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カロリー自給率にこだわるのは日本くらいだが、それが適正なのか
また関税で安全保障を守るのが適正なのか
TPP自体は、大した問題ではないが
全く冷静な議論が進まずに、反米意識を煽る人々や、
平成の開国などと頓珍漢な人に世論が誘導されているのは
日本人らしくて面白い
日経ビジネス オンライントップ>政治・社会>脱・幼稚者で行こう!
日本の野菜は“ユニクロ”よりも強い
『日本は世界5位の農業大国』の浅川芳裕・農業技術通信社専務に聞く
* 2011年2月14日 月曜日
* 芹沢 一也
TPP 農業 自給率 農業水産省
関税をほとんど例外なく撤廃することを目的とした、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加をめぐっては、日本の食糧自給率の低さがたびたび話題になる。「41%」という数字が一人歩きし、世界の安い食料品に日本の農家が押しつぶされる−−そんなイメージは、正しいのだろうか。
―― 「日本の食料自給率は41%、世界最低レベルだ」という言葉は、農業について語る際の枕詞のようになっていますね。
浅川 脊髄反射のように唱える方がいますが、これは実は大変な誤解を招く表現です。
そもそも「食料自給率」とは、農林水産省の定義で、国民が食べている食料のうちどれだけが国産で賄えているかを示す指標です。5種類あるのですが、よく出てくる「41%」というのはカロリーベースでの計算。国民1人、1日当たりの供給カロリーのうち、国産がどれだけかを示すものです。
こう言われると、「実際に食べている食品のうち、どれだけが国産かの数字」と思っちゃうんですが、ここに大きな落とし穴が潜んでいます。
実態は「自給率6割以上」
浅川 この指標では、まず輸入・国産問わず、日本で流通している全生産物をカロリーに置き換える。ニンジン100グラム当たり何カロリーとかですね。それを人口で割って1日当たりに換算したものを分母に、分子には国産の分をおきます。
―― まっとうな計算のように見えますが。
浅川 芳裕(あさかわ・よしひろ)
1974 年、山口県生まれ。月刊「農業経営者」副編集長、農業技術通信社・専務取締役。1995年、エジプト・カイロ大学文学部東洋言語学科セム語専科中退。 Sony Gulf(ドバイ)、Sony Maroc(カサブランカ)勤務を経て、2000年、農業技術通信社に入社。若者向け農業誌「Agrizm」発行人、ジャガイモ専門誌「ポテカル」、農業総合専門サイト「農業ビジネス」編集長、みんなの農業商品サイト「Eooo(! エオー)」運営責任者を兼務。共著に『どうなる! 日本の景気』(PHP研究所)ほか著作多数。(写真:大槻 純一、以下同)
浅川 しかし、この指標にはたくさんの問題点があります。まず、我々は流通している生産物を全部食べているわけじゃない。食べ残しやコンビニの期限切れなどで、流通している生産物の4分の1は捨てられています。ところが、その廃棄分も分母に含まれる。元から消費されない分を分母に入れるわけで、当然「自給率」は小さくなりますよね。
さらに分子のほうには、数字を小さくする“工夫”がされています。まず、国内生産量の2、3割にのぼる、流通以前に生産者が廃棄した農産物が入っていません。これらはもちろん食べられるのですが、型が不揃いなどの理由で、商売にならないと判断されて出荷されなかったものです。さらには全国に200 万戸以上ある、自給的な農家などが生産する大量のコメや野菜も含まれていません。こうしたものを分子に入れて、実際に我々が食べている分を分母にすると、自給率は6割を超えます。
さらにこの指標上では、牛肉や鶏肉、鶏卵、牛乳なども、国産のエサを食べて育ったものだけが国産とされ、海外から輸入したエサを食べていたものは除外されるんです。これを国産と数えると自給率は7割をも超えてしまう。
要するに、日本の農業の生産量や生産力は、農水省発表の数字よりはるかに高いのです。
―― つまり「カロリーベースの食料自給率」は、実態より自給率を低く見せるための指標だと。目的は何なのですか。
浅川 農水省が「食料自給率向上政策」を推進するためです。10年ほど前に、食料・農業・農村基本法が制定され、食料自給率を向上させることが国策となりました。国産を振興し、将来の食料危機に備えるというわけです。ここには、「農業とは、国が安定的に食料を国民に供給する手段だ」という発想があります。
国産信仰をあおる
―― 生産者ではなく、国が農業を管理しなくてはいけない、その理由付け、エクスキューズとして、低い食料自給率という「神話」が必要なんですね。
『日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率』(浅川芳裕著、講談社プラスアルファ新書)
浅川 そうです。さらには、「国産を食べるべし」というのが、食料・農業・農村基本法のベースにあって、その補助手段として輸入と備蓄があるんです。つまり、「国産最優先」がひとつの思想になっているんですね。
―― 私も「国産でまかなえるならそれに越したことはない」と考えていたのですが、そもそも、「食料自給率」なる概念を使っているのは日本だけと聞いて驚きました。
浅川 韓国だけが日本の政策をフォローして、一応、数字を出してみましたという程度で、ほかに食料自給率を出している国はひとつもない。いわんや、それで政策を組み立てている国など皆無です。
―― 食料自給意識の高まりになった事件として、1993年に起きたコメ不足があると思います。しかし浅川さんの本によれば、あのときタイ米が輸入されたのは、外国米は不味いという意識を日本人に植え付けるため、つまり国産信仰を煽るためだったと。
浅川 そもそも近代農業では、「この年は不作になる」といったことは、ある程度は分かっているんです。ですから、国も国産米に近い味のカリフォルニア米や、少なくとも中粒種を入れることはできたんですね。けれども、あえてテイストが大きく異なる長粒種のタイ米を輸入し、しかも、あえて一番評価の低いものを輸入した。
―― 何か臭くて、ぱさぱさしてましたね。
浅川 諸悪の根源は、日本のコメ輸入は“国家貿易”事業体として、農水省が独占していたことです。事実上いまなお、これは続いています。民間の事業者が輸入していれば、消費者ニーズにできるだけ応えるものを調達できていたはず。
民間であれば産地指定買いでグレードの高いものを入れたりとか、あるいは韓国米を買ってもいいし、台湾米を買ってもいい。中国、ロシア、アメリカ、イタリア、スペインもコメをつくっている。
―― 実際、1993年にコメ不足という食の危機があって、それを解決したのはグレードの低いコメであったにしても、輸入ですよね。輸入という手段が解決しているわけですから、危機対策を食料自給率の向上だけに求めるのもおかしな話です。多国間の輸入ルートを確保する形でもかまわないはずで。
浅川 そう、食の安全保障と食料自給率は実は関係ないんです。危機を煽って世論を誘導する、官僚の常とう手段ですよ。
―― そもそものお話になってしまいますが、農水省は食料自給率向上を謳いつつ、減反という、生産量を減らす政策もとっていますよね。いったい何が狙いなのでしょうか?
減反しつつ自給率向上も図るって?
浅川 減反政策の目的はコメ価を下げないことです。国は国民がコメを食べなくなると想定していて、それに合わせて生産を抑制し、供給過多による値崩れを防いでいるんですね。需給調整によって安定供給ができるという考えです。
ところがこれは、先ほど言及した食料安定供給とは逆行しています。法律は国民に合理的な価格で食料を提供するとしています。合理的な価格というのは、本来、市場での需要と供給によって決まるものです。コメの価格を人為的に上げるというのはカルテルでしかありません。結局のところ、「非合理的な価格によって、非合理的な供給をする」という結果になっています。
―― つまり私たちは、高いコメを食べさせられているということですね。
浅川 加えて納税の問題もあります。減反面積は100万ヘクタール(東京の約5倍)で全水田の4割にも及びます。それで減った分の売り上げは国や県が補填しますが、その金額はじつに約1兆円です。
―― それは税金から出る。
浅川 そう、税金から出るんですね。しかも、全国に5万人ぐらい、各市町村の農政課に減反担当の人がいるんですよ。その人たちが車で、公費を使って田んぼに行って、田植えしたかどうかをチェックして回っている。
―― それもまた税金……。
浅川 しかも、その結果、農家のモチベーションを奪ってしまう。
農地というのは、一般産業でいえば工場ですよね。自動車工場に役人が行って、「今から生産能力の4割分の車はつくるな、その代わり金は出してやる」と言っているようなものです。そう言われたら、楽ができると喜ぶ人もいるかもしれないけれど、どこか、自分の仕事をバカにされたような気がしませんか。
―― それ、資本主義経済下でやることじゃないですよ。
浅川 本当にそうです。結局、「つくることを奪う」ことによって、どんなビジネスにも必要な、創意工夫の芽を摘んでいるんです。
浅川 コメというのは農家出荷段階で、2兆円弱の作物市場なわけですよ。末端までいくとだいたい3兆円ビジネス。3兆円のビジネスを、国が今年は何万トン、何ヘクタールと決めて、国から県に落とす。北海道は何ヘクタール、青森県は何ヘクタールと落として、その分を市町村で割る。市町村で割って、市町村が今度は集落に割る。これは国家と行政の談合としかいいようがない。
―― 改めて考えるととんでもない話なのですが、それを我々がこれまで甘んじて受け入れてきたのは、「日本の農業は弱いから、国が保護しなくてはならない」という認識があるからですよね。農業が壊滅するのは困るから、多少の負担は、と。
浅川 まずベーシックな話をすると、農業というのは近代国家でないかぎり栄えないのです。
高い収穫を得るには、科学技術、流通、優秀な人材とそれを支える教育、法制度といった、近代国家でないと揃わない要素が必要です。日本にはそのすべてが揃っています。
また、国民の所得が高い国が基本的に農業大国になります。国民の所得が高いとエンゲル係数(家計の消費支出に占める飲食費の比率)が下がりますが、そうすると主食に加えて、副菜やデザート等々、いろいろなものが食べられるようになるからです。この条件も、もちろん日本は満たしていますよね。
―― 具体的に数字で見ると、日本の農業の力はどうなのでしょう。
浅川 世界標準では農業の力を、食料自給率ではなく生産額、つまりどれだけ農業が富を生み出したかといった指標で評価します。では日本の生産額はといえば8兆6100億、じつに世界第5位の農業大国なんですよ。
経済力があるから、消費額は上がり、自給率は下がる
―― 農水省の振りまく印象とはえらく違いますね。
浅川 農産物換算で、日本人はひとり8万円買っています。また、食費換算だと80万円。食というのは日本では80兆円ビジネスなわけです。この市場に支えられて、日本の農業は世界的に見ても大国といってさしつかえない力を持っている。
農水省のいう「カロリーベースの食料自給率」にいかに意味がないかは、市場規模から考えても分かります。たとえば年収が10万円の人は8万円の食費は使えないでしょう? だから、途上国はコメやムギ、ダイズ、トウモロコシの粉といった、一番安い基本食料で、かつカロリーの高いものを食べていかなければならない。
これをカロリーベースでの食料自給率で計算するとどうなるか。むちゃくちゃ高くなりますね。つまり、この農水省の指標で自給率が高くなるのは、経済力がなく農産物に対価を払えない、もちろん輸入自体が難しい、こうした途上国なわけですよ。自給率は高い。けれども市場規模が小さいから、農業は発展しないんです。
もうすこし例を挙げますと、たとえば、コメの値段。日本だったら、日雇いで1日、工事現場で働けば1万5000円手に入ります。1万5000円あればコメが1俵買えるんですね。1俵というのは日本人が年間に食べている量ですよ。1日の労働で基本の主食が1年分買える。それぐらい日本人には購買力があるんです。
―― 生産額、マーケット規模、何の問題もないじゃないですか。
浅川 ということです。さらに言えば、農家1人当たりのGDPは世界6位です。国民1人当たりのGDP、19位(どちらも2008年度で比較)よりずっと国際的地位が高い。日本の農業にとって一番の問題は、実は国民の購買力が下がるか、あるいは国民に「日本産はいらない」とそっぽを向かれることなんです。
―― そうならないように、国民が欲しがるような商品を開発するということですよね。どの産業でもやっていることをしなくてはいけない。
浅川 そう、それに尽きるわけです。
―― 付加価値の高い商品によって差別化していくとか。
浅川 あるいは、徹底的にコスト削減するか。で、実際にそうなっているんですよ。環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)が話題になっていますが、たとえば野菜にはもう関税はほとんどない。3%ですよ。ユニクロは優等生というけれど、衣類だって10%前後の関税です。野菜はそれよりも低い関税で競争している。しかも、あえて自給率を持ち出せば、8割が国産なんですよ。花にいたっては長年、関税0で、自給率85%。保護されなかった作物ほど競争力を増していることがわかるでしょう。
―― 例の中国産野菜報道で、日本の野菜は中国産にやられっぱなしみたいな印象もあると思いますが、実際はまったく違うんですね。
浅川 そんな勘違いを正すには、スーパーに行ってみるだけで事足ります。「あれ、今日は国産ないよね」という日はないでしょう。日本は南北に長い国だというポテンシャルもありますが、ほとんどの作物において一日たりとも欠品が出ないように、産地形成していった結果です。なぜかといえば、欠品が出るとたちまち輸入品がそこに入り込んでくるから。関税で守られていない分、商品力と安定供給で戦ってきたんです。
国産野菜の実力は努力の結果
浅川 そして、海外の食文化も柔軟に取り入れている。たとえば、アスパラガス。10年前はあまり食べてないでしょう。ところが、海外から入ってきて、一般の人も買いはじめると、日本の農家がつくりはじめる。商売になれば国産化しちゃうんですよ。キウイだってそうです。
しかも、豊かな購買者がいるから、いろいろなバリエーションのものをつくる。たとえばイチゴ。とちおとめがあって、あまおうがあったり、さちのなかだったり、毎年のように新しい品種が出ている。イチゴが選べる、どのサイズのものがいいかとかいうような嗜好に応えている。こんな国なかなかないですよ。
農家が顧客ニーズに対応できるだけレベルアップして、農水省の役割がなくってきている。そこで、自給率という数字を編み出し、わざと低く見せて、国民に危機感を煽るしかやることないんです。巧妙な自作自演ってヤツですね。
―― (次回に続く)
(聞き手:芹沢 一也 SYNODOS主宰)
このコラムは「日経ビジネス アソシエ」の連載記事「インテリブリッジ」と連動しております。記事中では、話者の思考をより深く読み解くための書籍リストと解説も掲載しています。
このコラムについて
脱・幼稚者で行こう!
「誰かのせいにする。そこで考えを止める」−−我々はつい、こうした「幼稚」な道筋にはまってしまう。そこから抜けて冷静な議論をするには、あらかじめ知っておきたい、考えておきたい材料や課題がある。しかし、それらは研究機関や専門家の中では常識でも、メディアに分かりやすい形で出てくることがなかなかない。
この企画は、若手研究者をつなぎ、「知のプラットフォーム」を謳うグループ、SYNODOS(リンクはこちら)を主催する芹沢一也氏に、アカデミックの先端で活躍する若手研究者と我々を接続してもらおうというものだ。現代の中で求められる「知」を、くだけた対話によって手に入れ、「幼稚」から脱出する手がかりをつかもう。
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著者プロフィール
芹沢 一也(せりざわ・かずや)
1968年東京生まれ。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程修了。SYNODOS代表。専門は近代日本思想史、現代社会論。犯罪や狂気をめぐる歴史と現代社会との関わりを思想史的、社会学的に読み解いている。著書に『<法> から解放される権力』(新曜社)。『狂気と犯罪』『ホラーハウス社会』(ともに講談社+α新書)、『暴走するセキュリティ』(洋泉社新書)、浜井浩一との共著に『犯罪不安社会』(光文社新書)、編著に『時代がつくる「狂気」』(朝日選書)。高桑和己との共編著に『フーコーの後で』(慶應義塾大学出版会)。監修に『革命待望!』(ポプラ社)。
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