http://www.asyura2.com/11/hasan71/msg/606.html
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もちろん実質経済成長↑でサービスの供給量を増やすことのお重要性は明らかだが
必要なサービスを効率的に増やし、きちんと再分配が行われないと、
格差拡大によって国民の幸福度は増大しないから注意が必要だ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110425-00000006-zdn_mkt-soci
それでも経済成長が必要な意味
Business Media 誠 4月25日(月)12時5分配信
それでも経済成長が必要な意味
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電力不足に直面する関東圏。そんな中で出てくるのが「こんなに便利である必要があるのか?」「昔はなかったのだから、なくても大丈夫だろう」「夜に店が開いている必要はない」という類の議論です。
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確かに真夜中でも煌々(こうこう)と電気がついた街で、24時間多くのサービスが受けられたり、猛暑の中、クーラーで冷やした部屋でサマーセーターを着用したり、冬にはシャツ1枚で歩けるくらい家全体を暖めたりする。「こんな生活をする必要が本当にあるのか?」とは、誰もが一度は持つ疑問でしょう。
政府は毎年、当然のように「●%の経済成長を目指す」と目標を掲げます。しかしいったい私たちは、何のために経済成長を目指すのでしょうか?
ちきりんはこの問いへの自分なりの回答を、20代の終わりに米国の大学院に留学した時に手に入れました。
その学生街ではホームレスや障害者、まだ効果のある薬が開発されていなかった時期のHIV陽性者など、「弱者と呼ばれ、社会から疎外されていた人たちに、強者と同じ機会を与えるべき」という思想と理想を、大学はもちろん街全体が実践しようとしていました。
バスはすべて自動昇降ステップが付いていて、実際に多くの停留所で車いすの人が乗り降りしていました。授業には聴覚や視覚、四肢など、さまざまなところに障害を持つ学生たちが出ているのですが、彼らにはボランティアの学生が授業ごとに1対1で付いていて、ノートをとったり教科書のページをめくったりする手伝いをします。
そういった人たちも学生寮で暮らせるよう、毎週1時間でもボランティアができるような仕組みになっていて、多くの学生が洗濯などの日常の手伝いや、外出の手伝いをします。外出は買い物や授業に行くなどの不可欠なものだけではなく、フットボールを見に行くとか、デートに行くといった外出も含めてサポートしてもらえます。さまざまな不利な条件を持つ人が「普通の生活を望むことの当然さ」を、街全体が受け入れていたのです。
●経済発展して何の意味があるのか
「障害者は隔離されて教育される」時代の日本で義務教育を受けてきたちきりんには、それは衝撃的な光景でした。そして「国が豊かになることの意味」を理解したのです。「こういう社会を実現することが可能になる。それが国が豊かになる意味、メリットなんだな」と。
発展途上国に行くと、バスにはあふれんばかりに人が乗っています。走り出したバスのドア枠にしがみついて乗車し、降りる時は周りの人を押しのけて飛び降りる。信号もない交差点を洪水のように走り続けるバイクやクルマの列の合間をぬって道を横断する。駅の階段にはエレベーターもエスカレーターもない。
そういった環境では、車いすの人はおろか、杖をついているだけでも日常生活に大きな支障がでます。視覚などに障害があれば、事実上1人では街に出られないと言っても過言ではないでしょう。
「経済発展して何の意味があるのか」という問い。「人は本当に経済発展とともに幸せになっているのか?」という問い。「便利なものはなかったけれど、昔の方が幸せだったのではないか」という疑問。
「これらの疑問や問いは、強者が感じるものなのだ」と気が付きました。階段が難なくのぼれて、公共交通機関しかなくて大混雑している街でも移動に困らない、自律的な体温調整ができる、そういう人だから「ぜいたくでは?」と思うのだと理解したのです。
そして留学後、ちきりんはクリアに答えられるようになりました。「なぜ経済発展が必要か?」と問われたら、「弱者も生きること、生を楽しむことが可能になるからだ」と。豊かになるとはそういうことなのだと。
経済状況が厳しければ厳しいほど、人間の社会も基本的には動物の世界に近付きます。弱者に構っていられなくなるのです。そして、力のない者は淘汰されます。
戦争になれば、子どもやお年寄り、ケガ人や病人、走ることのできない妊婦、体の弱い人から順に死んでいくのです。力の強いもの、生物としての生存能力の高い人しか生き残れなくなります。
災害が起こって水や電気が止まれば、持病のある人、透析や人工呼吸器などが必要な人、共同生活ができない状態の人は、一気に命の危機さえ感じなくてはなりません。それは「疲れる」「よく眠れない」程度の話ではないのです。
弱者も生存でき、生活の楽しみを経験できる世の中にするためには、社会には一定の余裕が必要です。強者にとってはぜいたくに思えるかもしれない設備も、弱者には生活の必須アイテムかもしれません。
だから、やっぱりちきりんは今の日本においてさえ、「もう経済発展しなくていい」とは思いません。私たちは進み続けるべきなのです。
そんじゃーね。
著者プロフィール:ちきりん
兵庫県出身。バブル最盛期に証券会社で働く。米国の大学院への留学を経て外資系企業に勤務。2010年秋に退職し“働かない人生”を謳歌中。崩壊前のソビエト連邦など、これまでに約50カ国を旅している。2005年春から“おちゃらけ社会派”と称してブログを開始。著書に『ゆるく考えよう 人生を100倍ラクにする思考法』がある。Twitterアカウントは「@InsideCHIKIRIN」
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最終更新:4月25日(月)12時5分
Business Media 誠
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