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■被害総額は30兆円以上。
東日本大震災については、震災規模などからすれば、被害総額は20兆円以上、原子力発電依存のエネルギー・インフラ体系の見直しを勘案すれば30兆円以上に達すると覚悟しなければならない。
■1995年1月17日に発生した阪神大震災後の日本経済はどうなっただろうか。阪神大震災の被害総額は約10兆円といわれる。当時は連立政権で自民、社会、新党さきがけの3党寄り合いだった。社会党の村山富市氏が首相で、首相官邸の危機管理体制はゼロだった。震災勃発当時、村山首相は危機の重大性を認識するのに手間取り、自衛隊の救援出動も遅れた。復興のための財政出動も当初はもたついたが、95年度は3度の補正予算で計3兆3800億円を投入した。
財政支出を呼び水に、企業設備投資は震災から半年後に急速に回復し、住宅投資は1年後にめざましい回復を遂げた。震災の打撃を受けた1994年度に1.5%だった日本全体の実質経済成長率は95年度2.3%、96年度2.9%と上昇していった。被災した地域や住民ばかりでなく国民全体の努力によりわずか2年間で21兆4150億円も経済規模を拡大するのに成功した。政権が頼りなくても、国会を含めた政治全体が機能し、適切な経済対策、つまり財政出動に打って出れば、すみやかな復興が可能だという教訓を阪神大震災後は示している。
■公共投資は需要呼び水。
早期の財政出動がなぜ復興の決め手になるのだろうか。
95年度に目覚ましい伸びを示したのが公共投資と民間設備投資である。公共投資は全体の2.3%の成長率のうち0.6%を、設備投資は0.5%を構成した。96年度になると、公共投資は削減され寄与度はマイナスに転じたが、民間住宅投資が急増し、寄与度は0.6%に、設備投資はさらに加速して同0.8%に達した。しっかりとした個人消費の基盤のうえで、政府による公共投資が設備投資や住宅投資の呼び水となって経済復興が進行したわけである。
しかし、97年度になると、こうした復興の成果が失われていく。全体の実質成長率はゼロで、家計消費、住宅投資、公共投資は大幅に落ち込んだ。これら下落分を補ったのが輸出増と設備投資だったが、内需不足のために物価が全体的に下がり続ける慢性デフレが始まった。デフレのきっかけは97年度の橋本龍太郎政権による消費税増税と公共投資削減など緊縮財政への転換である。他にも97年夏のアジア通貨危機やこの年11月24日の山一証券経営破綻に代表される信用不安が挙げられるが、筆者は消費税増税に伴う急激な消費減が最大の要因とみる。それまで経済成長を堅実に支えてきた家計消費が97年には一転して寄与率でマイナス0.6%に転じた。
■大連立で二次的災厄。
とすると、東日本大震災後の復興策のポイントが見えてくる。まずは、思い切った大胆で巨額の財政出動を4、5年単位で継続的に打ち出すことだ。谷垣禎一自民党総裁が菅直人首相に提起し、首相も前のめりになっている臨時増税による復興財源充当は国全体の可処分所得をますます減らし、デフレを助長する。こうした愚策しか思いつかないリーダー同士が「大連立」を組めば、それこそ二次的な大災厄に見舞われるだろう。
■財源はある。
日銀引き受けによる数十兆円規模の復興国債の発行である。勤勉な日本国民が営々と築き上げてきた膨大な貯蓄が新規に創出される日銀資金を裏付けるので、日本国債や円価値の信認を保てる。政府はこれまで国民の預貯金を100兆円借り上げて米国債を保有している。それを担保にすれば日銀は楽々と復興国債を引き受けられる。この新財源を復興基金として4、5年がかりで被災地の復興や電力インフラの再構築に充当する。こうした財政資金と公共投資が民間設備投資や住宅投資の呼び水となり、経済規模は拡大し、個人消費も回復していく。その結果、税収も増えて財政収支の悪化を食い止められる。それが日本の底力というものだ。それを引き出すのが政治決断である。
(田村秀男/SANKEI EXPRESS)
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