の対GDP比を安定的に低下させるとの目標が示されたが、そのための具体策については明らかでない。大震災後においてもポンジー財政政策を引き続き主張している論者もおり、今後の財政再建戦略を考える上で、ポンジー財政政策の当否は引き続き重要な論点となるものと思われる。
ポンジー財政政策の問題点
ポンジー財政政策の主唱者らはドーマーの定理を強調するが、日本のマクロ経済学の教科書にはドーマーの定理の説明があるものの、最近の欧米の標準的なマクロ経済学の教科書においては、ドーマーの定理の説明はあまり見当たらない。そもそもドーマーの定理を導いた論文の発表は戦時中の1944年というはるか過去であり、内容もいわば自明のものである。
その後、経済学者はポンジー・ゲームがどのような経済で実現可能かの理論的分析と実際に実現可能な経済が存在するのかに関する実証研究を積み重ねており、現在ではポンジー・ゲームの実現可能性の問題として論じられている。ポンジー・ゲームの実現可能性の議論は、経済学の重要な概念である「動学的効率性」と密接に結びついている。ポンジー・ゲームが可能な経済は、「動学的に非効率的」とされ、実現不可能な経済は、「動学的に効率的」とされる。
ポンジー・ゲームが不可能な、動学的に効率的な経済では、政府の財政政策においては、公債の現在残高が「現在および将来のプライマリー黒字の現在価値」と等しくなければならない。わかりやすく言えば、現在、借りている借金(=公債)は、現在および将来世代がきちんと全額負担しなければならないことを意味する。他方、動学的に非効率的な場合には、プライマリーバランスの均衡まで実現できれば、その時点での公債残高についてはポンジー・ゲームで処理することが可能で、現在および将来世代は負担が要らないことになる。
2011年度末の公債残高(見込み)は668兆円だが、ポンジー財政政策ではその負担は不要というのだから、消費税増税の必要幅も大きく違ってくる。例えば、本年のOECD対日審査報告書では、(暗黙裡にポンジー財政政策を否定しており)我が国の公債残高のGDP比率を安定化させるためには、プライマリーバランス均衡のための消費税率の5〜9%の引き上げに加え、さらに6%の消費税率の引き上げが求められるとしている。これに対し、ずっと小幅な増税で足りるとする論者もいるが、その主張の背景に現時点での公債残高の負担をポンジー・ゲームで逃れられるとの隠れた前提があることが少なくない。
ポンジー・ゲームが実現可能ならば、OECD対日審査報告書の提言と比較して、公債残高のGDP比率安定化のための6%の消費税率の増税が不要になるため、小幅の増税ですむのも当然である。だが、問題は、「ポンジー・ゲームにより現存する巨額の公債に係る負担を考える必要がない」という、非常に都合のいい話が実際に実現可能かという点である。
実は、先進国経済が動学的に効率的かどうかについては、1989年にエーベル・ペンシルバニア大教授らによる有名な論文で分析がなされ、我が国も含めた先進国経済が動学的に効率的であることが既に確認されている(ただし、後述するように、実際には不確実性が存在する場合には、議論はもう少し複雑になる)。
このため、大学院レベルのマクロ経済学の標準的教科書(D.ローマー、『上級マクロ経済学(原著第3版)』、日本評論社)においても、「政府がポンジ・ゲームを享受する可能性は、たいていの場合、理論的な関心にとどまる。経済が動学的に非効率的でないという現実的な場合には、ポンジ・ゲームは実現不能であり、政府は伝統的な現在価値の予算制約を満たさなければならない」(同書637ページ。なお、ポンジー・ゲームはポンジ・ゲームと表記されることもある)とされている。
2005年末の経済財政諮問会議での「理論的には長期金利の方が名目成長率よりも高くなるのが正常な姿」との指摘も、こうしたマクロ経済学における標準的な理解に拠ったものであった。結局、現在世代および将来世代はポンジー・ゲームで現存する公債残高の負担から逃れることはできないのである。このため、筆者の知る限り、ポンジー財政政策を政府の公式な財政戦略としている先進国は存在しない。
それにもかかわらず、我が国では、経済戦略会議答申においてポンジー財政政策が明示的に提唱された。しかも、同答申では、本来、動学的に効率的な経済下で望ましい公的年金の民営化の提案も含められており、同じ答申の中で論理的に矛盾した政策が提案されていた。筆者の留学時代の友人の米国人経済学者は、我が国においてポンジー財政政策が公式に提唱されていることを聞き、冗談だと思い、爆笑した。一緒にいた筆者も、日本人経済学者として本当に情けなく、恥ずかしい思いをしたことをよく覚えている。
筆者はポンジー財政政策の問題点を批判してきたが、我が国で問題点が理解されるには時間がかかった。成長率金利論争という形で、ポンジー財政政策の実現可能性に広く疑問が持たれるようになったのは、2005年後半のことであった。
その背景の一つには、当初、プライマリーバランスの「黒字化」というあいまいな表現が財政再建目標とされたことがある(プライマリーバランスがほんのわずかでも黒字となることを「黒字化」とすれば、プライマリーバランスの均衡を再建目標とすることと事実上、変わらなくなる)。だが、2000年代半ばにプライマリーバランス黒字化達成後の財政再建戦略の議論が始まると、プライマリーバランスの単なる黒字化で財政再建可能とするポンジー財政政策への疑問が呈され始めたのである。
財政再建の最終目標がプライマリーバランスの単なる黒字化(均衡)か、それとも相当な幅のプライマリー黒字なのかは、財政再建に必要な増税のタイミングの判断に重大な影響を与えたと考えられる。最終目標が相当な幅のプライマリー黒字であれば、必要とされる消費税の増税幅は大きくなるため、何段階かに分けて時間をかけて消費税の増税を行う必要が出てくる。
具体的には、2000年代半ばの戦後最長の景気回復期に一回目の消費税増税が開始されているべきであったであろう。だが、ポンジー財政政策の立場ではプライマリーバランスの均衡さえ達成できれば問題ないので、そうした緊迫感は存在せず、消費税増税は先送りされる。
現実においても、小泉政権において消費税増税は次の内閣の課題として先送りされ、次の安倍政権では消費税増税の議論は事実上封印されてしまった。福田政権以降の内閣ではポンジー財政政策の呪縛から脱したものの、ねじれ国会やリーマンショックにより既に消費税増税は時機を逸するものとなっていた。もしポンジー財政政策による議論の迷走がなければ、2000年代半ばに一回目の消費税増税が完了し、我が国財政はもう少し余裕をもってリーマンショック、さらには東日本大震災という未曽有の危機に立ち向かうことができたであろう。
財政赤字ギャンブルと東日本大震災の教訓
これまでの議論においては、不確実性の存在は無視してきた。しかし、現実には様々な不確実性が存在し、ときに経済や社会に深刻な打撃を与えるような惨事(天災や大不況)が発生する。こうした不確実性を考慮すると、これまでの議論はさらに複雑になる。デフォルトの危険性がない限り、国債金利はリスクフリーの金利であるが、税収を左右する経済成長率の方は大きく振れうる。特に惨事が発生すれば経済成長率は大きく低下する。不確実性の存在する経済においては、そうしたリスクも含めて、財政政策の評価を行う必要がある。
不確実性の存在する状況下で、ポンジー財政政策を実施することは、マンキュー・ハーバード大学教授らによって「財政赤字ギャンブル」と呼ばれた。経済成長率に関する不確実性がある場合、経済成長率が平均的に国債金利を上回って、政府が永遠に借り換えを繰り返すポンジー財政政策が成功する確率が正となりうる。だが、そうならなければ、ポンジー財政政策は失敗し、公債残高のGDP比率は増大を続け、いずれ財政破綻、あるいは財政破綻を回避するための将来世代に対する非常に大幅な増税を余儀なくされる。
一定の仮定の下で、我が国財政が破綻する確率を推計した研究としては、小黒一正一橋大学准教授、櫻川昌哉慶応大学教授・細野薫学習院大学教授等による研究があり、今回の大震災後には小黒一橋大学准教授が2020年の財政破綻確率を24.9%と推計している。
さらに、仮に財政破綻確率が小さい場合でも破綻時の社会厚生の低下が大幅であれば、ポンジー財政政策は望ましくない政策となる。確率が小さいからといって、財政破綻あるいはその回避のためのコストを無視するのは、巨大津波の可能性を「想定外」として対策を怠った福島第1原子力発電所と同様の誤りである。マンキュー・ハーバード大学教授らは、財政破綻の可能性とコストを無視してポンジー財政政策を実施することを、火災の可能性が低いからといって自宅に火災保険をかけないのと同様だと批判した。
その場合、ポンジー財政政策の是非を判断する際に、成長率金利論争のように、リスクフリーの国債金利とリスクを伴う経済成長率の期待値を単純に比較することは適当でなくなる。仮に上げ潮派の論者が最近主張しているように、国債金利および(大地震の可能性等を考慮しない)経済成長率の期待値が同じだとしても、リスクの存在を考慮すれば、社会厚生上、財政赤字ギャンブルは望ましくないと判断されるからである。
財政赤字ギャンブルはリスクを通じた「財政的児童虐待」
特に問題となるのは、財政赤字ギャンブルが将来世代への負担先送りの手段として用いられることである。現在の世代が増税を先送りし、国債の借り換えを繰り返すとしよう。運がよければ高い経済成長率が実現され、将来世代は国債の負担を免れる。しかし、経済成長率が金利を下回れば、国債のGDP比率は増大を続け、将来世代は財政破綻を回避するために大幅な増税を受け入れざるをえなくなる。
財政赤字ギャンブルにより増税を先送りすれば、現在世代は確実に負担を免れることができるが、将来世代は、「高成長率ならば負担はないが、低成長率であればずっと重い負担を課される」というリスクの形で、一方的に負担を負わされる。財政赤字等を通じた将来世代への負担の押付けはコトリコフ・ボストン大学教授により「財政的児童虐待」と呼ばれているが、財政赤字ギャンブルはリスクという形で財政的児童虐待を行っているのである。
ポンジー財政政策に対するマンキュー教授らの火災保険なしの家屋との批判を、「地震」保険に置き換えてみると、地震国である我が国におけるポンジー財政政策の問題点が明らかになる。東日本大震災の発生により我が国の経済成長率は低下する一方、復興財源確保のため、一時的には大量の国債の追加発行が不可避であり、公債残高のGDP比率もさらに増加することが予想されている。
また東日本大震災の前には、海外発のリーマンショックが我が国経済を襲い、財政赤字額が税収総額を上回るという悲惨な財政状況を招いた。今後の財政再建戦略を考える上では、こうした巨大なネガティブ・ショックの可能性を当然考慮する必要がある。今回の大震災は、そうした可能性を無視していわば地震保険なしでポンジー財政政策を行う財政赤字ギャンブルが望ましくないことを改めて明らかにした。
残念ながら、それにもかかわらず、未だにポンジー財政政策を主張する論者もいる。例えば、竹中平蔵氏は、大震災後の新著で「消費税を10%以上に上げない」財政計画を主張しているが、プライマリーバランスの黒字化で国債残高のGDP比は減少するとしており(同書82ページ)、その試算は依然ポンジー財政政策に基づくものと考えられる。
リーマンショック、そして東日本大震災を経た今、我が国の今後の財政再建戦略においては、ポンジー財政政策の本質が「財政赤字ギャンブルによるリスクを通じた財政的児童虐待」であることを改めて認識し、ポンジー財政政策と決別していくことが強く求められている。
このコラムについて
復興の経済学
地震、津波、原発事故…。東日本大震災が日本経済に及ぼした影響ははかり知れません。この未曾有の災害の影響を、私たち日本人はどのように克服していけばいいのでしょうか。これまでの経験も前例も役に立たないこの事態に対処するには、あらゆる知見を総動員し、ベストの選択をし続けなければならないでしょう。このコラムでは、経済学の分野で活躍する学者や専門家たちに、日本復活に向けての提言を聞いていきます。
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著者プロフィール
國枝 繁樹(くにえだ・しげき)
一橋大学国際・公共政策大学院及び経済学研究科准教授。ハーバード大学経済学博士。専門は財政学、マクロ経済学等。共著に『生活保護の経済分析』(日経・経済図書文化賞受賞)。共訳書に『コーポレート ファイナンス(第8版)』(上)、(下)ほか。
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