07. 2011年3月09日 23:36:38: cqRnZH2CUM
白川日銀総裁インタビュー、識者の見方(1) * 2011年 3月 9日 17:47 JST 白川方明日銀総裁は先月、ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)とダウ・ジョーンズ経済通信(DJ)との長時間にわたるインタビューで、デフ レ脱却に足踏みする日本経済のかじ取り役としての日銀の政策を擁護した。WSJ/DJは今回、8人の識者に対して、白川氏がインタビューの中で日銀の過去 の失策を挙げなかったことと、デフレ解消に金融政策ができることは限られているとしたことへの所感を中心にコメントを求めた。 日銀に説明義務はないのか? シカゴ大学ブース・ビジネススクールのアニル・カシャップ教授、カリフォルニア大学サンディエゴ校国際関係・環太平洋研究大学院の星岳雄教授 白川総裁は、ウォール・ストリート・ジャーナルとのインタビュー記事で、日銀は世界に先駆けて実験的な金融政策を断行し、バブル崩壊後の日本がデフ レスパイラルに陥るのを阻止した、と評価している。だが、これは事実に反しており、日銀による歴史の書き換えとしか言いようがない。いまの政府の経済政策 運営に関する迷走ぶりを考えれば、日銀に同情すべき点は多々ある。しかし、だからといって日銀が日本経済の停滞に加担した責任を問わなくてよいということ にはならない。白川総裁はインタビュアーの「15年間にわたるデフレとの戦いで日銀が犯した誤りを一つ上げるとすればなにか?」という質問への答えを避け たが、ここ15年の経済状況を客観的に振り返れば、この質問に答えることは難しいことではない。 まず、インタビューでは明らかにされなかった二つの事実を指摘しよう。第一に、日銀はその目的である「物価安定」を達成できなかった。もし、日銀が 法的独立性を獲得した1998年から現在まで、日銀が安定した物価上昇率と考える1%程度で物価上昇が続いたとすれば、現在の物価水準は18%ほど高く なっていたはずである。この計算では、物価安定を0%から2%で物価が上昇する状態とする日銀の定義を使っているが、この目標は各国の中央銀行の中で最も 低いものである。その低い目標でさえ、達成するのに失敗してきたのである。インフレ率がもう少し高かったら(あるいはデフレ退治に成功していれば)資金コ ストの低下が経済に好影響を与えただろう。もちろん、インフレのみによって経済成長の問題が解決できると論じるつもりはないが、助けにはなったはずであ る。 第二に、1990年代後半からの日本経済の最大の問題は、金融システムの機能不全にあった。銀行は不良債権の抜本的処理を怠り、ゾンビ企業を救済 し、景気がよくなるまで問題を隠し続けようとした。ゾンビ企業が生きながらえることによって、企業間の競争は歪められ、健全企業は拡大を妨げられた。こう した経済の新陳代謝の減退が日本経済を停滞させた。この問題に対して日銀が何らかの政策を行ったとすれば、それはゼロ金利を一日も早く終了して、金利によ る調整機能を回復させる試みだった。たとえば、2000年8月に時期尚早と批判されつつもゼロ金利政策を解除したのは、最も顕著な例である。もっと賢明な 政策は銀行監督に関する当時の政府の無策を指摘して、できることなら金融庁と協力して銀行に不良債権処理を迫ることだっただろう。金融を引き締めるのでは なく、デフレ脱却のために金融政策を一層緩和するほうが、経済を刺激し、構造変化をむしろ容易にしたと考えられる。 日銀の評価はこのような事実に基づいて行わなければならない。もし、日銀が白川総裁のインタビュー記事にみられるような自画自賛を続けるつもりなら、次の二つの質問に明快な解答を示す必要がある。 1.「13年以上もの長期を考えるならインフレの主因は金融政策である」という命題を受け入れるか否か?この命題は先進国の中央銀行ならどこでも受け入れ ているものだと考えられる。もし、日銀がこの命題を受け入れないのであれば、それに代わる長期インフレ率に関する理論が必要である。 2.政府は独立した中央銀行が目標を達成できない状態を何年くらい容認すべきなのか?日銀が物価安定目標の未達成について何も説明義務がないようなそぶりをするなら、その独立性が脅かされてしまうのも仕方ないのではあるまいか。 デフレは「貨幣的現象」にほかならない エール大学の浜田宏一教授 総裁のインタービュー記事は、わたしには不思議とか言いようのない日銀の金融政策の背景が何かを知るのに有益だった。 第一に、最近の日本経済のマクロパフォーマンスは、先進国、中堅国、途上国を含めた世界最悪に近いといってよいだろう。成長率でみても、過剰設備の 大きさでみても各国に遅れている。日本の鉱工業生産にいたっては、リーマン・ショック以降、米、英、ユーロ圏本国よりはるかに大きな落ち込みを体験してい る。火の粉が降りかかってきた日本のほうが、火の粉を発生させた国より大きく傷ついたのだ。 日本の失業は5%程度におさまっているかに見えるが、それは表向きだけのことである。「雇用調整助成金」の制度があるので、企業は助成金を得て解雇 をできるだけ控えようとする。その結果、多数の潜在失業者を社内に抱え込んでいる。学習院大学の岩田規紀久男教授は、このような潜在失業を考慮に入れる と、日本の現状の真の失業率は13%や14%に達すると指摘している。日本の失業率はアメリカのそれより高いということになる。 したがって、日本銀行のトップによる日本の金融政策の弁護は、あたかも毎回サッカーで負けているチームの監督が、それでも日本チームは選手をできる だけ抑制しているので、試合には負けても(バブルに巻き込まれて)選手が転ばないチームにしたので褒めてほしい、他国も見習うべきだといっているように聞 こえる。これまで日銀総裁が無神経になれるのは、1998年の新日銀法の施行以来、日銀総裁は金融政策の成果に関してほとんどなんら責任を負わず、また日 銀の独立性が金融政策の手段の用い方に関する独立性だけでなく、金融政策目標の選択まで日銀にあるシステムに安住しているからだ。 インタビューでの第一の質問は、「白川総裁は間違いをしていないのか」だった。とんでもない、間違いの連続だった。諸先進国の中央銀行はリーマン危 機に対して包括的量的緩和で答えたのに、日本銀行は黙視を続けた。そして円の実効実質為替レートは30%近く跳ね上がった。近頃総裁は「包括的量的緩和」 の意味がようやく分かったような講演をしているが、日本銀行のやる量的緩和は、「あまりにも小さく、あまりに遅い」ものだった。その証拠に、デフレや超円高が続いている。 デフレも円高も財の通貨に対する相対価格、他通貨に対する相対価格の問題だ。これらはフリードマンがよく言った「貨幣的現象」にほかならない。そし てその値を是正するための手段は貨幣政策しかない。したがって、インタビュー中の第二の質問に対しては、「もちろん、金融政策は正しいやり方で行われれば 大いに有効。デフレや円高に実物要因も影響するが、金融政策がすぐ施行できてすぐ効果が現れるのに対して、実物要因を是正するには時間がかかるし困難なこ ともある」という答えになる。 デフレが貨幣的現象であることを否定することにより、白川総裁はミルトン・フリードマンの学説に背いた。また金融政策が為替レートを通じて景気に影 響することを無視することにより、白川総裁はシカゴの国際金融論の伝統であるハリー・ジョンソンの「国際収支、為替レートへの貨幣的接近」をも忘れ去って しまった。 インフレ目標を導入すべき 学習院大学の岩田規久男教授 デフレは日本銀行の金融政策のせいである。白川総裁は「量的緩和にはデフレ脱却の効果はなかった」というが、予想インフレ率は量的緩和開始以降上昇 し、量的緩和が解除された2006年3月には、1%まで上昇していた。予想インフレ率は量的緩和が解除されると低下し始め、白川氏が総裁になってから4カ 月後には0%まで低下し、リーマン・ショック以後はマイナスである。 2004年以降の回帰分析によれば、量的緩和により日本の予想インフレ率が1%ポイント上がると、円はドルに対して11円安くなり、日経平均株価は 1000円上昇し、予想実質金利も低下する。これらの効果によりデフレから脱却できる。白川総裁は「生産性の低下がデフレをもたらしている」というが、日 本よりも生産性の高い国も低い国もインフレであり、デフレと生産性低下とは関係がない。 インフレ目標を採用し、量的緩和を進めれば、デフレを脱却できるのである。 遅れたデフレ対策 法政大学大学院の小峰隆夫教授 白川総裁のインタビューについて、大きく二つの点についてコメントしたい。一つは、過去20年前後の日本の金融政策をどう評価するかということであり、もう一つは、現在日本が直面しているデフレの原因をどう考えるかということである。 まず、金融政策の評価については、私は、日本銀行が、デフレ対策として革新的な金融政策を世界に先駆けて実施してきたといいう点については、白川総 裁に同意する。しかし私は、日本の金融政策が、非伝統的な分野にどんどん踏み込んでいったのは、その前の時期に金融政策の対応が不適切であったことによっ て、そうせざるを得なかったからだと考えている。 不適切な対応だったと考えるのは次の三つである。第一は、85年以降のバブルの発生期に金融を緩和し過ぎたことだが、この点は白川総裁も同意しているようだ。これは、資産価格の上昇を意識しなかったからではなく、円レートの上昇を意識しすぎたからだったと思われる。 第二は、バブルが崩壊してからの金融緩和が遅れたことだ。90年1月以降株価が下落してからも金融の引き締めは続き、緩和に転じたのは91年7月であった。緩和の理由も、資産価格の下落およびその景気への影響に配慮したというわけではなく、単に金利水準の調整というものであった。 第三は、デフレ傾向が現われてから、デフレ防止のために金融を緩和するまでの遅れがあったことだ。現在、日本銀行は事実上、消費者物価1%を物価安 定の目標としている。この基準に基づいて考えると、消費者物価は94年4月頃から1%以下の上昇率が続いていた。しかし、物価の下落を意識して金利を引き 下げたのは、95年9月だった。その後も物価の下落が続いたが、追加的な緩和措置が取られたのは、98年9月であった。 もっと早くデフレに取り組んでいれば、世界に先駆けて革新的な金融政策を行う必要はなかったのかもしれない。 次に、現在のデフレの原因については、私は、デフレの原因が複合的なものであり、金融政策だけに責任があるわけではないという点で、白川総裁に同意する。しかし、白川総裁が近年のぜい弱な消費や投資の一因として人口の変化を上げている点については同意できない。 まず、人口要因が影響するのは、需要か供給かという問題がある。私は、人口要因が経済を制約するのは、労働力、貯蓄などを通じた供給面だと考えてい るのだが、仮に、人口要因が需要面に現れるとしても、その影響は小さい。非常に単純に考えて、消費の増加率は、人口の伸びと一人当たり消費の伸びの和であ る。人口の伸びがマイナスになれば当然消費の伸びは低くなる。しかし、2011年2月に公表された2010年の国勢調査によると、2000年から2010 年にかけてはむしろ人口は増えているのだから、この面では消費が停滞する理由にはならない。 生産年齢人口の減少が消費を減らしているという説もある。確かに、生産年齢人口は2000年から2010年にかけて年率平均で0.5%程度減少して いる。仮に、生産年齢人口だけが消費の主体だとすると、日本の消費は人口要因で0.5%減少する。これはかなり大きい。しかし、年少人口も老年人口の人も 消費はゼロではないのだから、人口要因はせいぜい0.2〜0.3%であろう。これはそれほど大きいとは言えない。 私は、人口要因の影響は、需給ギャップが解消した将来の時点で、供給面から現れるものだと考えている。 (続く) 白川日銀総裁インタビュー、識者の見方(2) * 2011年 3月 9日 18:24 JST 白川方明日銀総裁は先月、ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)とダウ・ジョーンズ経済通信(DJ)との長時間にわたるインタビューで、デフレ脱却 に足踏みする日本経済のかじ取り役としての日銀の政策を擁護した。WSJ/DJは今回、8人の識者に対して、白川氏がインタビューの中で日銀の過去の失策 を挙げなかったことと、デフレ解消に金融政策ができることは限られているとしたことへの所感を中心にコメントを求めた。 負の遺産と闘う白川氏 京都大学の翁邦雄教授 白川総裁はインタビューで自身の考え方を概ね率直に語っていると思う。白川総裁が指摘しているように、日本銀行が様々な革新的な金融政策を先駆的に実行してきた「孤独なフロントランナー」であったことはその後の各国の経験から今や明らかだし、日本経済の構造的問題に伴うデフレーションからの脱却は金融政策だけではできない、という診断にも同意する。しかし、読者の関心は共感より違和感にあるだろうから、以下では違和感について述べる。 画像を拡大する 白川方明日銀総裁 Reuters 白川方明日銀総裁 close 白川方明日銀総裁 インタビューで白川総裁は、日本銀行の過去の政策のミステークについて問われて、しばらく沈黙した後、バブル生成期の超金融緩和の長期化のみを挙げている。しかし、日本銀行が国内外で「革新的な金融政策のフロントランナー」という認識をもたれてこなかった大きな理由は、2000年8月のゼロ金利解除にあるのではないか。 白川総裁はコメントしていないが、短期金利が0.25%上がってもそれが実体経済に与える直接的影響は微々たるものだし、(世間にはうまく伝わらなかったが)ゼロ金利解除には、金融市場の機能を回復させ金融緩和体制を持続させやすい形に立て直す、という狙いがあったなどの理由から、ミステークとまではいえない、という議論もありうるだろう。 しかし、数字的には微調整であっても、この政策は政府の議決延期請求権の行使という騒動まで引き起こすことになった。本来、政府も対立を際立たせるよりは「金融緩和体制を持続させるためのゼロ金利解除」という見解を共有する方が国益に適っていた筈だが、そうはならず、派手な対立で世界の注目を集めたうえでゼロ金利は解除された。このことは、インフレファイターであった速水総裁(当時)の言動とあいまって「日本銀行は超タカ派的」という認識を世界に強く刷り込むことになった。 この刷り込みは日本銀行にとって大きな負の遺産として作用した。日本銀行がデフレとの闘いで知恵を絞り、実践したさまざまな先駆的政策も、つねに「インフレファイターである日本銀行にとっては不本意な政策」と受け取られ割り引かれる傾向があり、そうしたネガティブな期待は政策効果を弱める方向に作用した。 2000年当時ゼロ金利解除に極めて懐疑的だった(と筆者が感じている)白川総裁がなぜこの苦い経験に全く言及しなかったのかは分からない。むしろ、その教訓は2010年10月の予想外の包括的緩和導入などで、市場の期待を超えた緩和に向けて白川総裁を駆り立てた一因のように感じている。 量的緩和の理論と実践 アメリカン・エンタープライズ・インスティテュートのビンセント・ラインハート・レジデント・スカラー 2002年当時、米連邦準備理事会(FRB)の理事だったベン・バーナンキ氏は、経済学者ミルトン・フリードマン氏を主賓とする会合でスピーチした。バーナンキ氏は、大恐慌でのFRBの役割について公に謝罪した。3月1日付のウォール・ストリート・ジャーナルに掲載された日銀総裁の長大なインタビューからすると、白川総裁も、日銀の政策への批判に関して、バーナンキ氏からの謝罪を期待していることだろう。 私は、2004年に発表され、日銀批判を行った学術論文をバーナンキ氏と共同で執筆したひとりである。FRBを含む他の中央銀行が同じような厳しい状況に対処しているのを目にした後では、白川総裁が不満を感じるのは当然だと思う。とりわけ、主な論点である「量的緩和」は、理論上はよくみえるものの、民主的な中央銀行によって実施されると欠点を持つ政策なのである。 まず、理論についてだ。中央銀行のバランスシートの規模と構成が、金利政策の直接的な効果を超える影響を金融市場と経済にもたらす、との考えに基づくのが量的緩和だ。日銀やFRBが政府証券の買い入れを行うと、それら証券の利回りが押し下げられ、準備預金などを原資とする資金が市中の銀行に供給されて、銀行はそれを自らの資産購入に充てることができる。これは、政策金利の抑制が続くとのシグナルになり、消費を刺激する。 第二に、問題点についてだ。量的緩和が効果を上げるためには、中央銀行が量的緩和にコミットしていることを市場に信じさせる必要がある。当局がすぐにその政策をやめる、もしくは逆の政策に転じると投資家が思えば、長期金利はほとんど動かないし、余剰資金の有効活用も望めない。理論で見過ごされているのは、日銀など主要な中央銀行の金融政策が、委員会によって決定されるということだ。個々の委員は常に同じ見識を持つわけではない。判断のバランスは時間とともに変わる可能性がある。民主的な決定プロセスにおいては、ある時点の決定がどうであろうと、将来どうなるかは分からない。従って、政策ステートメントは安全策をとって妥協に傾く、つまり、政策ステートメントは一時的なものとなり、長期的で確かなコミットメントを前提とした政策効果を削ぐことになる。 中央銀行が政策ルールに従うことで、この民主主義の欠点に伴う悪影響を抑えることは可能だ。日銀は結局、2001年、物価が下落している間は政策金利をゼロにすると約束した。FRBはまだそうする気配はない。 明らかに、理論を実践するのは、見かけよりも難しいのだ。 日銀の「他人の不幸は蜜の味」 米ウィリアムズ・カレッジのケン・カットナー教授 日銀は、「他人の不幸は蜜の味」と言う資格が少しだけある。白川氏が指摘する通り、最近の経験は、デフレを止めるのがいかに困難かを示している――金融システムをキャッシュ漬けにするだけではない、それ以上のことをしなければならないのだ。 日銀は、日本の銀行破綻による影響を食い止める措置を取ったという点で、米連邦預金保険公社と功績を分かち合うに値する。そして白川氏は、「量的緩和」や民間証券の購入といった非伝統的政策において、日銀はパイオニアであると言う権利がある。さらに重要なのは、デフレの収束が明確になるまでゼロ金利を続けるとした2001年の日銀のコミットメントである。 しかしながら、日銀の政策が「少なすぎ、遅すぎる」という批判は、少なくとも10年前の政策についてはあてはまる。1989年に株式市場のバブルが崩壊、91年に経済が縮小し始めた。それでも日銀は慎重な利下げにとどまり、インフレ率がマイナス圏に入ったにもかかわらず、1995年までの実質金利は 1%から2%の圏内にあった。 量的緩和が始まったのは2001年――景気の低迷が始まってから10年、デフレが始まって6年が経過していた。リーマン・ブラザーズ破綻から数カ月で数千億ドルの住宅ローン担保証券(MBS)やコマーシャル・ペーパー(CP)を購入した米連邦準備理事会(FRB)と異なり、日銀の資産購入はほとんどすべてがリスクフリーの国債だった。2004年のピーク時には、株式購入は日銀のバランスシートのわずか1.4%、資産担保証券(ABS)は0.2%に過ぎなかった。 2008年の金融危機のスピードが速く、FRBが迅速な対応を取らざるを得なかったのはもちろんだ。しかし、1990年代の日本の経験は、断固たる行動の重要性をFRB当局者に痛感させた。白川氏もこの教訓を学んだと思われる。日銀は、2008年の米国の危機に際し、15年前の自国の危機よりも迅速に対応したことで称賛に値する。 Copyright @ 2009 Wall Street Journal Japan KK. All Rights Reserved 経済一覧へ 特集:白川日銀総裁インタビュー 日銀の白川方明総裁がウォール・ストリート・ジャーナルとダウ・ジョーンズ経済通信のインタビューで、日銀批判に反論。2008年の就任以来、各国中銀総裁きっての理論家かつ実務通として、非伝統的な施策を含む金融政策をリードしてきた白川氏がデフレ対策などを語った。一問一答も含めさまざまな切り口でインタビューの内容を紹介する。 * 未就職者が1000人超=公認会計士試験合格者 * トヨタ、取締役を6割減=意思決定を迅速化 * 早期に営業益1兆円へ=新興国と環境車に重点−トヨタ経営指針 * 白川日銀総裁インタビュー、識者の見方(2) * 早期に営業益1兆円へ=新興国と環境車に重点−トヨタ経営指針 世界経済 中国の債務増大、インフレ対応余地の縮小を示唆 中国政府が新たに公表したデータによると、中国政府の債務は他の主要国と比較して依然低い水準にある。だが、公式データには地方政府や多くの国営金融機関の債務は反映されておらず、それらを含めると中国政府にとってインフレ対策の余地が限られていることがうかがえる。 * 【コラム】ドル支配の終わりが近い理由 * S&P、アジア諸国のインフレ高進を警告 * 【バロンズ】ブラジル市場に戻るのは尚早 - インフレ抑制策の効果も第4四半期以降に * 【NewsBrief】原油相場、一時106.95ドル-リビア情勢の長期化織り込み * 各国中銀、インフレ期待の上昇抑制で結束=トリシェECB総裁 |