http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/858.html
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池田信夫、原発推進派でないと言っていたが
また大衆に叩かれそうなネタだな
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51701378.html
再生可能エネルギーは原発の代わりにはならない
孫正義氏によれば「太陽光発電コストが原子力発電コストを下回った」そうだ。他方で、彼は「これから20年間、再生可能エネルギーを全量買い取りで補助すべきだ」という。なぜ原発より安いエネルギーに補助金が必要なのだろうか。
そもそも彼の引用しているNC WARNなる反原発団体のパンフレットの数字には、何の客観性もない。たとえばアメリカのエネルギー省の予測では、2016年でも太陽光(Solar PV)のコストは原発(Advanced Nuclear)のほぼ2倍だ。
しかもこれはワットアワーの比較である。原子力はコンスタントに電力を供給できるが、太陽光発電の稼働率は12%。今回の計画停電のような夜間のピークには役に立たない。数字を見ればわかるように、もっとも有望なのは非在来型の天然ガス(Advanced Combined Cycle)で、太陽光の1/3以下である。
したがって孫氏の話の前提が間違っているのだが、かりにそれが正しいとしても、アメリカで起こったことが日本で起こる保証はない。再生可能エネルギーには広い土地が必要で、日本の面積はアメリカの1/25。しかも平地がその3割しかなく、アメリカのような砂漠はない。いくら補助金を出しても、日本の面積を広げることはできない。
「20年間補助金をよこせ」というのは今後20年は原発と競争できないと表明しているのと同じだ。再生可能エネルギーの買い取り料金は、4月から42円/kWhと電気代の3倍近いが、このコストは電力会社が電気代に上乗せして、すべての消費者の負担になる。政府が全量買い取りなどの補助を行なうのは電力供給のためではなく、CO2排出量を下げるためだ。それはそれで一つの政策目標だが、コストは増えて国民負担になる。
欧州で行なわれているこの種の補助金は、再生可能エネルギーをクリーンだが高価な補助的エネルギーと位置づけるもので、孫氏の信じているように原発を代替するためではない。飯田哲也氏の「再生可能エネルギーはCO2を出さないでエネルギーを100%供給できる夢のテクノロジーだ」などという話は、この二つの目的を意図的に混同した政治的プロパガンダである。
私は太陽光に意味がないと言っているのではない。その用途は家庭用の小規模な利用が適しており、原発の代わりにはならないのだ。電力会社は、電圧や周波数の調整が面倒なので、料金だけ払って再生可能エネルギーの電力を捨てている。福島事故のあとは、送電網の調整ができないので電力の卸売市場は停止されている。
つまり最大の障害は、技術ではないのだ。電力会社が送電網ももっているため、IPP(独立系発電事業者)との公正競争が成り立たないことが根本問題で、この構造が続くかぎり、再生可能エネルギーは補助金に頼らざるをえない。これは孫氏が「光の道」で激しく糾弾したNTTの独占を維持する構造と同じである。
もちろんNTTと同じく、発送電分離のコストは(経済的にも技術的にも)大きいので、電力会社は全力で抵抗するだろう。昨今出ている政府の東電救済案は現在の東電を丸ごとベイルアウトしようというもので、このままではどさくさにまぎれて改革は幕引きされてしまう。
だから孫氏が本当に再生可能エネルギーが原発より安いと思うのなら、発送電の分離を提案し、みずから投資してIPPに参入してはどうだろうか。経産省の改革派も、それを待っている。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51700098.html
2011年04月20日 10:38
原発事故のリスクをどう「割り切る」か
もう原発の記事はやめようと思っていたのだが、まだまだ議論が続くので、また原発の話。うんざりしている人は無視してください。
私が今度の震災を「1000年に1度ぐらいのブラック・スワン」だと書いたことを町村泰貴氏が批判しているが、福島県沖で14mを超える津波が起こったのは、869年の貞観地震以来のことらしいので、1100年ぶりである。三陸沖地震のときは30m以上の津波が起こったというが、それはリアス式海岸で波が増幅されたためで、福島県沖で観測された最大の津波はチリ地震のときの3m余りだ。
実は、本質的な問題はそこにはない。原因が何であれ、冷却水が抜けてECCSが動かない上に非常用電源もすべて切れる事態は、論理的には考えられる。その可能性をどこまで設計に反映させるかは、電力会社の経営判断だ。斑目春樹原子力安全委員長は、浜岡原発訴訟の中部電力側の証人として、こう証言している。
非常用ディーゼルが二台同時に壊れて、いろいろな問題が起こるためには、そのほかにもあれも起こる、これも起こる、あれも起こる、これも起こると、仮定の上に何個も重ねて初めて大事故に至るわけです。[・・・]何でもかんでも、これも可能性ちょっとある、これはちょっと可能性がある、そういうものを全部組み合わせていったら、ものなんて絶対造れません。だからどっかでは割り切るんです。
この発言がネット上で批判を呼んでいるが、これは工学的には当たり前だ。ジェット機のエンジンがすべて止まったら落ちるに決まっているが、それを防ぐために無限に多くのエンジンをつけることはできない。原子炉は特殊な燃料を使ったボイラーにすぎないが、ボイラーの爆発はありふれた事故で、そのリスクをゼロにすることは求められない。起こる確率を最小化し、起こったとき被害が広がらないように設計すればよい。
ところが原発の場合は、最悪の事故(China syndrome)が起こった場合には、死者が数千人から数万人という非常に大きな被害が出る可能性がある。その確率がいくら小さくても「割り切る」ことはできないというのが反対派の主張であり、これは傾聴に値する。極端な話、北朝鮮からミサイルが飛んできて原発を破壊する確率はゼロではないので、そういうリスクをどう考えるかはむずかしい問題だ。
しかし旧共産圏以外では、そういう事故は起こっていない。福島第一の場合も、運転そのものは緊急停止したので、最悪の事態ではないのだ。この程度の事故なら、斑目氏のいうように割り切ることは妥当である。被害を確率的に計算して、経済的に見合うなら建設すればいいし、他のエネルギーのほうが経済的なら無理して進めないほうがいい。
実は今回の事故の原因はそういう本質的な問題ではなく、非常用電源とポンプをすべて浸水する建屋に置き、電源車からの送電も(電圧が違うために!)できなかったという設計ミスにある。ほぼ同じような津波をかぶった福島第二では、非常用電源やポンプを気密性の高い原子炉建屋の中に置いていたため、問題が起こらなかった。
つまり問題は安全性か経済性かという一般論ではなく、浸水に備える設計の問題にすぎないのだ。非常用電源とポンプのうち1系統を原子炉建屋の中に配置することは、数億円のコストでできたはずである。これは柏崎原発の資料で判明したことだが、東電の社内で事前にそういう指摘が行なわれていたかどうかが、今後の焦点だろう。
これまで判明した事実をみるかぎり、今回の事故はお粗末な設計と経営陣の判断の誤りによる平凡なプラント事故である。原発事故が「文明災」だなどという大げさな話をする前に、まず事故調査委員会が原因を正確に調査したほうがいい。
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コメント(51)
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1.
もう帰るのですか―「はらわたをつき動かされる」怒り
[ 日日是生日 ]
2011年04月22日 13:16
昨日21日、菅総理は福島原発被災地を初めて訪問しました。
コメント一覧
1.
ikuside5
2011年04月20日 11:08
ご説に賛同いたします。津波が当初の報道より大きかったことは結果的に明らかになっていますし、また最悪の事態とはいえそれなりに収まる可能性も見えつつあるので、その意味では真に最悪のケースでもないように素人目にも思えます。少なくとも現場を放棄してオペレーションを諦めて全員避難するという状況には既にないし、その意味では、はからずもではありますが、原発事故とはこんなものかというモデルケースになったように思いますが。
もうちょっと事態が落ち着いてから、周辺環境の除染などをした結果、原発周辺の環境がどの程度回復可能なのか?ということが今は気になってます。各方面からさんざん不安を煽られただけに、個人的には、今はむしろ回復可能性の期待感に興味が移って来ているかんじです。
2.
yeelee
2011年04月20日 11:29
想定以下の津波しか来ないという前提ならば、非常用電源とポンプのうち1系統を原子炉建屋の中に配置する数億円のコストは無駄なので、事前には不可能だったのではないでしょうか。
むしろ他の、原子炉建屋の中にそれらを配置した原発は何故、そうしたのでしょうか。
設計ミスというより、設計思想とそれに影響を与える経営方針、その方針が合理的と判断せざるをえないフレームに、問題があるのでは。
社内で事前に指摘が全くなかったとは思えません。ヨウ素剤を自転車で配布できるようにしたらどうか、のような提案まであったそうですが、あってはならないことを想定した対策を検討すること自体が禁忌、という風潮だったようです。
また、社内で事前に指摘があったかどうかより、社外で事前にあった指摘を否定し続けてきた点に注目が集まっています。
3.
sudoku_smith
2011年04月20日 11:38
非常に的確で面白いご指摘ですね。こういった総括があまりマスコミやネットで見られないのが残念です。
たとえとして北朝鮮からのミサイルが原発を、とありますが、そもそもかの国からミサイルが飛んでくること自体のリスクの方が地震のリスクよりも高いように思います。別に原発を狙わなくとも不良品ミサイルが飛んでくるだけでとんでもない事になるでしょうから。それが石油コンビナートでも狙えば直接的な被害は原発より大きいでしょうしね。
ともあれ、工学的にどこまで割り切るか、と言うのはご指摘のように当たり前の事ですが、それを「許せない」というアジテーターは、以前の建築関係やサラ金関連の問題で多くの混乱を招いた法律家と同じ穴の狢ではないでしょうか。この種の人に取っては「どの程度」のと言う発想がなくて、1ppbであっても存在する事がNGなんでしょうね。それが全体としてどれだけの社会的損失であったとしても、感情的には訴えかけやすいのかな。
昨今の過剰コンプライアンスに似た病理を感じます。
4.
leftalone_jr
2011年04月20日 12:02
装置産業で、システム設計をしていた技術者です。何が何でも原発反対という者では有りませんが、異なる意見を金と権力で潰してきた業界体質を知るにつけ、技術的見解や意見をよりも、経済性が優先されていることが、不安を持つ一般人を説得できない元になっているように思います。
>浸水に備える設計の問題にすぎないのだ。非常用電源とポンプのうち1系統を原子炉建屋の中に配置することは、数億円のコストでできたはずである。
その通りだと思います。
定型的な後出しじゃんけん的批判ですが。
しかし、その手の意見をことごとく潰してきた体質こそ、問題であり危険なのです。
原発の危険性は、業界を牛耳っている原子力村の存在だとさえ思えてきます。
なお、池田氏の以下の言葉、
「福島第一の場合も、運転そのものは緊急停止したので、最悪の事態ではないのだ。この程度の事故なら・・・」
今回の事故を「この程度」といい現す感覚には、全く共感共鳴出来ません。運良くギリギリセーフだったに過ぎません。また、非難されている地域の人々への配慮のかけらも感じられません。
しかし裏を返せば、原発が本当の大事故になったら、「この程度」じゃ済まないと言う池田氏自身の大いなる危険性の認識を物語る言葉と捉えることにしましょう。
5.
worldcomw
2011年04月20日 12:12
もしご存知なければどうぞ
「電源を収納する建屋」がどこかは分かりませんが
第1-1〜4号機 と 第1-5・6号機/第2では標高自体が異なるようです。
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/const/news/20110410/546894/
(登録が必要かもしれません)
> 福島第二原発は取水ポンプなどがある海側の敷地が浸水したものの、
> 第一原発より2m高い法面は越えず、原子炉建屋の敷地に遡上しなかった。
扉の内開き/外開き、ロックしていたか等、基本的な情報もわからないので
分析・発表を待ちます。
基本思想として、既存不適格への対応の不備と言えるのでは?
6.
chuarai
2011年04月20日 12:27
3 個人的には「経営陣の判断の誤り」のほうが深刻だと思っています。ECCSや非常用電源などが機能しなくなってから海水を入れるまでの意思決定のプロセスを検証することで、また同じような事態が発生させないことにつなげてほしいと思います。
さらに原子力保安院と経産省そして官邸とのやりとりも検証しなければならないと思います。有耶無耶にしてしまうと、日本は何も変わっておらず同じ過ちを繰り返すことになってしまうでしょう。
7.
dotcom07
2011年04月20日 12:32
5 @ 原子力の今後の課題は立地の高さの確保 :
約15mの高さの宮城・女川原発は安全に停止、被災住民の避難所に。福島第1原発は約6m弱高の津波の想定に対し14m高の津波が来た。設備を流し、重要機器の非常用発電機が水没。原子炉を冷却できなくなる事態へ http://exci.to/eLtXmm
A 不詳ですが、左派の反対運動のために経年劣化対策がおくれたのかもです。>http://bit.ly/huNH61
8.
damakosh
2011年04月20日 12:50
3 原発プラントが物理的に危険かどうかというより、日本人(政府・企業)には、事故リスク管理能力がないから原発は止めたほうがよいということだと思います。
太平洋戦争時代の軍部が、自らの生産能力・作戦遂行能力を直視せず、自己幻想をマスターベーションで膨らませて、終結案もなく戦争に突込んでいった愚を繰り返している。手本があればよりかかり、なければ穴の中で自己妄信する〜その根本にあるコミュニケーションとディスカッション能力の低さ=自己樹立能力の低さは歴史的に不変です。
その意味での文明災害だということと、当方は理解しています。
9.
sudoku_smith
2011年04月20日 12:55
追加で申し訳ありません。書き忘れが一つ。
今回の原子炉の設計について、GEの設計がどうのとの指摘が以前あった事を覚えていますが、GEはどこまでプラント設計全体とリスク管理に関わったのでしょう。原子炉/格納容器の設計はGEオリジナルと思いますが、全体のコーディネーションと例えば池田さんのご指摘にある発電機の位置など、リスク対策にはどこまで関わったのか、全体の統轄は東電なんですかね?40年前の建設時の全体統括をどの組織がやったかによって自ずとリスクの見積もりも変わってくると思うんですが、そういう指摘もあまり見当たりませんね。
10.
comap21
2011年04月20日 13:00
記事内容同意です。普通の着眼で普通にやってさえいれば100%阻止できた事故だけに悔し涙もでません。大学院レベルの問題を解いて小学校低学年の問題が解けないという話です。しかも「これこれこういうことだからこのままではまずい」と的を射た指摘を散々言われていた。それに対して「お前たちは小学生の問題を持ち出してきてがたがた言ってなんなの?こっちは大学院レベルで結論出してんだ!」ということで門前払い。彼らには「一切論理的に検証しない」という機能(権利)がまずあるのだからどうしようもない。これは日本行政の根幹に共通してある。
要するに、指摘を無視した結果例えどんなことが起こっても、責任は取らなくてok。だからそれで問題ないわけです。耐震偽装や諫早湾問題や著作権行政問題や警察検察の証拠偽装問題etc・・・、どれもこれも図式は完全に同じ。
耐震偽装までなら、テキトーかました結果最悪事態発生でも、責任は現場担当最小限にとらせ、大方被害を受けた国民側に泣いてもらうことで終結させるというのが基本(日本の常識)。今回はとてもじゃないがそれは無理そうに見えるが、イメージ、バイブル通りに基本姿勢は崩さないかもしれない。東電が姉羽という構図。
11.
Dr. OK
2011年04月20日 13:31
「この程度」と書いたのは、感情的な東電や原発批判に対する煽り文句で意図的に書かれたのだと思います。文章としては優れている。
今回の津波は、貞観よりも三陸沖よりもエネルギー量はずっと甚大だったようですので、予想は不可能、というか確率論を言うならば、(僕も以前から言っていますが)ノドンの飽和攻撃の方が可能性はありそうです。(この場合は制御棒すらも入らないかもしれません)つまり言い換えれば万全な方策はきりがないと言う事になります。
どこで割り切るかは、実はとても難しい問題で、在る部分を作るときにはここで割り切った、だけど暫くして別の部分を作ればその時の指導で全く変わると思います。
それは「年間発生確率1/1000以下と計算されるならば、あるいは年間関連死者数1/1000人以下対処しない」と言うような基準は作りにくいからです。
先生の仰る通り、事象の微分値に対して世間は騒ぐので、原発大事故は言い換えれば絶対に風評被害が実際の被害より遥かに大きいわけです。それも見越して作らなければならなかったというのも、一般論の話に戻りますが、今回の巨大な教訓です。
勝間さんの話ですが、彼女なんで謝ったんでしょうね。
12.
kotodama137
2011年04月20日 14:45
その通りだと思います。どこでリスクの線引きするかは、お財布と経営哲学がきめるでしょう。東電には経営哲学がなかったというよくある話です。自分が前上げたタイタニックの話は、起業家セミナーでの話で、組織ができると中にいる人には、体制を変えるのは難しいので、創業時の組織設定や経営理念が大事だということでした。東電の事は良く知りませんが、創業当時から問題を持っていただろうし、これからも問題を起こすだろうと推測できます。またこれからは責任者探しになるでしょう。原発設計者も例外ではないでしょう。だから原発のリスクは政治的バイアスがかかり、理性的に言う意見は利用されるという古今東西変わらないことが起こるだろうなあ。
13.
realiser_realiser
2011年04月20日 15:32
5 >しかし旧共産圏以外では、そういう事故は起こっていない
これはチェルノブイリ(だけ)のことですよね?
恐らくは、「最悪の事故は旧共産圏でやはり起こっているんじゃないか!それをなぜスルーする?」という突っ込みが来るものと思われます。
これはチェルノブイリでは起こったけれど、その被害も(WHOが発表しているように)死者4000人程度のものだった、と考えればよいでしょうか?
ミサイルが公演中の東京ドームや国立競技場を狙っても数万人死にますね。
とりあえずミサイルについてのみ考えると、一つの原発の犠牲者が「数万人」レベルなら必ずしも受け入れられないリスクではないかもしれません。
14.
hogeihantai
2011年04月20日 15:35
>4
>異なる意見を金と権力で潰してきた業界体質
>技術的見解や意見より経済性が優先
より優れた技術があっても耳を傾けないのは事実ですが経済性を優先させるというのは間違いです。
冷却用の海水取水ポンプは福島第一では津波で全滅、第二では辛うじて一台のみ無事でした。海水取水ポンプは「竪型ポンプ」と呼ばれるものでポンプ部分は水中にありカップリングを介して水面上のモーターで駆動される構造です。モーターは水面に近接して設置してありますので、東電が予測していた5.7メーターの津波でも簡単に冠水し運転不能になります。福島第二ではポンプ小屋を作っていたので1台は助かったのですが、ポンプ小屋の水密、気密を保つことは出来ないので完全な対策ではありません。
私はポンプの技術者ですが竪型ポンプでなく水中ポンプを使用すればどんな津波でも平気なのです。しかも価格もメンテナンスも設置費も安くつきます。では何故水中ポンプを使用しないのか。水中ポンプメーカーは原子力村の住人ではないからです。勿論外国の機器メーカーは村の中に入れません。
15.
zaizeno
2011年04月20日 15:54
yeeleeさん、
>想定以下の津波しか来ないという前提ならば、
>非常用電源とポンプのうち1系統を原子炉建屋の中に配置する
>数億円のコストは無駄なので、事前には不可能だったのではないでしょうか。
この点について、私も疑問に思っています。
そもそも或る災害が想定されるかどうかの認識が元々1か0かの二値であるはずはなく、連続量の確率分布であるはずですので、被災する確率が低くとも、被災時に想定される損害が大きいほど、また、その対策コストが小さいほど、対策を取るべきであるはずです。(大雑把に言って、「被災確率 × 想定される被害の大きさ / 対策のコスト」といった感じでしょうか。)
たとえば、シートベルトが装備されている車に乗る場合、シートベルトを締めるコストはほんのわずかの労力だけですので、実際に事故に遭遇する確率が低くても万一の事故の場合の死や重傷を避けるためにシートベルトは締めるべきだと判断するのがまともな判断のはずです。
ですから、元記事で池田さんが書いてらっしゃる、数億円のコストでできたはずのことをやらなかったのは設計ミスだとの見方は全く妥当だと思います。
いえ、もちろんyeeleeさんのおっしゃりたい主な論点はわかりますし、私も同感です。(事前に指摘されていたのに拒否していた、等)
ただ、東京電力が災害の想定を「想定される/されない」のニ値で考えていたのかどうか、その点が気になりましたので、コメントとして書かせて頂いきました次第です。
こういったことも追々あきらかにされてくるとは思いますが。
16.
kazukiv
2011年04月20日 16:10
原発の話をどんどん書いてください。
まだまだネットで徹底的に議論をするべきです。
今回の指摘でいいのは外国からのミサイル攻撃の可能性です。
この可能性があるなら、単なる設計ミスの問題ではない。
ミサイルで飽和攻撃をされたら設計は関係ありませんね。
原子炉の破壊を目的にしたミサイル攻撃が成功したら被害は確かに「この程度」ではすまないでしょう。
設計を割り切るのは当然。すべての想定外に対応できる技術などない。
だからこそ事故後の軍事的な処理のスキームがない事が日本の原発の一番の問題点なのだと思う。
そして経済的な損失を避けるために問題に目をつぶって既存原発を運転を止められない体質。
太平洋戦争から変わっていませんね。
東電にはまだ同情の余地はあります。
原発事故はサンプルが少ないですから。
しかし今回の事故の後に運転を継続して再び事故を起こしたら、政府と電力会社への国内外からの批判は「この程度」ではすまないでしょう。
軍事的に事故処理を行えるスキームがない限り、すべの既存原発の運転は中断するべきです。
経済的には一時的に大きな損失になるでしょうが、破綻にはなりません。
しかし当たり前の事を当たり前にできない組織(国家)はいずれ破綻します。
勇気を出して既存原発を一度止めるべきです。
17.
virtue337
2011年04月20日 16:25
素人の個人的な意見ですが、今回の原発事故の原因は想定を超える津波によって生じたとはまだ判明した訳ではないのであり、場合によっては、地震によってではなく津波という被害によって原子炉の制御棒が作動した可能性も考えられるのではないかと思っています。そのような場合、今回の地震によって最悪の事故であるチャイナ・シンドロームが起こっていた可能性もあったことは否定できなくなってしまいます。今回の原発事故の原因が調査、判明されるまでは、まだ原発のリスクについて議論する段階ではないのでは・・・と思います。現在の(この程度の)事故の対応状況を見ている限りでは、万が一の最悪の事故が起こった場合、現在の技術レベルでは対応しきれないということが判明したように見えてしまいます。そのような技術レベルしか持ち合わせていない現状では、今後増えるだろうと言われている地震を考慮した場合、やはり地震大国である日本での原発利用は、よほどの技術の進歩が可能になる時までは控える方向に進むのが賢明な判断に思えてしかたありません。
18.
atoman0
2011年04月20日 16:51
これからも,同規模の地震と津波による死傷者のほとんどは,原発が原因となることはないだろうと思う.今回のような原発事故を防ぐ対策は難しくないだろうし,実際に講じられるだろうが,地震や津波による犠牲は同規模であり続ける.何万人もの犠牲者が出ても,原発が原因でなければ仕方がないとは言えない.実際,原発を廃止するよりも,千年に一度起きる津波で予想される被害地域での居住を禁止したほうが意味があるだろう.しかし,そこまでの安全性よりは,いつかどこかで誰かが犠牲になることを選ぶことになりそうだ.
19.
dotcom07
2011年04月20日 16:55
「低線量での避難は、放射線以上のリスク」 :福島計画避難に対して政府へ問題提起 by4月初頭に2日の福島現地調査の高田純先生(放射線防護学) http://bit.ly/idasSn
PS 今回の地震対策の有意義な情報を流せる様に心がけてます。
http://togetter.com/id/dotcom07 http://twitter.com/dotcom07 http://www.facebook.com/dotcom07
20.
nac00230
2011年04月20日 17:19
大きな話は理解し、賛同していますが、1000年に一度起こることをブラックスワンという点には異論。原発の寿命50年とすればその生涯に出会う確率は5%。決して小さくない。
それと、津波でなくとも「全ての電源を失う」という事態の想定は考えていたようだが、一体どんな対応をすることにしてたんだろう。最悪の事態でも炉心溶融には至らないような対応手順(当然廃炉となることも含めて)をきちんと決めていたら、大きなコスト無しに今回の事態を避けれた可能性は大きい。
いずれにせよ、「平凡な」とまで私には言い切れないが「お粗末な設計と経営陣の判断の誤りによる事故」という結論になる。
21.
nac00230
2011年04月20日 18:27
連投失礼。別のポイントです。
「原発の場合は、最悪の事故(China syndrome)が起こった場合には、・・・これは傾聴に値する。」の記述、流石に大切な点を押さえてられると思いました。
今回はこの意味での「最悪」では無いにしても、「遣らずもがなの大失点」。言い方を変えると、東電(否日本)のようなヘボプレーヤーが扱ってはいけない技術と言えるのかもしれません。
でも、そう思ってしまうのは悲しい。望むところは、これからの世代の人たちが、この事態を受けて、鍛えあがられていくことですね。(別に原発を進めろという意味ではなく、リスクや危機対応に関しての一般論であり、リスクをきちんと管理して高いレベルの革新を行っていかねば、ということ。)
22.
poteto99
2011年04月20日 18:48
今回一番風評被害にあうはめになるのは他ならぬ原発自身なのかもしれませんね。いかに原発に関する正論が述べられようとも、現実問題これからの世論の流れは原発推進とは逆の方向へ向かうでしょう、もし仮に原因がここで述べられているようなものだったとしても、そんなことは関係なく、すでに東電の原発の信用、ひいては原発の信用は失墜してしまいました、今からどう釈明した所で今更取り返しは効きません。また、ここで述べられている内容をさらに遡って掘り下げていくと、おそらく「会社の組織構造の問題」そして「日本の組織構造の問題」の話になってくると思います、今回の全ての原因を全て遡って洗って、情報開示をして、さらに今後同じことが起こらないように組織構造そのものから全てひっくるめて改善して、具体的にそれを国民に対して示さない限り、東電の組織体質、遡って日本の組織体質、ひいては原発の運用のされかたに対する国民の不信感、不安感は払拭できないでしょう、そちらの方の尺度から見ても今の所原発が支持されることはおそらくないでしょう。それなら原発以外に発電方法がないわけでもないので、暫定的に今現在「経済性、安全性、イメージ、リスク、効率、あらゆる尺度から見て最も完成されている発電方法」がメインの発電方法として支持されることになるだけだと思います。
23.
あおき
2011年04月20日 19:02
原発事故も場合によっては起こるものだと考えると、原発の名前を慎重に考えた方がいいと思います。
福島第一なんて名前のせいで一時会津若松の酪農家まで風評被害をこうむった。
なので、九州の唐津半島にある玄海原発が事故起こしたら、福岡〜長崎に至る玄海灘全域で風評被害が及ぶと思うので、名前を東松浦原発とかに変えて欲しいです。
そういう考え方していかないと、モラルハザードが起こるんですね。
24.
outsidervoice
2011年04月20日 19:46
1 「リスクを割り切る」と書かれていますが、その割るための「リスク」自体が、池田さんが思われているほど、確定しているあるいは計算できるものではありません。
「不確定なものを割り切る」結果も、当然不確定です。つまり、割り切っても、割り切ったつもりでない事故が起きるわけです。
後から見れば「平凡なプラント事故」に見えるものでさえ、起こってしまう(防ぐことは難しい)ということです。
Accidents will happen. とはこのことです。
25.
nabekichi32
2011年04月20日 20:06
そうやって割り切ってきたコトが法律なんかの”決まり”ですよね。
0であるコトと、限りなく0に近いコト、の区別がつかない人が多すぎるのも問題ですが、世の中の大半はそういう人々であるから、と割り切るコトも大事なんだと思う。
でも、そうやってきた結果(原発は安全、という誇大広告)をまた批判され…
26.
c2240068
2011年04月20日 20:30
ツイッターやブログ上では、左翼系反原発派が勢いを増しているように見えますが、世論調査や選挙を見れば明らかなように、「推進派」でも「反対派」でもなく「現状維持+ゆるやかな減少」派が大多数。世間は意外と冷静なようです。
ただ、残念なのは、ツイッターやブログ上でエセジャーナリストやトンデモ学者が、デマを撒き散らすおかげで、「実害」以上に「風評被害」がひどくなりそうなこと。
彼らは、建前上は、「国民に真実を知らせたくて」とか「国民の命を救いたくて」とかいってますが、この事故に便乗して一儲けしようとたくらんでいるとしか思えない。ほんとうに「国賊」ものです。
残念ながら、「実害」は、防ぎようはありませんが、「風評被害」は、今後の私たちの意識の持ち方しだいで減らすことができると信じたいです。
27.
poiu07
2011年04月20日 22:30
東海村は事前にポンプや取水施設の堤防の補強を行い。
非常用電源を移動させていた。それだけで事故は防げました。(工事中のが水没して一つダメになりましたが)
また浜岡の一号機と二号機は政府の定めた安全指針を守る補強をするとコストが合わなくなると判断して廃炉にしました。
女川は津波のメッカなので高台につくり、貯水槽なども容易していました。
東電だけなんですよね。なんもしてないのは。
産経の記事に耐震補強を先にやり津波対策を後回しにした結果、こうなったとありました。
まあ1000年に一度の津波を後回しにしたのは分からなくもないのですが、ならなんでさっさと海水投入とベントをしなかったのか理解に苦しむ話です。
まあ私から言わせると放射能恐怖症の国民が風評被害を広めて、被害を拡大し、結果的に国庫負担を増やしているだけの気がしますけどね。
28.
ikedf
2011年04月20日 23:51
原発問題考えるとキリが無く。1)左翼の反原発運動に関して。連中は盛んに原発推進者の責任を云々いってるが、北朝鮮を好き放題にさせて日本の融和措置を推進させミサイル製造や核開発を好き放題にやらせてきた左翼の責任のほうが重大と考える。左翼全盛で無防備の日本からの多額の資金や部品技術流出によって、北朝鮮は周囲を戦慄させるほどの核やミサイル開発の基礎を築いたのだ。2)東京電力に関して。むかし東電社員が言っていたが、原発は火力と違って本社首脳は原発の連中に自由に指図できない空気があるとのこと。原発は特殊な領域だから、現場の人間は、本社のお偉いさんはどうせわからないのだし、何かあったら俺たちが死ぬのだから俺たちに現場のことはまかせろという雰囲気が強いのだとか。資材調達なんかでもその威力は発揮されるらしい。今回の有様を見てふと思い出した。社長が事務屋でなく技術屋だったらと意見も目にしたが、意外と事務屋だから客観的な判断ができるということもあり得る。3)データ公表に関して。養鶏場の経営者が言っていた。卵のサルモネラをいちいち公表してたらパニックや風評がでる。少量ならたいしたことない。健康被害影響ない場合は公表しないこともある。放射性物質も同様とはいえないが、なんでもかんでも公表、公表というドシロウトは世間や科学を知らないのだろう
29.
ikedf
2011年04月21日 00:29
設計ミスに関して。信頼性は各部品の掛け算になるので、信頼性99%の部品が99個あっても、最後の1個が10%であったなら結局トータルでは10%以下の信頼性しかないことになる。技術者なら誰でも知っている基礎知識であるが、問題は「近々大地震が起こって大津波が襲ってくる」ということを真剣に想定できなかったことにある。この原因を何に求めるか。終わりのない飛行機墜落を分析した柳田邦男の感想を聞きたいところだが・。人によっては現場が挙げた忠告を上層部がコスト優先で握りつぶしたと考えて組織の官僚的構造に原因を求めるかもしれない(JR西日本が線路のスピード抑止装置をケチって暴走事故が起こったのに似ている)。だが今回に関しては学問で進行する「縦割り構造」が災いをもたらしたのではないだろうか。委員会でいくら複数の専門分野の学者を集めて幾日議論しても、ここから先は他分野で俺の専門ではない、専門家がこう言っているから大丈夫だろうという変な割り切りがあったとしたら。原子力と電気設備の知識をもった専門家が地震という現象について、専門外と割り切らずもっと真剣に追求していたら、もっとましな結末になっていたのではないだろうか。今となっては後知恵でしかないが・・。
30.
kkay1974
2011年04月21日 01:15
設計の問題に過ぎないといっても、そのような事故が起こることも想定の範囲ではないのか?
「割り切る」にしても、死亡者が出てないことを理由に原発の安全性を言うのではなく、原発の費用と他の手段の費用とを示して、国民がどれを選択するのかの合意形成を取り付けておくことが必要なのではないか?またいつか起こるであろう次の事故に備えて
31.
gateway20110311
2011年04月21日 01:28
4 原子力について、いま、日本人が読むべき論述と本はこれだろうと思う。
そしてその著者による作品は;
http://t.co/im6Glcv
32.
zzz1968
2011年04月21日 02:30
今回、この「原発事故」ということに関する一連のエントリーを読ませていただいている限り、言葉の使い方による誤解なり行き違いが多く起こっているという印象を受けました。
例えば、タイトルの「原発事故のリスクをどう『割り切る』か」に関しても、「交通事故のリスクを割り切る」とか「不当判決のリスクを割り切るか」といった議論に対し普通の人々が共感し難いのと同様の受け止め方をされるのは当然かと思われます。
また今回の福島第一で続いている一連の災害に関して、単にそれが「原子力発電」という発電技術の持つリスクなのか、それを一民間企業に独占的に管理させることによるモラル・ハザードの問題なのか、さらにそれを監督するべき政府なり機関なりの能力の限界についての問題なのか、というところをそれぞれ分けて論じると議論がもう少し整理されるのではないかと感じました。
今まで池田さんにお勧めいただいた書籍や文献を読ませていただいた中での印象としては、「情報の非対称」という問題が、この「原発」に関しては非常にそれぞれの判断を難しくしているのではないでしょうか?
33.
minourat
2011年04月21日 04:49
>> 浸水に備える設計の問題にすぎないのだ。非常用電源とポンプのうち1系統を原子炉建屋の中に配置することは、数億円のコストでできたはずである。
> その通りだと思います。
こまかいことですが、 独立に生き残る3系統が必要です。 1系統が定期点検もしくは修理中とします。 その間に、 もう一つの系統が故障することがあります。 この時も、 最後の系統が稼動できることが必要です。 必須の機器およびその制御系は想定される事象に対しては、 そのように設計されています。
ひとつの事象で複数の系統がいかれるのを、 common−mode failure といって注意がはらわれているのですが、 それでも抜けがでてきます。 非常用電気系統がすべて冠水ということは、 考えられていなっかたわけです。
そのほか、 中央制御室がなんらかの理由で使用不能になるとか破壊されるといったことも想定されていません。 それから、 配管には破損したらどうしようもないといった部分もあります。
現在、 1−3号機で水をどれだけ注入しても、 燃料棒を完全に水没させることができないのは、 圧力容器、 配管、 もしくはこれらにつながっている機器のどこかに欠損が生じたとおもわれます。
それから、 非常用電気系統は水のこない部屋にあればよくて、 原子炉建屋にいれる必要はないとおもいます。
難しいのは、 どういう事象がおきるかということとその確率を設計段階で予測することです。
34.
jestemneko
2011年04月21日 05:59
石炭火力発電の場合、発電効率を高めることや廃物処理を高めること、安全性を高めることや最悪の場面での被害を最小化すること、その他もろもろのことがイノベーションにより可能であると十分予想できます。ところが原発の場合、それができない。だとしたら、まともなリスク計算もできないでしょう。そこに、原発の本質的欠陥があると考えます。一方、太陽光発電などは、リスクはなくても確実な代替手段になるとの予想がまったくできない。私が石炭火力発電を水深して原発や太陽光発電に反対するのはそういう理由なのですが、誰もが理解できるアプローチであるというのに、なぜか学者や評論家等々が非難する。いったい、どうすればよいのか。なぜ、石炭火力発電の良さを認めようとしないのか、私にはさっぱり理解できません。
35.
minomi66
2011年04月21日 06:40
私は原発そのもののリスクより、東電や行政府といった組織が信用されていないことの方が問題を深くしていると考えている。計器やコンピュータは嘘をつかない。もちろん入力する人やプログラムによる間違いはあるが、どんなに時の権力者や経営陣に不都合な数値であっても素直に出力してくる。しかし、経営側や政府はそれらを知らせないと消極的な方法で隠すということができる。IBMが最悪だったころ、フレームワークの未来は暗いというデータが出たときに経営陣の一人が、「このデータが間違っている」と言って受け付けなかったことがあるそうな。結局、反対派がもっとも不安視しているのは原発そのものより、問題のある結果を白と黒と言いくるめ、あるいは隠す権力に対してであって、そのような状況下にある場合、いくら科学的に原発の安全性を説いてもあまり効果は無いように思われる。
36.
minomi66
2011年04月21日 06:43
何より信用されていないのは原発そのものよりそれを扱う組織である。それゆえ、より致命的な問題を起こしそうな道具をその信用おけない組織に使用させるのは反対である。ということなのではないかと思われる。
37.
rabbitge
2011年04月21日 07:11
原発の問題というより、組織の問題だと思います。
これほどの社会的不安を作りだし、なお拡大しようとしているのに責任を問われないのは、今までお金をばらまいた成果でしょう。通常の企業なら即倒産でしょう。
訂正しましたが、トップは6月に辞任する予定だと言いました。もう事態を収集出来ないと諦めたとみられてもおかしくありません
38.
tatuya101
2011年04月21日 07:20
5 現状では、とても言いにくい率直なご意見だと思います。こういう議論を続けていくことが大切だと思います。原子力の本質論ではなく、現実的に東電を調査することから始めることが大切だと思います。
私が懸念していることは、「政府や東電、原子力村の御用学者達がうそを言うことです。」放射能に汚染されている野菜・魚をできるだけ食べないようにする方がいいに決まっているし、福島県や茨城県の農家さんや漁業関係者には、全額補償が必要です。(当たり前です)また、子供さんなどは疎開した方がよりベターな対策ではないでしょうか。
原子力の本質論を問うこと、これからの対策とは分けて考えるべきです。私は原発反対派ではありませんが、事故が起これば、現実的によりベターな対策をし、最悪の状況を回避することが必要だと思います。
39.
test2436
2011年04月21日 07:36
この問題はあまりにも大きな問題にもかかわらず、リスクについての議論が
少ないように思います。いくつか気になる点を投稿いたします。
1.人体や健康被害について
>チェルノブイリ事故の最終的な死者の推定について、国際原子力機関(IAEA)は
>「最大9千人」としているが、ばかげている。私の調査では100万人近くになり、
>放射能の影響は7世代に及ぶ。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/233873
・死者の数は本当に9千人なのか?
・その他の健康被害は考えられないのか?
データには表れないような被害が生じている可能性。生殖器その他に対する影響。
2.経済的またはその他のリスクについて
日本製ブランドの低下、故郷を失うこと、放射能差別などによる精神的被害、
狭い日本の土地を有効利用できなくなる被害、いまだに処理が終わっていないチェルノブイリ
のように、廃炉にするまでの労働力や資本の投入の損失、日本へ留学生や研究者などの
優秀な外国人が入ってこなくなる損失、観光者が増えるどころか減ってしまうなどなど。
それと、今回は福島であり東の海へ風で放射性物質が流されており、人口4000万人が暮らす
首都圏に大きな被害が出ていなかったからいいものの、福井のもんじゅとか、浜岡原発で
事故が起きていたらどうだったのか?最悪の事態が起こらなかったから良かっただけではないのか?
国が滅ぶ、東日本が西日本が致命傷を負うような甚大なリスクはないのかまで議論する必要があります。
自動車事故やコンビナートの事故とはレベルが100倍ぐらい違うような気がします。もんじゅとか浜岡。
40.
test2436
2011年04月21日 08:03
日本とチェルノブイリでは人口密度が違います。
ロシアやウクライナと日本では国土の面積も違います。
東京や横浜、大阪、名古屋とあちらさんでは土地やビルの資産価値も違います。
人が住めなくなった時のリスクはでかいですよ。
人口が首都圏周辺だと4000万人もいるので被害者の数は多いはずですよ。
日本列島の一番東側にある福島で事故が起こり、チェルノブイリの10分の1の放出で済んだという
事例を基準にしていいのでしょうか?600km以上離れた地点でも高濃度の放射性物質が欧州で出たりしています。
チェルノブイリの10倍ぐらいの放射性物質が日本中にばらまかれて水や土壌そして人までも汚染されたらどうなるのか。
日本沈没の恐怖もあるかもしれないわけですから最悪の事態をきちんと想定すべきだと思います。
41.
test2436
2011年04月21日 08:40
この問題の最大のポイントは「最悪の事故」が起こった場合のリスクをどう計算するかでしょう。
運良く軽微で済んだ場合を想定の範囲としたら今回の教訓を生かせないことになる可能性が
あると思います。
ちょっと想定が甘い議論がなされているように見えます。チェルノブイリと日本では状況が
違いすぎます。非常に甘い認識で福井や静岡など、日本中に原発を作りまくっているのでは。
前の投稿に加えて、大都市に半世紀以上人が住めなくなるような、そして4000万人が放射性物質を
チェルノブイリの何倍もの量を喰らうような事態がないのか?
西側で事故が起こったら日本中が汚染地域となってしまわないのか?
同時多発的に事故が起きたら対応できるのか?
そんなこと考えたら原発なんか作れないよと言われそうですが、それが起きた場合の、
「最悪の事故」が起こった場合のリスクを踏まえた上で議論してくれないと賛成はできませんよ。
日本は狭い。人口密度も高い。日本中に地震が多い。セキュリティ意識、リスク管理が甘い。
考えが甘い。お役所仕事。無責任体質。これでは原発なんか増やしていくのは無理なのではないか?
事故は起きないことが前提になってるからなぁ。隕石が当たるとかまでは考慮しなくてもいいけど、
同時多発的あるいは大都市で事故が起こることぐらいは想定内とすべきなのでは?
でも事故が起きることを前提にしたらもんじゅなんか作れないだろうし反原発派と推進派の
議論は噛み合わないだろうなぁ。「最悪の事故」を考慮に入れると原発は作れなくなると思うから。
少なくとも、リスク想定に関する合意が必要でしょう。あまりにも甘い想定だとドイツのように廃止の方向かな。
42.
gari
2011年04月21日 10:51
「割り切る」のは、コストの兼ね合いで、技術の世界ではよくやられている事だが、この発想が行き過ぎると、「チェックが甘い」という事になりかねない。池田さんの述べておられるようにコストが数億円で済むような対策を行えなかったというところに問題があるとすると、逆にその「割り切り」が「甘いチェック」になってしまったと考える事も出来る。つまり、「割り切り」を行うのにも程度の問題があるという事を、今回の原発事故は示しているのだと思う。津波で浸水するような場所ではなく、万が一の事を考えて非常用電源と燃料を高台に置いておくだけでも、かなり状況は変わったと思う。しかし、そういう事すら出来ない事を「割り切り」で片づけられるのかというと、やはり違うと思う。その背後には、東電の組織形態の問題もあるだろうし、原発村の閉塞性もあっただろう。そう考えると、単純なプラント事故というよりも、批判されても大丈夫な状態、これが最大の問題ではなかったかと思う。なぜなら、問題を指摘されていたのに数億円で対策出来ることすらしていなかったのだから。私の意見は、原発は段階的に廃止、自然エネルギーとバイオエネルギーとスマートグリッド〔電気自動車)と電子都市で対応するべきだと思います。リスクそのものを分散化してしまうこと、それが一番安全だと私は思います。
2030年の日本の電力(私が提案する具体策です)
http://d.hatena.ne.jp/skymouse/20110408/1302233827
43.
k030201ff
2011年04月21日 12:50
「最悪の事件」の想定が抜けている。
確かに現時点では原発のリスクは他の発電に比べたら死人も少ないので池田さんが云うように低いと思います。でもこれは現時点での話で、それこそこれから想定外の事が起きると、一気にリスクが高くなるかもしれません。
つまりここで話すのが躊躇われるようなリスクですね。世界中の原発がある切っ掛けで◎◎のターゲットになればという話です。確率は低いでしょうか?
これだけは起こらないことを祈るのみです。
44.
kamokaneyoshi
2011年04月21日 21:22
「今回の事故はお粗末な設計と経営陣の判断の誤りによる平凡なプラント事故である」というのはやはり問題を限定し過ぎではないでしょうか。「文明災」という程大げさな話ではないにせよ、今回の事故の背景には日本社会が抱える多くの問題が潜んでいると考えられます。その中には池田先生が常日頃批判されている日本社会の構造的問題も含まれております。今回の事故を契機としてこの問題を抉らない限り、例え原発を止めたとしても、日本を不幸にする事故は起こり続けるのではないでしょうか。今回露呈した日本社会が抱える問題のいくつかにつきましては、私の論考をご参照いただきたいと思います。
45.
ksmo2011
2011年04月21日 21:44
千年に一度の地震など考えていたら、原発など作れないというのが、推進派の論理なのでしょう。
でも、残念ながら、その、千年に一度の地震が千年前に起きていたとしたら、その地震は,今、何時起きてもおかしくないという想定が全く欠落していました。
その事に気付いていたか否か、東電は、まるで、天変地変の被害者であるかのように振る舞い、さも迷惑そうに保身に務め、口先だけの謝罪を型どおり語ってやり過ごそうとしているかのように見えます。「千年に一度]を割り切って,だから、事故が起きるなどと考えもしなかったというのは、さて、如何なものでしょうか。
千年に一度の事故が,数万人、数十万人に被害が及び,補償や弁済が出来ないほどに膨大なものになるとするなら、当然にして想定の範囲内でしょう。
イヤ、地震は想定外だとしても、全電源喪失によるメルトダウンは、公知の事実であり、疑いもないものであるとするなら、地震や、天変地変等に関わりなく、その想定は、全くなんの疑いもなく想定内でなければなりません。
その想定をしなかった東電の責任は、疑いようもなく、一切の弁明も釈明も、許されるものではないでしょう。
なんの根拠も無しに、全電源喪失はあり得ないと決めつけていただけのことなのですから。
46.
moku8py8py
2011年04月22日 04:50
「平凡なプラント事故」であっても、22万人が最低半年以上(6か月なら132万人月)避難しなければいけない事故です。
コスモ石油の千葉製油所燃料タンク爆発は「平凡なプラント事故」以上だと思いますが、鎮火までの10日間で避難した人月は1万分の1以下ではないでしょうか?
今回残念にも事実として判明したこと2点。
1.「平凡なプラント事故」であっても原発事故では石油プラント事故の数万倍の人的被害をもたらす。
2.使用済み核燃料が格納容器の外に大量に保管されていただけでなく、燃料混じりの放射性物質が海にも流れだすなど(圧力容器+格納容器)では密閉できなかった。
47.
minourat
2011年04月22日 06:47
> 40年前の建設時の全体統括をどの組織がやったかによって自ずとリスクの見積もりも変わってくると思うんですが
1号機ですと、 原子炉、 タービン、 発電機等の主機はGEですが、 土木工事・建物等をふくめた全体の統括はエンジニャリングを行う米国のエバスコ社でした。
東電はお客様ですから、 エバスコ社にどんなことでも要求することはできました。 しかし、 当時の東電に細部まで理解して仕様変更を要求するほどの技術力はなっかたとおもいます。 また、 東京に本社のある東電の技術者の津浪に対する認識は薄かったとおもいます。
3号機の主契約者のT社でも、 だれかが考えていたかもしれませんが、
津浪の話はきいたことがありませんでした。 とにかく原子力発電所は複雑です、 担当技術者が何千人といます。 どこかに、 抜けがあっても簡単にはわかりません。 事故があってからこの抜けを指摘することはできても、 事前に指摘することは難しいです。
48.
tagosaku01
2011年04月22日 14:29
私の考えでは山奥で岩石のなかに希薄な状態で存在していた「ウラン」を人間が「危険な状態」にまで濃縮し、人口希薄であるが離れた所には人口密集地がある場所に持ってきたのが原因です。従って論じられている「安全」とはせいぜい管理された「危険な状態」に戻すという話です。
今回の事故でわかるように使用済核燃料でも自発的には元のような希薄な濃度に戻ってくれませんので今後長期にわたり管理された「危険な状態」を保つ必要があります。
私の考えでは原発は相対的に安い発電コストに廃炉や使用済核燃料保管費用等を上乗せして供給することで存続する、こぎ続けなければ倒れてしまう自転車のようなものだと思います。原発を廃止するためには管理された「危険な状態」を保つ費用をずっと払い続けるためにどこかに原資を求める必要があり、その点をがめついドイツがどう解決するのか注目して見る必要があります。
49.
takotakobun
2011年04月22日 15:17
リスクをアセスメントし管理する工学的手法はきわめて進化しており、民間企業でも実際のプロジェクトマネジメントの手法の上に載せて、半導体や自動車などで管理運用されています。
リスクアセスメント上、”どこかで割り切る”のは必要不可欠で、もっとも慎重に行われれるべき作業です。そのクライテリオンを議論しコモンセンスのたたき台を作るのは有識者といわれる人たちです。(ピアレビュー)。
原発のようなものですから、そうしたリスク管理マネジメントルーチンはより厳格に、サイクリックに運用されていたんでしょう....とおもっていたら、福島第2原発ではハードお状況が違う....おやおや、やるべきことをやっていたかどうかを再検証することからはじめる必要があるということですね。
いわゆる構造疲労が懸念されるわけですが、すり合わせが得意なわが国では多くの業界がまったく似たような状況。だからこそ、そこからら始めるべきかと。ということで、池田さんの説をなぞるコメントになってしまいました。
50.
mshino3523
2011年04月22日 16:27
>もう原発の記事はやめようと思っていたのだが、まだまだ議論が続くので、
廃炉にしてもこれだけの労力がかかるのだから、この議論はまだ続かざるを得ないと思う。
東電の「工程表」によれば、原発を「冷温停止」させるには、あと半年から9カ月
かかるという。すべてが順調にいった場合の“大甘”見通しでもこれだから、気の遠く
なる長期戦になるのだが、だとすると心配なのが現場で働いている「作業員」の体だ。
http://news.livedoor.com/article/detail/5508656/
こうなると米倉会長の言う「原発賠償は国の責任」は、いったい誰のための賠償なのか。
原発を廃炉にするだけでも四苦八苦状態、これでは電力復旧の見通しなど論外だ。
かといって石原知事の言うような自動販売機などの節電をした程度ではどうにもならず、
もはや小手先の対症療法ではなくマクロ的な政策転換が求められるのではないかと。
「首都機能移転」の議論を再開、そして民間企業にも本社移転や自家発電を推奨する。
51.
cool_but_fool
2011年04月22日 19:35
原子力はかつて一人の老人の夢でした。
正力という老人はマイクロ波を手にするための交換条件として、米国に便宜をはかるように読売新聞と日本テレビによる「反・反米反核」の一大プロパガンダを起こしたわけです。
メディアを完全にコントロールして世論を180度転換させ、まんまと原子力発電を導入し、つじつまあわせに原賠法もつくってしまいました。
折しも日本漁船が米軍核実験の犠牲になり、国内に反米反核の嵐が吹き荒れるなかでのことです。
これが日本という国の縮図です。
民意など反映される余地はなく、世論はバックグラウンドでコントロールされ、大衆は愚民化され、特権階級はピラミッドの頂点に安座する。
左翼も右翼も彼らにしてみれば三下です。
原発を夢のエネルギーだなどと本気で思っていたのは見事にだまされた大衆と、一部の学者馬鹿だけでしょう。
原発は、最初っから「クリーン」であり、「経済的」であり、「安全」であるという枠が先につくられて、それにあう「リスク管理」や「予算」が組まれてきたわけです。
経済効率もその評価も、結論ありきでスタートしているのです。
建設的な議論なら、福島の廃炉の金はどっからもってくるかってことと、原発は合理的ではないが、50基以上もつくってしまい、半世紀たまった使用済み燃料もあるし、壊れかけのもんじゅも含め、どっから資金を調達して、どうやって片付けていくかってことでしょう。
なんですぐに全廃できないかってところの本音は、全廃したあとに今更廃棄処分の費用を電気料金に入れさせてくださいとはさすがに言えないからですね。これらを費用にいれたらコストが安いと言えなくなるから計算してなかったのです。
それが「割り切り」ってものの正体です。原発をやめることで電力が不足とか眠いことをいつまでも言わないでください。現状の火力とスマートグリッドと、企業努力による省エネ機器の開発など、なんとでもなります。
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