http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/124.html
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円高を阻止しなければ輸入が増えるかと言えばそうでもない。規制緩和で税金や流通による過大な中間搾取を減らしていく必要がある。
ただ日本は米国以上に増税を嫌い、失業を恐れるから、日銀の政策への政治的干渉は、今後、ますます大きくなるだろう
しかも高齢者が政治の主役だから財政支出(社会保障)増大への歯止めはまず期待できない
つまり現状が続く限り、いつかは円安インフレになるのだが、コモデティも既にかなり高くなっているし、現時点では世界景気後退リスクが大きいので、投資判断はなかなか難しいだろう
先の短い高齢富裕者なら、今後も日銀が変わらずに保守的で、円安・国債安にならないことに賭けてみるのも悪くはない
http://diamond.jp/articles/-/12430
野口悠紀雄 大震災後の日本経済【第4回】 2011年6月6日野口悠紀雄 [早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問]
4.円高も増税も拒否すればインフレになる
野口教授の最新刊『大震災後の日本経済』(ダイヤモンド社)第1章の全文を6回にわたって掲載。今回は、マクロ経済の需給バランスの観点から、これから本格化する復興投資にどう対応すべきかを論じる。
円高になれば需給制約が緩和される
本章の1で述べた関係式は、つぎのように表現してもよい。
国内総生産(GDP)=投資+消費+純輸出
この均衡式において、左辺のGDPが生産ボトルネックによって減少し、かつ復興のための投資が増加するので、他の需要が減少しなければならない。どの項目が減少するかは、政策いかんによって異なる。
1で述べたように、経済の自然な動きは、円高になって純輸出(輸出−輸入)が減ることだ。これは、経済学的にはごく自然な結論なのだが、わかりにくいと感じられるかもしれないので、もう一度述べよう。
まず、震災からの復旧のために、投資支出が増大する。投資は、民間住宅、企業設備、公的資本のすべての分野で発生する。半面で国内総生産は供給制約で拡大できないので、格別の政策介入が行なわれなければ金利が上昇して国内への資金流入が増大し、円高になる。
これによって純輸出が減少する。円高のために、国内生産設備を国内で再建するのでなく、海外拠点に移すことも行なわれるだろう。これは、国内での企業設備投資を減らし、国内の需給のアンバランスをさらに緩和させる。
なお、「復興財源として無利子国債を発行する、震災復興債を外国で発行する、対外資産を取り崩して国内に還流させそれで国債を購入する」等の提案がなされているが、マクロ経済的な効果は国債と同じである。これらについては、第3章の4と第4章の3で検証する。
円高を拒否する固定観念
日本では、円高の進行を阻止しようとするバイアスが非常に強い。
日本での円高に対する反対は、経済的ロジックに基づくものでなく、「円高→輸出産業の採算悪化→株価下落」という硬直的な思い込みによる面が強い。株価が下落すると株を大量に保有する金融機関の資産が劣化するので、金融機関も円高に反対するのである。
震災直後に急激な円高が生じたとき、日本を代表するある金融機関のトップは、新聞のインタビューに、「円高に憤りを感じる」と述べていた。「復興 のための資金調達が増えれば金利が上がる。金利が上がれば円高になる」というロジックを理解できていないのだ。円高を阻止しようとするのなら、銀行は復興 のための融資申し込みを断わる必要がある。
なお、このとき協調介入が行なわれたのは、日本側の要請だけでなく、「米国債を日本が売却する事態を避けたい」とのアメリカ側の意向があったからかもしれない。
「日本経済新聞」(3月19日)によれば、ガイトナー米財務長官は、3月15日の上院銀行委員会において、米国債売却を懸念する質問に対して、 「それはない。なぜなら日本の貯蓄率は高いから」と述べたという。日本の貯蓄率(国民経済計算ベース)は、1980年代には確かに高かったが、その後低下 し、2010年では2.4%と、アメリカの3.4%より低く、先進国中で最低の水準である。ガイトナー長官が事実とまったく異なる認識に基づいて米国債売 却を否定したのは、大変気になることだ。
次のページ>>円高拒否がもたらす大きな歪み
円高阻止政策が行なわれると、輸入が増えないので、マクロ的な需給が緩和しない。
そのため、本来は復興のために投資が増大する必要があるにもかかわらず、それが抑えられる。また、消費も減少せざるを得ない。つまり、円高阻止が行なわれない場合に比べて、復興投資と消費の資源の奪い合いが激しくなるのだ。
このような軋みを避けるには、円高を阻止しないことが必要だ。また、増税で消費を抑えればそれだけ復興投資が促進される。復興財源として国債が用いられれば、以上で述べた歪みは大きくなるのだ。
上で述べたマクロ制約を、資金面から見ると、つぎのとおりだ。復興のために民間資金需要が増えると、国債の消化は難しくなる。このため、金利が上昇して円高になる。これを阻止しようとして金融緩和すれば、インフレ圧力が高まる。
日銀引受国債発行をすれば、インフレになる可能性が高い。これは、戦後復興期において実際に起こったことである(本章の5を参照)。そして、イン フレが生じれば、消費が強制的に抑制される。インフレは、不公平な形で負担を国民に押し付ける。復興のファイナンスが増税によって行なわれる場合にも消費 が削減されるのだが、インフレによる消費削減は低所得者にも及ぶのに対して、増税による場合は、主として高所得者の消費を削減する。その意味で、インフレ よりは増税のほうが望ましい。
経済全体の需給バランスを考慮せず、各項目だけを見た議論が多く行なわれている。しかし、国民経済のバランス式は、どうしても成立しなければなら ないものだ。それを無視した感情的な議論に政策が押し流されれば、最も望ましくない形での負担が国民に押し付けられることとなる。
復興国債で負担を将来に移すことはできない
復興のための財政支出を賄う手段として、復興国債が提案されている。この背後にあるのは、「いまは厳しい時だから、増税で経済を疲弊させてはなら ない。負担は経済が回復してから負えばよい」という発想だろう。その前提になっているのは、「国債によって負担を将来の時点に移せる」という考えだ。
しかし、そうしたことにはならない。国債を発行しても、負担の時間的配分を変えることはできないのである(国債発行によって将来に移せる負担は、 政治家や財務官僚の政治的・事務的な負担である。いま増税すれば、そのための政治折衝や国民への説明、立法措置等々を、いま行なわなければならない。しか し、国債発行なら、こうした負担は軽減される。増税のための政治的・事務的負担は、将来の政治家や財務官僚が負うのだ。このことと、国民経済の負担を混同 してはならない)。
償還時の状況についてこれが正しいことは、比較的理解しやすいと思う。説明の便宜上、復興国債は10年債であり、借換えはしないものとしよう。
償還のために10年後の時点で増税すれば、一見したところ、10年後の人々が負担をしているように思える。しかし、その時点の国債保有者は、償還 金を受け取ることに注意しなければならない(預金を原資として銀行が国債を購入したのだとすれば、償還金は銀行を経由して預金の保有者に届く)。結局のと ころ、10年後の時点では、納税者から国債保有者に所得が移転されるだけである。国全体としては、使える資源が減少するわけではない。つまり、10年後の 日本人は、全体としては負担をしないのである。
では、復興投資の負担は誰がするのか? それは、国債が発行される時点の人々である。これまで述べてきたように、生産制約がある状態で国債を増発 すれば、金利が上昇する。閉鎖経済では、それによって投資が減少する。開放経済では、円高になって純輸出(輸出−輸入)が減少する。いずれにしても、その 時点で他の需要項目が減少することによって、国債が消化されるのである。これが「クラウディングアウト」に他ならない。
投資の減少とは、民間復興投資の減少である。つまり、企業の生産設備の復旧や住宅復旧を犠牲にして、道路や橋などを建設することになるわけだ。こ れに対して増税で復興投資を賄った場合には、消費が減少する。いずれにしても、国債が発行された時点で他の需要が減少し、それが政府の復興投資に必要な資 源を準備するのだ。
税と国債の違いは、犠牲にされる需要の違いだ。つまり、「復興財源を国債にするか税にするか」という選択は、「企業設備投資や住宅投資を犠牲にす るか、それとも消費を犠牲にするか」という選択である。復興財源を国債に求めれば、現時点で何の犠牲もなしに復興投資が行なえるような気がする。しかし、 そうではないのである。
政府は、「被災地復興のための財源を復興国債で賄い、数年後に増税してこれを償還する」という方向での検討を始めたようだ。これは、「復興国債に よって負担を数年間先送りできる」という考えに基づくものだろう。これは、国債の負担に関する典型的な誤解に基づいた政策だ。何度も繰り返すが、復興国債 の負担は、それを発行した時点でクラウディングアウトが生じることにより、その時点の国民が負うのだ。
次のページ>>We should be all classical
以上で述べたのは、別に目新しいことでも、奇抜なことでもない。すでに1940年代に、経済学者が認識していたことである。これは、「第二次世界 大戦の戦費を戦時国債で賄うか、それとも戦時増税で賄うか」という問題に関して議論されたことだ。ポール・サミュエルソンは、「大砲や戦車を作る資金を戦 時国債で調達したとしても、戦後の国民が負担を負うのではない。負担を負うのは、今の国民だ」と言っている。
ところで、不完全雇用状態(ケインズ的経済)では、これとは異なる結論になる。国債発行時にクラウディングアウトが起こらないので、他の需要を犠 牲にすることには、必ずしもならない。国債発行で財政支出を増やすことは、有効需要の追加を意味し、経済を拡大させる。それによって、「無から有を作り出 す」ようなことができるのである。
「国債を発行した時点で負担が発生する」という上の結論は、古典派経済学が想定する世界でのことである。今後の日本は、電力制約のために生産を拡 大できないので、このようなものとなる(古典派経済学が想定する世界は、経済学の教科書では「完全雇用状態」と呼ばれるのだが、この言葉は、今後の日本を 表すにはミスリーディングだ。なぜなら、遊休設備や失業は存在し続けるからだ。今後の日本が生産を拡大できないのは、電力のボトルネックによる)。
“We are all Keynesians now”(「今やわれわれの誰もがケインジアンだ」)。これは、アンチ・ケインズ経済学者として知られるミルトン・フリードマンが、65年に雑誌『タイム』で述べた言葉だ(*1)。2007年以降の世界経済危機の中でも、すべての経済学者がケインズ経済学者になった(私も含めて)。このとき、大規模で急激な需要減少が世界を揺るがせたからだ。
しかし、事態は急転した。本章の1で述べたように、今後の日本を束縛するのは、供給面の制約である。われわれにとって重要なのは、「クラウディン グアウト」になった。その状況で必要なのは、ケインズ経済学ではなく、古典派経済学である。だから、誰もが古典派経済学者になる必要がある(We should be all classical economists.)。そうした発想の転換ができるだろうか?
(*1)Time, Dec.31, 1965
負担を将来に移転したいのなら、対外資産を取り崩す
ところで、以上の議論は、国債が内国債であることを前提にしている。国債の消化を海外に求める場合には、結論は違ってくる。
その場合には、発行時点で資源が海外から日本に流入し、償還時点で日本から流出する。つまり、負担を将来時点に移すことができる。家計が銀行から借入をするのと同じようなことになるのである。
ただし、国債の消化を海外に求めると、日本の償還能力を疑われて額面どおりの発行ができない可能性が高い。それを考慮すれば、日本が海外に持つ資産を売却して日本に持ち込み、その資金で国債を購入するほうがよい。
この場合には、調達した外貨を売って円を買う取引が必要になるので、円高になる。円高を許容するのであれば、こうした方法で復興資金をファイナンスするのが合理的だ。
この場合、日本の対外資産は減るので、将来世代が得られる運用収入は減る。このような形で、将来世代が負担を負うのである。
なお、円高になれば、輸入が増える。これは、国内の生産制約を緩和する働きをする。国内で電力制約のために生産を拡大できないので、輸入によって 海外の電力を間接的に購入するわけだ。電気そのものを輸入することができなくとも、このような形で外国の電気を購入するのと同じ効果が実現できる。輸入 は、日本国内に希少な資源を、間接的に購入することを意味する。たとえば、小麦の輸入は、小麦を栽培する広大な農地を借りるのと同じことである。日本で電 力が不足することに対しては、外国の電力が含まれた製品を購入するのが、最も合理的な解決法なのである。
次のページ>>負担増は避けられないのだが、反対が強い
大震災からの復興に必要とされる政策は、国民に負担を強いるものだ。供給面に制約が生じているからである。この点が、数年前に生じた世界経済危機との本質的な違いだ。
これまで述べてきたように、この状態に対応するには、国内の需要を減らす必要がある。あるいは、輸出を減らして輸入を増やす必要がある。国内需要 削減のためには、電気料金値上げや増税などの「負担増」がどうしても必要だ。また、純輸出(輸出−輸入)を減らすには円高が必要である。
しかし、このどれに対しても強い反対がある。誰も負担を望まないのだから、それは当然のことだ。
実際、負担増に対する感情的な反対意見は、すでに支配的になっている。しかし、そうした状態が続いて供給不足が解消されなければ、結局は望ましくない形での負担増が実現する。私は、このことに強い危惧を感じる。
電気について言えば、今年夏には需要が供給能力を超過するのが確実なため、電力需要を抑制しなければならない。このためには、電気利用コストが何 らかの形で上昇せざるを得ない。問題は、それを、「料金引き上げ(または電気料金への課税)という明示的な形で行なうか、それとも、停電という形で行なう か(あるいは自主削減で行なうか)」という選択である。
いま問われていることは、「いままでどおりの料金で、いままでどおり電気を使い続けること」と「電気料金を値上げすること」の間の選択ではない。「電気を強制的に切られるか」、それとも「高くなった料金に対応して自ら需要を抑制するか」という選択なのである。
計画停電をすれば、不公平で大きな犠牲が発生する。とくに医療現場で非常に深刻な問題が発生する。自家発電があっても、十分な時間の手当てはでき ない。停電の中での出産は、きわめて危険な状況で行なわれることになる。在宅介護の場合もそうだ。命に関わる問題が発生するのだ。
それにもかかわらず、「電気料金の値上げは絶対反対です」と言っているエコノミストがいる。私は、これを聞いて、本当に情けなくなった。
私が「ダイヤモンド・オンライン」で 行なった電気料金値上げ提案に対しても、感情的な反発が多かった。「事故を起こした東電が料金引き上げで焼け太りするなどもってのほか」とか「オール電化 住宅にしてしまったので、いまさら値上げなど暴論」といった意見だ。「経済学者は我欲と銭しか頭にないのか」という意見もあった。
再び喩え話
以上のことを、本章の1で述べたホテルの喩え話で説明すれば、つぎのようになる。
押しかけてくる客を処理するための合理的な方法は、部屋代を引き上げることである(現実の世界では、電気料金の引き上げ、またはそれへの課税。金 利上昇と、それによる円高。所得税や法人税の引き上げ)。あるいは、不要不急の人には宿泊を自粛してもらうことだ。それらによって、どうしても必要な人だ けに部屋を提供することができる。あるいは、地震にあっていないホテルの料金は従前のままなので、そちらに移ってもらう(円高による純輸出の減少と生産拠 点の海外移転)。
ところが、人々は、「負担が増えるのは嫌だ」「よそのホテルに移るのも嫌だ」と言って反対している。また、「自粛」もしばらくは続いたのだが、そ のうち、部屋数が減ったということを忘れて、「過度の自粛は経済を萎縮させる」という意見が増えてきた。なお、一部の部屋の電気を切って客足を遠のかせる という試み(「計画停電」)はすでに行なったが、焼け石に水だ。また、1つの部屋を交代で使ったらどうか(「輪番休止制」)と提案するマネージャーもいる が、そんなことができるだろうか?
何をやったとしてもホテルの部屋が増えるわけではないのだから、最終的には、暴力団を使って強制的に客を追い出す以外に方法はないだろう(インフレによる消費の強制的な削減)。
こうした事態になることは何とか避け、残ったホテルの部屋を秩序立って使うほうがいいのだが、人々は、「ホテルの部屋数には余裕があるはずだ」というこれまでの固定観念をなかなか変えられない。
日本経済における復興投資は、今年の夏過ぎから本格化するだろう。それに伴って、クラウディングアウトが現実の問題となる。これまで「10年後の 問題」と考えられていたインフレーションは、すぐにでも起こりうる問題となったのである。財政措置の具体論については、第3章と第4章で論じることとす る。
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