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三橋貴明第104回 震災とナショナリズム
関東大震災、阪神淡路大震災、東日本大震災などの自然災害は、国家を人間にたとえた場合、何に当たるだろうか。恐らく、悲惨な外傷であろう。日本国家が一つの身体を持つ人間と仮定すると、大震災は骨折や裂傷など、他人にも一目で分かる大怪我なのである。
自らの脚の骨が折れている以上、他のことは放っておいても、とにもかくにも手当てをしなければならない。骨折や裂傷という大怪我を負った人が、「この治療法は、後々に副作用があるかも知れないから・・・」 などと、呑気なことを口にすることはない。怪我の手当てをするために、大急ぎで病院に駆け込むことだろう。
国家にとっても同様だ。東日本大震災のような大規模自然災害は、我々日本国民自身の身体の一部が大怪我を負ったに等しい。
国家と人間は異なると言いたい読者もいるかも知れないが、日本が「国民国家」である以上、東北地方の被災は自らの負傷も同様である。すなわち、治療法等にはこだわらず、最優先で手当てをし、回復に努めなければならないのだ。
国民国家とは、英語の「Nation−State」の訳語である。Nationは民族と訳されるケースもあるが、本稿では「国民」で統一したい。
さて、我々日本国民は、常日頃から「自分は日本国民である」という自覚を持って生きている。国民の「自分は○○国民である」という意識の下で成立している国家こそが、国民国家である。すなわち、その国においてナショナリズム(国民主義)が成立しているという話だ。
日本でナショナリズムといえば、すぐに戦前の軍部と結びつけ、「国粋主義」のような使われ方がメディアによってなされる。本稿におけるナショナリ ズムは、国粋主義ではなく、国民主義を意味する。「自分は日本国民である」という自覚を持つ人々の集まりが日本国である以上、我が国は文句なしでナショナ リズムが存在する国民国家である。
それどころか、日本は世界で最もナショナリズムが機能している国である蓋然性が高い。何しろ、東日本大震災という災厄を受け、国民の多くが、「東北地方の復興の負担を、自らも負いたい」 との意志を率先して示しているのである。
例えば、震災後に多くの日本国民が、「被災地の皆さんが苦しんでいるにも関わらず、自分が贅沢をするのは気が引ける」 という理由で、贅沢な外食を自粛するケースが多く見られた。筆者の事務所の周囲の飲食店も、震災直後(二週間ほど)はまさに閑散としてしまい、思わずギョッとしてしまったのを記憶している。
震災直後に、なぜ多くの日本国民が被災地のことを慮ったのかといえば、もちろん「同じ日本国民」が被害に会ったためである。こういっては何だが、 08年5月の中国・四川大地震の際に、被害に会った中国人民のことを思い、贅沢な外食を自粛した日本人はいないはずだ。良い悪いの話ではなく、結局のとこ ろ日本国民は国民国家としては当たり前のナショナリズムに基づき、「同じ日本国民」と「外国人」を区別しているのだ。
無論、マクロ経済的にいえば、東日本大震災以降の国民の自粛は、何ら被災地のためにならないどころか、却って有害である。何しろ、非・被災者が外 食を自粛したところで、その店の売上が減って困るだけの話だ。店の売上が減ると、経営が悪化し、税金を払えなくなる。結果、政府が被災地に振り向ける税収 が減ってしまうのである。
本来、非・被災地住民が被災地のことを考えるのであれば、「買占めをしない」「できるだけお金を使う」「貯蓄を採り崩す(義援金なども可)」が最 も正しい行動になる。非・被災地住民が無用な買占めをすると、本来、被災地に向かうはずだった物資が届かなくなりかねないのはもちろん、「個人が買占めと いう合理的行動を採った結果、マクロ的な供給不足が発生する」という、合成の誤謬を引き起こしかねない。
また、非・被災地住民がお金を使えば、その分だけ国民経済のフロー(GDP)が拡大し、政府の税収が増え、被災地復興の財源が確保される。さら に、そもそもの日本経済の問題である過剰貯蓄が、支出や義援金に回れば、日本全体の金回りが良くなり、国民経済が成長する。結果、やはり政府の税収が増 え、被災地も助かることになる。
とはいえ、ナショナリズムが強い日本の国民が、被災地のことを考えて支出を抑制してしまったという気持ちは、無論、理解できる。「被災地のために何かしたい」という国民の思いは、もちろん尊ばれるべきではある。
(2/3に続く)
(1/3の続き)
問題なのは、被災地を思いやる日本国民のナショナリズムを、「増税」という当初からの(震災前からの)政治的意図を達成するために利用しようとする人々が存在することである。
『2011年5月30日 毎日新聞「東日本大震災:復興構想会議 特区活用で合意 中間整理、増税は賛否併記」
政府の復興構想会議(五百旗頭真議長)は29日、首相官邸で7回目の会合を開き、東日本大震災からの復興に向け、地域と期間を限定して規制緩和な どを認める「特区制度」を活用することを政府に求めることで合意した。「審議過程で出された主な意見」と題した中間整理もまとめ、8分野あった論点を5分 野に整理。復興財源に関しては増税が必要だとの意見を多く挙げたが、反対論も明記した。今後は6月末の1次提言に向けて意見集約に入る。(中略)
5分野は(1)構想検討の視座(震災の特徴、産業・経済・国民生活に与えた影響)(2)地域づくり(土地利用をめぐる諸課題、先駆的な地域づく り)(3)地域経済社会の再生(産業再生、雇用、社会保障)(4)原発事故による被災への対応(5)新しい国づくりに向けて(復興のための資金確保、エネ ルギー環境政策、社会保障政策)。
財源論については、これまで「財源確保」と表現してきたが、今回は「資金確保」と言い換え、与野党にくすぶっている「財源論議先行」との批判に配慮した。
財源を巡って列挙された14の意見の多くは「全国民レベルでの負担の分かち合いが必要」「将来世代に負担を先送りしない」など、増税の必要性を指 摘した。一方で「慎重に検討すべきだ」「財源議論の前の既存歳出見直し」などの慎重論もあり、意見集約は難航しそうだ。(後略)』
政府の復興会議による、中間のとりまとめが報告された。増税の必要性に対し、「全国民レベルでの負担の分かち合いが必要」「将来世代に負担を先送りしない」 などと説明しており、まさしく震災前から消費税のアップを推進してきた人たちが、「これを機に」消費税のアップを実現しようとしていることが見て取れる。
「将来世代に負担を先送りしない」というレトリックなど、まさに財務省的な「言い回し」である。本連載で繰り返し解説してきたが、国民の過剰貯蓄を政府が借りている日本の場合、いわゆる「国の借金」は将来世代への負担の先送りにはならない。むしろ、話は真逆だ。
ポイントは二つある。
一つ目は、そもそも「国の借金」の債務者は国民ではないという点である。国民の預金や保険料、年金積立金などの運用先に困り、金融機関が国債を購 入している以上、「国の借金」の債務者ではなく、債権者こそが日本国民になる。例えば、日本国民が銀行に預金し、銀行が預金を政府に貸し付け(=国債を購 入し)運用している。この場合、当たり前だが、政府の負債の最終的な「債権者」は日本国民になる。
将来世代に先送りされるのは、負担ではなく「資産」だ。将来の日本国民は政府から借金を返済される立場であって、返済する立場ではない。
無論、ギリシャやポルトガルのように「外国の金融機関」から政府がお金を借り続けた場合、これはまさしく「負担の将来世代への先送り」になる。何 しろ、政府が外国からお金を借り、現在の国民が便益を得て、将来の国民が外国に返済することになるのだ。外国の金融機関が債権者で、自国が債務者というわ けである。
この場合、将来の国債償還時において、国民は「政府が借りた金だから、自分は知らない」という立場を取れない。経常収支の黒字を稼ぐなり、あるいは緊縮財政で国民から返済の原資を吸い上げ、その国の政府は「外国に」お金を返さなければならないのである。
それが日本の場合、将来時点でお金を返済してもらうのが日本国民になってしまう。これが何故「将来世代へのツケの先送り」になるのか、全く持って意味不明である。
(3/3に続く)
(2/3の続き)
二つ目のポイントだが、現在の国債発行を忌避する人は、国民経済にとって重要なことは、国内の供給能力を維持し、国民の安全を守る「設備」を保有することであるという基本を忘れている。例えば、二つのケースを考えてみよう。
◆ケースA:政府に負債はないが、国内のインフラが崩壊し、生産やサービスの供給が滞りつつあり、かつ国民の安全を守る設備も利用困難になっている◆ケースB:政府に負債はあるが、インフラが維持され、国民の需要を満たす供給能力が拡大し、かつ国民の安全を守る設備が強化、拡張されていっている
将来の日本国民は、ケースAの世界に生きるのと、ケースBの世界に生きるのでは、どちらが幸福だろうか。100人に聞いて100人が「ケースB」の方が望ましいと断言するのではないだろうか。
ならば、震災復興のみならず、今こそ日本は公共事業を拡大し、「将来の供給能力」及び「国民の安全を守る」ために投資をしなければならない。理由は簡単、今やるのが最も費用が安く済み、将来世代への負担も最も軽くなるためだ。
【図104−1 主要国の長期金利(新規発行十年物国債金利)の推移】出典:外務省
図104−1の話に入る前に、まずはギリシャの現状について解説しておこう。真の意味での財政破綻、すなわち「政府のデフォルト(債務不履行)」直前の 状況に至っているギリシャの長期金利は、5月30日時点で16%を上回っている。すなわち、政府が十年満期でお金を借りようとした場合、年間16%もの金 利を支払わなければならないという話だ。日本の長期金利がギリシャのような状況になっていれば、さすがの筆者も、「今は政府がお金を使わず、投資計画は将来に先送りしよう」 と言いたくなるだろう。
それに対し、日本の長期金利はわずかに1.1%なのだ。すなわち、政府が十年満期でお金を借りようとしたとき、年に1%強の金利を支払えばいいだ けなのである。図104−1の通り、日本の長期金利は、世界最低水準を延々と維持している。現在の日本政府は、「世界で最も安い資金コストで、お金を借り られる組織体」というわけだ。
しかも、現在の日本はデフレが続いており(それゆえに金利が安いわけだが)、建設会社の仕事は少ない。無論、今後は復興需要が拡大していくことになるだろうが、それにしても日本は96年以降、建設投資を削りすぎた。
建設会社の仕事が少なくなっている以上、「今」将来のための投資をすれば、納期が最も短くて済む。質についても、仕事が立て込んでいる時期に比べれば、確実に上昇するはずだ。
【図104−2 日本の建設投資の推移(単位:億円)】出典:国土交通省
バブル絶頂期、及び阪神淡路大震災直後は年に80兆円を越えていた我が国の建設投資は、今や40兆円水準だ。すなわち、2011年の日本国民は、建設投資だけで96年比で40兆円分の「投資という所得」を失っているという話なのである。
ここまで建設投資を減らしてしまうと、さすがに国内のインフラストラクチャーの維持に問題が出てくる。結果、将来世代の日本国民は、今よりも供給能力が低く、安全性も下がってしまった日本を受け継ぐことになる。
それこそが「将来世代へのツケの先送り」そのものである。政府の負債というツケではなく、「投資不足によるインフラの崩壊」というツケが、このままいくと将来の日本国民に押し付けられることになるのだ。果たして、それでいいのだろうか。
諸外国に比べると、日本国民は健全なナショナリズムが強く、これは誇っていい事実である。ならばこそ現在に生きる日本国民は、東日本大震災の被災者はもちろんのこと、将来の日本国民ことを思いやる気持ちを持つべきであると思うわけだ。
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