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『AERA 臨時増刊 原発と日本人 100人の証言』
第24巻22号・通巻1284号
2011年5月15日発行・4月27日発売
発行所:朝日新聞出版
コンビニで見つけて購入、税込500円です。
大震災関連で書物を購入するのはこれが初めて。最後にしておくつもりです、金無いし。
表紙含めて全100ページ、眼にとまったものでは
P83〜85「ドキュメント 福島第一原発の40日間」
3月11日から4月20日までの出来事が時系列でまとめられています。
たぶん、こういうものを精密に作っていかないといけないのだと思います。
時間の推移に沿って、各種文書・報道・さまざまな発言・地図や図面などが配列されていって、そこにある種の「ずれ」や[ひずみ」「ゆがみ」が見いだせるかどうか。
感情的に、その場の勢いですすんでいくと足をすくわれてしまう。
(その勢い自体、年表の素材にはなりますが)
何十年にもわたって、いつのまにか言うことがすり替わり、世界大の隠蔽と工作がからまって、とても複雑でおもしろいですが・・・こんなめんどくせー事案は私ぁ関わりたくないですね。
でもって最後に、P52〜62「原発の行方 20人の証言」から書き出しておきます。
(ココカラ)
「創始者」として遺憾千万 再起には国民の理解必要(中曽根康弘・元首相)
終戦後、日本の最大の問題はエネルギーでした。石油は無い。石炭は貧弱。天然ガスもない。敗戦から立ち直り、国として独り立ちするには、エネルギーの確保が大命題だったのです。
着目したのが原子力でした。アイゼンハワー米大統領が原子力の平和利用に政策転換すると知り、「日本も負けてはいられない。次は原子力の時代になる」と考えたのです。しかもこれは科学技術の推進にもつながる。原子力と科学技術を発展させないと、日本は四等の農業国家になる。そうした危機感を当時の私は強く抱きました。
少数の同志と相談して1954年度予算案に原子力予算を入れようと研究を始め、衆院予算委員会に突如2億3500万円の予算を提出し成立させました。世間は大騒ぎで「中曽根は原爆をつくる予算をつくった」と書いた新聞もありました。
その後、科学者だった社会党の松前重義さんと組み、超党派の原子力合同委員会を立ち上げた。民主党の私が委員長になり、55年に原子力の平和利用を盛った原子力基本法など原子力3法を議員立法で成立させたほか、一連の原子力立法をつくった。それを基に、現在の原子力発電があるわけです。
原子力で肝心なのは事故を起こさないことです。日本ではこれまで小さな原発事故はありましたが、原子炉から放射能が出るといった大事故はなかった。そこは実に注意深く進めてきました。今回はあってはならない大事故が起きてしまいました。津波の被害が余りに大きかった。福島第一原発周辺の住民の生活、職業、子どもの将来に影響が出るような事態になったことは、本当に遺憾千万です。
日本の今後の発展とエネルギー事情を考えれば原発政策は持続しなければなりません。今回の事故をよく点検し、今後に生かす必要がある。また、事故の詳細な情報を海外にも提供するべきです。それが世界の「公共財」である原子力に対する日本の責任です。
新規の原発建設は難しいでしょう。国のエネルギー政策は国民とともに歩むものです。今の状況が国民に理解され、納得されるまでは、軽挙はできないと思います。安全の再点検を十分にし尽くして再起・継続を図るべきです。
(ココマデ)
「あってはならない大事故が起きてしまいました。・・・今回の事故をよく点検し、今後に生かす必要がある。また、事故の詳細な情報を海外にも提供するべきです。それが世界の「公共財」である原子力に対する日本の責任です。」というところと、
「新規の原発建設は難しい」だから今後はどうするか、というところ、
「軽挙はできない」というところは正しいと思います。
http://www.asyura2.com/11/genpatu8/msg/499.html
http://www.asyura2.com/11/genpatu8/msg/495.html
これなどでも調べてみましたが、日本の原子力発電黎明期はちょうど第5福竜丸以来の反核運動の時期。おもしろいと思いました。
・参考・・・・・・・・・・・・・・
http://www.f.waseda.jp/tarima/pressrelease.htm
「『日本テレビとCIA』を書き終えたあとわかった事実」有馬哲夫
(ココカラ)
正力はCIAが自分に支援を与えることで自分を利用しようとしていたことは承知していたといえる。
しかしながら、さまざまな文書を読んでわかることは、正力は自分の会社の利益を第一に考えるが、かといって国益に反することはしなかったということだ。つまり、第一に自分の会社のためになり、第二に国益にもかなう場合はことを進めるが、自分の会社のためになるが国益に反する場合は敢えてしなかったということだ。
したがって、正力が「国を売った」という事実は、今のところ見つかっていない。これからもでてこないだろう。彼は彼なりに愛国者であり、国士であり、だからこそ財界有力者や政治家の支持を受けてメディア界の大物にのしあがることができたのだろう。
・・・少なくとも私にとって正力は昭和の傑物のナンバーワンだ。いろいろ調べてみてこれほど面白い人物はない。ただし、彼が生きていたとして、彼の下で働こうとは金輪際思わない。
(ココマデ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%94%E7%A6%8F%E7%AB%9C%E4%B8%B8
ウィキ「第5福竜丸」
1954年3月1日ビキニ水爆実験
同年 4月22日 米国の国家安全保障会議作戦調整委員会 (OCB) は「水爆や関連する開発への日本人の好ましくない態度を相殺するための米政府の行動リスト」を起草
http://www.asyura2.com/0505/genpatu3/msg/238.html
第五福竜丸:「発症原因は放射能ではない」米公文書で情報操作判明[毎日新聞]
いろいろな工作はずっとあとになって、表に出るものは出る、出ないものは出ないということでしょうか。
では核の話はこのへんで
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