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2011-05-01 ひょう吉の疑問 より
http://blog.goo.ne.jp/akiko_019/e/59df6e8028b673cf13e7236038c7b44b
震災で多くの国富が失われた。
これからますます失われるだろう。
それはまず預貯金の減少となって現れる。
被災者は現在今までの蓄えを取り崩して生活している。
銀行に預けたお金を取り崩すのだ。
そうなると東北地方を中心に銀行の預金量は減る。
ここでまず預金通貨の量が減少する。
銀行の預金量が減るということは銀行の貸し出しも減るということだ。
銀行の預金量が減れば、銀行の貸し出す融資額も減る。
これによって世の中に出回る通貨量は二重に減る。
被災企業の再建は多額の融資を必要とするが、それが通貨量の減少によって阻害される。
被災企業の再建がうまくいかなければ、そこで働く人々の雇用が保障されない。
雇用のない被災者は今までの貯蓄を取り崩すしかなく、銀行預金は減り、ますます通貨不足が加速する。
つまり国富が震災によって失われたことにより、日本全体の通貨量が減少する。
国富が失われたことは自然災害だからどうしようもないにしても、
政府が今しなければならないことは、国富の減少によって発生する通貨量の減少を食い止めることだ。
政府は増税によって復興費に当てようとしているが、これでは自分の血肉を自分で食っているようなもので日本全体の通貨量の増大にはならない。
1930年の昭和恐慌において時の蔵相高橋是清は、国内の通貨不足を解消するために日銀直受けの国債発行を行った。
その直前には金本位制を離脱し、現在の管理通貨制度への制度変更を行い、国家の裁量で自由に通貨の発行が行えるようにしている。
それは結果として円の価値を下げ、日本の製品が国外で売れるようになり、輸出の拡大をもたらした。
こうやって日本経済は昭和恐慌を脱出した。
国債を買い取った日本銀行がその国債を市中銀行に降ろした(引き受けさせた)のはその後である。
このことを見ても、震災時や恐慌時に通貨量を増大させることがいかに大事なことかが分かる。
ところが今の菅内閣は、国債発行の議論をするにあたってその償還財源をどうするかの話ばかりしている。
だから増税の議論ばかりが先行することになる。
増税の議論を先行させて消費は増えない。
逆に国民の財布のひもは堅くなるだけである。
今回の東日本大震災と、80年前の昭和恐慌との政府の対応を比較してみると、話の順番が全く逆になっていることが分かる。
当時の日本と違うのは今の日本は債権国であり、米国債だけでも少なく見積もっても60兆円以上の米国債をもっている。
一番手っ取り早いのはそのような外国債を売却してそれを復興費用に充て、通貨量を増大させることなのだが、そのような議論はなぜか封印されている。
通貨量を増大させねばならないときに、増税を言い出すのは国民を萎縮させるだけである。
日本の国富が震災によって減少したときに、増税をしてはいけない。
それよりも被災者に対して早く給付金を手渡すこと、それによって銀行預金の減少を食い止めること。
そして被災企業に対しては貸出金利を低くして経営者が銀行からの融資を受けやすくすることだ。
これは通貨量を増大させなければできないことだ。
労働力を活性化して失われた国富をもとに戻すには、通貨量の増大が必要なのだ。
通貨が自由に流通すれば、被災者は自由に活動できる。
今通貨量を増大させることはその活動を保障するためであって決して国民に贅沢をさせるためではない。
確かにアメリカが中央銀行(FRB)と組んで行ったドルの増刷(ジャブジャブ政策)は投機マネーの動きを勢いづけ、非常に不健全なマネーゲームの世界へと世界を引きずり込んでいるが、
日本が今置かれている状況はそれとは全く違う。
被災した地方自治体にも財源は残っていない。
被災した人、企業、地方自治体に通貨を供給するのは国に仕事なのだ。
それこそがまっ先にすべきことであって、
それが上手く行って初めて、増税論が出てくるべきなのだ。
その筋道が全く逆転している。
ピントのはずれた菅内閣にはお引き取りいただくしかなかろう。
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