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「大風呂敷」と呼ばれた男をご存じだろうか。大正12年9月1日の関東大震災の翌日に内相に就任、その夜に東京大復興根本策を書き上げた後藤新平である。同27日に発足した帝都復興院総裁を兼務。が、壮大な計画も致命的な弱さがあった。財源である。関東大震災被害額は50億〜100億円で当時の経済規模の3割前後から6割に上り、まさに国家存亡の機だった。ちなみに東日本大震災の政府見積もり被害額は最大値でもGDP比で約5%にとどまる。
◆資金不足との闘い
日本は第一次大戦時の対外債権が不良資産と化し、再び債務国に転落していた。30億円の後藤構想の3分の1、10億円規模(現在で約5千億円)の復興債、「震災善後公債」の発行を決めたが、国内では消化できない。国内債の金利が5%なのに、金利6・5%の米ドル建て公債約3億円/6%英国ポンド債約2億4400万円を起債した。米金融大手のモルガン商会などへの手数料払いなどで日本側の手元に残ったのは発行総額の86%、4億6600万円にとどまった。しかも、翌年に期限が迫っていた日露戦費のための英ポンド債償還に回すため、震災復興にはわずか9900万円しか充当できなかった。外債は「国辱公債」と呼ばれた。国内にカネのない国の悲劇である。
他にも、震災のため決済が困難になった銀行保有の手形を日銀が特別に引き受けた「震災手形」は4億3082万円に上った。後藤構想は近代都市建設の方向性を歴史に刻んだが、経済の大復興は中途半端に終わった。1928年3月には震災手形問題が爆発して金融恐慌が勃発、翌年にはニューヨーク株価大暴落をきっかけとする大恐慌に遭遇した。以来、軍部が台頭し、日本は日中戦争の泥沼にはまっていく。
第二次大戦後の復興も資金不足との闘いだった。米国の「ガリオア・エロア援助」により46年から6年合計で50年当時の国民総生産の約5・6%相当の提供を受けたが、大半は脱脂粉乳、穀物など「物」であった。結局、日本を立ち直らせたのは50年6月に勃発した朝鮮戦争に伴う特需だった。
東日本大震災後の日本には、以前の復興時に比べて大きく恵まれた条件がある。今の日本は世界最大の債権国で、総債権から総債務を差し引いた純債権は約270兆円ある。政府の総債務(昨年末で919兆円)の大半はもとより、さらに米国などの財政赤字を貯蓄がまかなっている。関東大震災後のように屈辱的な条件で外国から借り入れ、復興過程で巨額の富を米英の銀行家に差し出す羽目になる恐れはない。
◆抜けきれぬ戦後の記憶
戦後のように、厳しい緊縮政策をとらなくても、政府が有り余る国民の預貯金を国債により吸収して復興のために投資すれば、国内の人材、技術、設備、土地などが活用され、経済は拡大し税収は自然に増えて債務返済し、さらに国内に還元できる。にもかかわらず、民主党や自民党は復興財源を増税に求める。国内に金融余力がなかった関東大震災後や戦後の記憶から抜けきれない。後藤のようなグランドデザインを描けるリーダーがいない。
巨額の国債増発が金利上昇圧力を金融市場に加える可能性はゼロではない。ならば、金利上昇圧力を緩和または払拭できる方法を考えればよい。そのためには財政と金融の一体化が条件になる。やり方は大きくわけて二つある。一つは復興国債の日銀直接引き受けだが、財政法上、国会の同意が必要なので、政局から見て早期実現が難しい。そこで筆者が提案するのは、金融市場を経由した日銀資金の活用である。
政府は米国債を中心に100兆円余りの外貨準備を保有している。政府は政府短期証券と呼ばれる短期国債を発行して国内の貯蓄を吸い上げ、米国債購入に充当している。国内貯蓄は本来、国内投資に振り向けるのが経済のイロハである。対米協調は必要だが、日銀がお札を刷って米国債を買うのが筋というものだ。
日銀が短期証券をそっくり市場から買い上げ、その資金約100兆円を流す。政府は復興国債を発行してこの資金を吸収すればよい。金融市場の資金需給はバランスするので、金利は上がらない。もちろん政府総債務は増えるが、復興に伴う経済規模の拡大による税収を財源に償還する手順を復興計画に盛り込めばよい。国内貯蓄の裏付けがある日本国債の信認は揺らぐことはない。与野党とも、債権国の余力を再認識し、日銀を説きつけて迅速な復興に邁進すべきだ。
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