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豊かさや平和をアイデンティティにしてきた国が、それを喪っていく場合、幸福感も低下するということか
「幸せ」を感じなくなった国 (鈴木幸一氏の経営者ブログ)
2011/5/31 7:00
日本経済新聞 電子版
私の部屋は、いつも「散乱」というか、「とっ散らかっている」という表現がぴったりしている。本に埋もれていると表現されると、なんとなく、時間を惜しんで読書に没頭している風な印象なのだが、ひたすら散らかっているだけなのだ。友人に「部屋が狭くて、モノの収まりようがないので、広い空間に引っ越そうか」と話したら、「部屋の広さの問題ではなくて、片づけること、読みそうもない本やがらくたのモノを捨てることだ」と的確な批判を浴びて、引っ越しを躊躇(ちゅうちょ)し続けているうちに、もはや片づける気力すらなくなってしまった。一念発起して、掃除、整理・整頓をする気になるのも、散らかり方にも閾(しきい)値があって、それを超えると、片づける意欲が消えて、超然として、雑然と散らかり放題の空間に安住せざるを得なくなる。言ってみれば、腹をくくって、勝手にしろといった心境になって、マトモな心がけを放棄してしまうのである。
60歳も半ばになろうとして、残された時間を考えると、2度と手にとって読むはずのない本がほとんどなのに、捨てない。ちいさな倉庫のような空間を借りて、大量の本を移して、いったんはすっきりしたはずが、7年も経つと、元の木阿弥である。
方丈の家にすんだ鴨長明の部屋には、壁に立てかけた琵琶のほか、なにもなかったようだし、昔の人の部屋は、ずいぶんと簡明でシンプルなものだったらしい。
毎朝、3時半に起きて長湯をする。1時間ほどぬるい湯船に浸かって、本を読み、前夜、仕込んだアルコールを汗で吐き出し、汗が引かぬまま、食卓テーブルで珈琲を飲みながら、6時頃まで、今度は違った本を読む。7時までの1時間は、メールをチェックし、なんやかやと支度をして、7時過ぎにはオフィスに行く。昼の仕事、夜の酒席などこなして、家に戻るのが9時半頃、大方、アルコールが身体にまわって、なかば酩酊した状態で食卓テーブルにへたり込んで、音楽など聴いてぼんやりする。茫然(ぼうぜん)自失の時間が過ぎて、11時前にはベッドにもぐりこむ。そんな日々の繰り返しだけなのだから、部屋が散らかるわけがないはずが散らかるのだから、人間の生活は不思議である。いつのまにか不要なモノが積もってしまう。時間とともに、無駄で不要なモノが集積していく過程が、生きていくことかもしれない。とすれば、無駄というモノはないのかもしれないなどと、いい加減な屁理屈を呟いては、散乱した空間に納得するのである。
先般、経済協力開発機構(OECD)が「より良い暮らしの指標(幸福度)」の調査結果を公表していた。さまざまなパラメータを設定して、国内総生産(GDP)に代わる幸福というか生活の満足度の尺度を新しい指標からつくろうというもので、いろんな角度からOECD加盟国の状況の調査結果が出ていて、面白いのだが、暮らしの満足度からみると、日本は加盟国の平均が59%なのに、40%と平均をかなり下回る数字が出ている。カナダ78%、オーストラリア75%、アメリカ70%、ドイツ54%、フランス51%、ソブリン危機にあるアイルランドは73%、ギリシャ43%、ポルトガル36%、ちなみに韓国は36%である。
日本の人たちは、何が不満なのか。経済面の指標で見ると、日本人の家計可処分所得はOECD平均を上回り、さらに家計資産は同平均の約2倍と恵まれている。失業率も平均を大幅に下回り、年間労働時間も少ない。平均寿命82.7歳と加盟国中いちばんの長寿である。暮らしの満足度の指標となるべき数字は、どの数字を見てもOECDの平均を上回っているのだが、満足度というか、幸福度は低いようだ。ちなみに満足度が高いのは、北欧諸国でデンマーク90%、フィンランド86%、ノルウェー84%である。経済指標、満足度とも低いのは東欧諸国である。経済発展が目覚ましい韓国が、日本より幸福度が低いというのが目につく。
こういった調査の結果が、なにを示しているのかについて、意味もないことと疑問の目で見ることに、私なども同感するのだが、そのことはさて置いて、それにしても経済破綻のアイルランドの人たちの73%という高い満足度にはちょっとびっくりする。
アイルランドについてのこうした調査をひも解くと、それはとっても興味深い数字が出てくる。4月に公表されたアイルランドの16歳から20歳の若者に対して行った「幸せですか」という調査(アイルランド・ユニセフ)によれば、「とても幸せ」14%、「かなり幸せ」38%、「まあ幸せ」29%という数字が出て、81%もの若者が「幸せ」と答えているのである。しかも100%近くの若者は、アイルランドが厳しい経済環境にあり、両親が失業の経験をしているのが25%、若者が将来の就職等で強い不安を抱えていることを認識したうえで、なおかつ80%以上の若者は、いまの生活を「幸せ」だとしているのである。日本の若者に「幸せですか」と聞いたら、どんな答えが返ってくるのだろう。
「幸せですか」というか、「どんな時に幸せを感じるの」という質問に対して、アイルランドの若者は、「家族と一緒にいるとき」「友人と一緒にいること」「音楽を演奏すること」「休暇に外出する」「自分なりの気晴らし」などといった項目を上位にあげている。
アイルランドを象徴する色は、緑である。サッカー、ラグビー等々、ユニフォームは緑である。
さあ、野ばらが咲くよ/彼女の小さな緑の墓に(H.Dトムソン)
「わが谷は緑なりき」は、アイルランド系のジョン・フォード監督がウェールズの炭鉱を舞台にした映画の題名だが、大酒飲みだったジョン・フォードと緑が象徴するアイルランドの歴史は、まさに貧困と被差別、被征服、度重なる飢饉など苦渋の歴史の国である。一方で、ジョナサン・スィフト、WB・イエーツ、ジェームズ・ジョイス、サミュエル・ベケットなど、歴史に大きな足跡を残した芸術家を輩出した国である。もちろん、アイリッシュウイスキーの国であり、ニューヨークのバーの形をつくったのも、アイルランドから移住してきた人たちである。
いっとき、ダブリンに投資家が集まり、私もIRで何度かダブリンを訪れたことがあった。寒くて強い風に背を丸めながら、出張者そのものの私は、それでもアイリッシュバーでウイスキーを飲んだことを忘れない。さしたる知識もないけれど、アイルランドへの思いは、子供のころから変わらない。アイルランド生まれの小学校唱歌だってたくさんある。
ところで、経済指標では、はるかに豊かな日本の若者が、「家族と一緒にいたり」、「友人と一緒にいる」時を過ごすことで、「幸せを感じる」と答えるだろうか。家族や人との絆を確認することで、「幸せ」な暮らしを実感できなくなった日本という国の人々は、どこに幸せを求めているのだろうか。「幸せ」の尺度を経済指標という数字にとらわれていると、果てしない上昇を続けていない限り、いつも不満の思いばかりが募ってしまうようだ。企業が持続的な成長を続けていかない限り、将来に不安が襲うように、人々も家計が膨らんでいかない限り、「幸せ」の実感を得られないとしたら、大変である。現状に対する不満は、経済成長を促す欲求の原点かもしれないが、それは精神の自転車操業といった状況に人を追いやってしまうようだ。いまや「相応に」という言葉が消えてしまって久しい。
家族や友人との絆を確かめる時間をもち、音楽に触れることで、慰めや喜びを感じるアイルランドの若者のぬくもりは、経済発展による豊かさを求めすぎて、生きていることのちいさな喜びを忘れてしまった日本とは、対照的な姿である。
敗戦の廃墟から高度成長を経て数十年、経済指標にみる「豊かさ」を得るために払い続けた代償は、途轍もなく大きなもののような気がする。生きていくことの大切な核というか、日々の暮らしにちいさな喜びを感じる精神というか心の働きそのものを、経済的な豊かさを求めることだけに邁進しているうちに、失ってしまい、いまなお、壊し続けている気がするのだが。
国民の負担率が低く、負担率を上げれば、日本の財政破綻はなんとかなるという期待感で、巨額の赤字の状況でも、日本は辛うじて信用を得ているのだが、今の日本で、断固として、そのことを実行できる政治家が出てくるのだろうか。もちろんそれは、国民の問題であることは間違いない。
私も、広い空間を求めるより、まず、掃除、整理・整頓に骨身を惜しまず、力を入れてみようかと。
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