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三橋貴明 だんだん支離滅裂になりつつあるな
自由貿易によって、今の豊かさを今後も維持できるわけではないから
無条件な自由貿易礼賛を批判したいのはわかるが
対案が無ければ、意味がない
農業なら保護貿易を行っても、一部の農産物価格が倍になるくらいですむが
ハイテクや工業製品で保護貿易を行えば、マイナスの影響は甚大で自分の首を絞めるようなものだ
http://www.gci-klug.jp/mitsuhashi/2011/05/26/012802.php
三橋貴明の「経済記事にはもうだまされない!」第103回 自由貿易と経済成長 2011/05/24-26
フランスのルモンド紙は、2009年3月に「保護主義というタブー(ジャック・サピール(Jacques Sapir)社会科学高等研究院 研究部長、産業様式研究センター所長)という社説を書いた。最も重要な部分のみ、引用しよう。
『自由貿易は二重に不況を導く効果を持つ。一つは賃金に対する直接の効果である。もう一つは、自由貿易によって起こりうる減税競争を介した間接的な効果である。ある国のメーカーが、コストの切り下げ競争と社会保障の切り詰め競争に直接的にさらされたとすると、政府は雇用を守るために、国内の利益水準を確保しようとして(工場の国外移転を回避するための必要条件として)、社会保険料の企業負担分を賃金労働者に転嫁する。つまり、賃金が圧迫され、税の公平性は薄れ、間接賃金である社会保障給付は減額される。それは大半の世帯の収入に重くのしかかる。金融所得に期待できない御時世ゆえ、従来の消費水準を維持するには借金するしかなくなってしまう。』
ルモンド紙は「自由貿易が不況を導く効果」として、主に二つをあげている。
一つ目は、自由貿易の思想の下で、ある企業がグローバル市場における勝利を目指した場合の直接的な効果である。すなわち、先進国の企業が中国やインドなど、低賃金諸国とグローバル市場において競合した結果、国内の人件費を切り詰めざるを得ないという効果である。
人件費の切り詰めとは、そのものずばり「賃金水準の引き下げ(あるいは人員削減)」である。インドや中国など、国民所得が極端に異なる国々の企業と、先進国の企業が競合状態に置かれた結果、国内の賃金水準を引き下げざるを得ないという問題だ。
アメリカの経済学者アラン・トネルソン氏は、グローバリズムや自由貿易に付きまとう「不可避的問題」として、「底辺への競争」を提起している。
【103−1 TPP諸国 2010年国民所得(国民一人当たりGDP)】
20110524_01.png
出典:IMF
図103−1の通り、ベトナムの国民所得は日本の36分の1水準だ。ちなみに、筆者はベトナムにも、ベトナム国民にも全く含むところが無いことは、事前にお断りさせていただく。
それにしても、国民所得が36分の1の国と「グローバルスタンダードで戦え!」と言われても、無茶な話としか言いようがない。TPPに関連している諸国の中で、本格的な製造大国は日本しかない。36分の1の国民所得であるベトナム人を雇用することができるのであれば、もしかしたら経団連の輸出製造企業の経営者などは喜ぶのかも知れない。とはいえ、果たしてそれが「日本国民の豊かさ」に貢献するのだろうか。
アラン・トネルソン氏は、無制限なグローバリズムの追及や自由貿易は、要素価格の平準化を呼び込み、付加価値による競争を無意味化すると述べている。36分の1の国民所得の労働者と真っ向から競合させられては、「付加価値で勝て!」も何も、あったものではない。
結果、諸外国の労働者の実質的な賃金水準は、「世界最低水準」に収斂化することで安定化すると、トネルソン氏は述べている。すなわち、グローバル市場で国民所得が低い国々とまともに戦うと、日本国民の実質賃金は、最終的には世界最低水準に落ち込むことになる。これこそが「底辺への競争」である。
(2/3に続く)
(1/3の続き)
また、英国の政治思想史学者のジョン・グレイ氏は、グローバリズムの問題として「新しいグレシャムの法則」を提唱している。トネルソン氏同様に、無作為な自由貿易、グローバリズムの推進により、国民の賃金水準が下落することを憂慮しているのだ。
「自由貿易に対する規制の経済的不効率性はほとんど自明なことなので、規制なきグローバル自由貿易を批判する者はだれでも、すぐに経済的無知という罪を着せられてしまう。しかし、規制なきグローバル自由貿易への経済的観点からの賛成論は社会の現実から大きくかけ離れた抽象論になる。グローバル自由貿易の制約が生産性を向上させないことは真実である。しかし、社会的混乱と人間的悲惨というコストを払って達成される生産性の極大化とは、常軌を逸した危険な社会理念である」
と、グレイ氏は述べている。
新しいグレシャムの法則とは、
「労働賃金が、より実質価値が低い方に収斂していく」
という説である。ちなみに、元々の「グレシャムの法則」とは、
「貨幣の額面価値と実質価値に乖離が生じた場合、より実質価値の高い貨幣が流通過程から駆逐され、より実質価値の低い貨幣が流通する」
というものであった。
グレイ氏は、貨幣の実質価値と同様に、労働賃金も、より実質価値が低い基準に収斂すると述べているわけだ。「自由貿易への憂慮」というコンセプトについては、トネルソン氏と同様である。特に、企業が自由貿易に基づき、グローバルスタンダードを追い求めた場合、冗談抜きで世界的な賃金水準が「実質価値が低い水準」に収斂していきかねない。何しろ、グローバルスタンダードとは、基本的には、
「仕様を守る限り、誰が作っても同一の品質になる」
という考え方である。
そこには、製品に新たな価値を付与し、「より高い金額で販売する」という発想はない。中国だろうがインドだろうが、仕様を守る限り、どこの国の労働者が生産しようとも、基本的には「同品質」の製品が生産されてしまうのである。結果、労働賃金が「最も低い水準」の方向に収斂しても、当たり前すぎるほど当たり前だ。
そもそも、企業がグローバル市場において勝利を求める場合、最終的には「生産性の極大化」に頼るしかない。そして、企業のエゴイスティックな生産性の極大化とは、主に以下の手法に依らなければ達成し得ないのである。
◆ムダを徹底的に省く
◆非効率な雇用を切り捨てる
◆労賃を減らす
◆生産工場を海外に移転する
◆国内を徹底的に寡占市場化し、キャッシュマシーン化する
上記全てを実現すれば、企業の生産性は極大化するだろう。だが、果たしてそれが「国民経済」にとって健全と言えるのだろうか。
グレイ氏は自由貿易の問題点について、さらに以下のことを述べている。
「規制なきグローバル自由貿易は、やはり労働者の賃金、なによりも特に先進国の非熟練製造業労働者の賃金を低下させる。もし国際貿易に対する障壁が低くなれば、労働も含む生産要素の価格は同一水準に収斂する傾向になるだろう。これは経済学者が『要素価格平準化』と呼ぶものである。『あなたの賃金は北京で決定される』ようになるというような見通しを経済学者が口にするとき、彼らが意味するのはこのことである」
すなわち、企業の生産性向上あるいは「企業のグローバル市場における勝利」のみを追い求める限り、国内の賃金水準は下落せざるを得ないわけだ。ちなみに、輸出依存度(財の輸出÷名目GDP)が日本の三倍超に達している「真の意味の」輸出依存国である韓国では、日本を上回るほどに実質賃金が毎年、下落を続けていっている。
09年の韓国の実質賃金の下落率は、何と対前年比でOECDワースト2位となった。ちなみに、ワーストだったのは、08年に破綻したアイスランドである。サムスン電子や現代自動車の「グローバル市場」における躍進が、日本の新聞紙上を騒がすことが多いが、果たして韓国国民はそれで幸福なのであろうか。
さて、ルモンド紙が自由貿易の懸念点としてあげている二つ目、すなわち「自由貿易によって起こりうる減税競争を介した間接的な効果」である。これが何を意味するのかといえば、もちろん「法人税の減税」の悪影響だ。
法人税を減税すると、企業の純利益が増大する。企業の純利益が増大すると、それはもちろん株主は喜ぶだろう。企業の経営者の役員賞与も増える。
問題は、法人税の減税が実施されたとき、必ずその国の「政府」が損をしているという話である(当たり前だ)。政府は法人税減税により減少した歳入を補うべく、社会保障費の減額や消費税等の増税に走らざるを得ない。結果、その国の国民は次第に「貧乏」になっていく。フランスほどではないが、日本人であっても思い当たる点が幾つもあるのではないだろうか。
(3/3に続く)(2/3の続き)
ちなみに、筆者は例によって、自由貿易を「全て悪!」などと言って全面的に否定したいうわけではない。それにしても、自由貿易が「必ず善!」というわけではないのも確かだ。その国の国民にとって、自由貿易が豊かさの拡大に貢献するのであれば、淡々と推進すればいい。そうでなければ、ある程度は保護主義的な政策を採るべきだ。環境によって、適切なソリューション(解決策)は変わる。政治家が環境を確認し、是々非々で政策を実施すれば良い、と言いたいわけである。
『2011年5月22日 日本経済新聞「TPP先送り「平成の開国」の看板が泣く」
震災の復興には、日本経済の成長が欠かせない。その成長を支えるのは、輸出を柱とする貿易である。自由貿易を目指して国を開くのが、いま日本が進むべき道であるはずだ。
菅政権は逆のメッセージを世界に発している。米国など9カ国による環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加に関し「6月に結論を出す」としていた方針を先送りした。菅直人首相は自ら掲げていた「平成の開国」の看板を下ろしたのか。(中略)
震災後でも、日本にとって自由貿易が重要であることは変わりない。むしろ輸出を拡大し、復興に必要な投資を呼び込むために、震災前より自由化を急がなければならない。
少子高齢化が進む日本が成長を維持するには、海外との経済連携を強め、アジアなどの活力を取り込む必要がある。被災した東北地方で大胆に農業改革を実施し、農地の大規模化を進めることもできるはずだ。
TPPで足踏みする一方、菅首相は日中韓首脳会談では3カ国の自由貿易協定(FTA)に意欲を示す。改革から逃げて、優先政策が定まらなければ、日本への世界の同情は失望に転じるだろう。菅首相は背筋を伸ばし、開国の意志を貫くべきだ。』
何というか、
「自由貿易は宗教じゃありませんよ」
などと、賢しげに忠告したくなるような社説である。自由貿易は別に、イデオロギーでもなければ、宗教でもない。単に、「国民を富ませるための一手段」に過ぎないのだ。
例えば、日本企業がグローバル市場で「輸出を柱とする貿易」を推進し、成長を目指したとして、国民の給与水準が下落していってしまうのでは、全く意味が無い。と言うよりも、国民の給与水準を下落させてまで、日本企業がグローバル市場で戦う意味があるのだろうか。企業とは、もちろん収益の最大化を目指すべき組織体である。但し、同時に国民経済に貢献することをも求められていることを忘れてはならない。
【図103−2 日本の財の輸出総額(左軸、単位:億円)と平均給与(右軸、単位:千円)】
20110526_03.png
出典:財務省、国税庁
図103−2の通り、アメリカの不動産バブルが拡大し始めた02年以降、確かに日本の輸出総額は増えた。しかし、同時に国民の平均給与は下落を続けたわけである。
無論、日本国民の給与水準が下落していったのは、97年の橋本政権による緊縮財政開始以降のデフレ深刻化の影響が大きい。それにしても、
「日本の輸出拡大が、給与水準の上昇に役立たなかった」
ことは、紛れもない真実である。
これは、改めて考えてみると当たり前だ。先に、ルモンド紙、アラン・トネルソン氏、ジョン・グレイ氏の言説を見た通り、自由貿易は企業のグローバル市場における競争を激化させ、国民の賃金水準を引き下げる効果が発生する。すなわち、デフレ促進だ。
フランスや韓国同様に、日本も「新しいグレシャムの法則」からは逃れることができていないのだ。
個人的には、日本が自由貿易で繁栄しようが、保護主義で繁栄しようが、どちらであっても構わない。それにしても、日経新聞の社説のように、
「自由貿易を目指して国を開くのが、いま日本が進むべき道であるはずだ」
と主張するのであれば、せめてその数値的根拠だけでも示して欲しいと思うわけである。単に、フレーズのみで日本の自由貿易推進を煽り立てるのでは、単なる扇動者でしかない。そして、新聞とは「社会の公器」を名乗っている以上、扇動者であってはならないと思っているわけだが、いかがだろうか。
本ブログの「グローバル化」関連記事はこちら。
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