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産業投資のために中銀が金融操作を行い、人為的なインフレで家計を搾取して資金を供給することは、途上国には許されてきたが
本来は日本のような先進貿易黒字国や、米国のような基軸通貨国家には許されない
それが再び行われるほど、世界の経済は歪みつつあるということか
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/7501
金融「不自由化」の時代 The Age of Financial Repression
2011.05.12(Thu) 谷口 智彦
倉都康行さんは不肖わたくしの見るところ、その名に値する真の金融ジャーナリストとして日本では稀有な存在だと思っている。
と持ち上げられたところで、最近も『危機第三幕』『国際金融の大変化に取り残される日本』と粒揃いの著作をものしてきた倉都氏にはむしろトンダお節介かもしれないが、今回のネタはその倉都さんに気付かされた(正確にはジリアン・テットがFTに書いていたのを倉都さんが気付いた)ものなのだから、最初にお礼を言っておかなくてはいけない。
Financial repression、あえて訳語を探ると直訳で「金融抑制」、平たく言うと「金融不自由化(『金融自由化』の正反対)」が、時代のバズワードになるだろうというお話なのである。
これが金融のバズワード?
カーメン・ラインハート氏は現在、ピーターソン国際経済研究所のシニアフェロー
言葉の出典は、カーメン・ラインハートが最近出した研究論文「The Liquidation of Government Debt(政府債務の清算)」だ。
ラインハートといったら、邦訳『国家は破綻する・金融危機の800年』(原題This time is different)というケネス・ロゴフとの共著を世界的ベストセラーにした女性経済学者だが、このたびの論文は景気判断など手がけるので有名な全米経済研究所(NBER)から出た。
共著者が1人いるが、ラインハートの弟子に当たる若い女性経済学者である(日本にもっといてほしい存在である)。
長い論文をひととおり見て、簡単に要約すると、ラインハートがここで提言しているのは当たり前すぎて拍子抜けするテイのものだ。
お金を借りて金利を払っているとする。そのとき物価上昇率が金利より高いと、借り手の金利負担は実質でマイナスになる。
と、いうより、差し引きで得をし続けるから、お金を借りて補助金をもらっているのと同じ結果になる。
つまりは人為的低金利政策を維持し、これと緩やかなインフレとを組み合わせることが、債務削減には最も効果があるという話だ。
なんだそんなことかと思わざるを得ないのは、これこそ戦後日本の民間セクターにとってありふれた、馴染みの光景だったからにほかならない。
実は日本のお家芸・高度成長の秘密
今は思い出すことが少なくなったけれど、1980年代にいわゆる金利の自由化を迎える以前、日本の金利はすべて規制体系のもと整然と決まっていた。
「臨時金利調整法」という1947年にできた法律によって、「大蔵大臣は・・・日本銀行政策委員会をして金融機関の金利の最高限度を定めさせることができる」ことになっていた。「臨時」のつもりが、高度成長期を一貫して続く体系になった。
そこのところ、金利が人為的に低く、インフレ率以下に抑制(repression)されていた結果、いろいろひずみが出たと批判して生涯倦むことを知らなかった松沢卓二(故人・富士銀行会長)はズバリ、
「インフレ率以下に金利が抑えられていれば、産業界は資金を競って借りまくり、銀行界も激しい競争状態のもとで貸し出しを増加させていく。オーバーローン、オーバーボロイングも、ある意味では当然の現象であった」(『私の銀行昭和史』東洋経済新報社、1985年)
と述べている。
借りれば借りただけ、実質金利マイナス、すなわち補助金をもらうに等しいことになったのだから、それは成長したわけだ(いまの中国がその状態だと、ラインハート)。」
同じメカニズムが、戦後先進国政府の債務削減に有効だったと史料を博捜し実証して見せたのが、ラインハート論文の出色である。
戦争直後、先進各国は戦時歳費の膨張がもとになった政府債務の累積にあえいでいた。それを解消させたのは上の組み合わせ、すなわち人為的低金利と、金利を上回る物価上昇率とのカップリングだったのだと論文は言う。
言い換えるなら、はじめ日本、やがて米欧の先進各国を軒並み襲った今日の政府債務の累積は、再びこの組み合わせによって清算していくことが最も望ましいという政策的意味合いにつながる。
政府債務減らすには低金利+インフレ
日本政府は(少なくとも震災前まで)政府債務を減らそうと、成長戦略なるものを立てて経済成長率を上げることを試みるつもりだった。それから歳出に大ナタを振るいたいところ、それほどできないものだから「仕分け」などしてせっせとその装いを演出していた。
けれども日本政府に限らず誰が試みたところで、成長戦略によっても、歳費の削減によっても、政府債務からの脱出にさほどの効果はないとラインハート論文は明快である。
そんなことをするひまには、金利を物価上昇率以下に抑制するのがいちばんいい。
と、こういう診断になる。
時代は、ほぼ30年分、時計の針を逆に戻すことを迫っているらしい。「金融」とくれば「自由化」と答えるのが、1980年代このかた日本や欧米各国で常識と化した通念だったとすると、この先必要なのは「金融抑制」であり「金融不自由化」なのであるから。
抑制=repressionの手段には、ラインハート論文が言うところいくつかの方法がある。
金利に上限をつくるという、我が国臨時金利調整法の方式が、ひとつ。そしてもうひとつが、「人質的な引き受け手」をつくって維持することだという。
この後者は、黙っていても政府にカネが流れるように、資金の出し手を事実上人質みたいにしてしまうことをいい、これにもいろんな方法があるけれど、日本ではとっくに実現している。
個人金融資産が圧倒的に銀行預金に定着し、それがそのまま国債買入ファンドと化している状態こそが、「人質的資金の出し手」が日本において事欠かないことを証すものだ。
この状態でラインハート説にしたがい「低金利+インフレ」の枠組みを導入したとすると、預金者には懲罰的な、債務者である政府には報奨的な枠組みになる。
市場原理が去って、資金は権力が配分
が結局それしか政府債務を減らすことはできないというわけである。繰り返すがこれは戦後日本の企業金融における基調だった。いま対象を、政府金融に置き直せということになる。
ともあれ、貯蓄の源泉である国内家計からきちんと政府にカネが回るようにしたうえで、低金利を人為的に押し付けるたぐいのやり方がお奨めだという のであるから、国境を越えて資金に飛翔させる金融のグローバリゼーションこそは忌むべきである。カネは自国内で、権力的に再配分されることになる。
市場原理への反動であり、権力原理への招聘か。「金融保護主義」の勧めだとも言い換えられる。ちなみにこちらの用語は、先ごろマッキンゼー・グローバル・インスティテュートが低金利時代の終焉を言うのに編み出したコトバだった。
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