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福島の土壌にどれだけ放射性物質が広がったのか
原発事故でどうなる?福島の農業(前篇)
2011.04.25(Mon) 漆原 次郎
筆者プロフィール&コラム概要
福島県の「浜通り」には、厳しい風土の中で幾多の災厄を乗り越えて、コメの収穫を守り続けてきた歴史がある。その農業は現代になり、多種多様な野菜や果物の収穫という形で発展を遂げてきた。
歴史ある浜通りの農業に、今、未曾有の危機が訪れている。放射性物質という、まったく体験しなかった見えない物質が、田畑の土に降り注いでいる。放射性物質と土壌の関係を見続けてきた研究者の目に、今の状況はどのように映っているのだろうか。
災厄のたびに立ち上がってきた「浜通り」の農業
福島県には、西から順に「会津」「中通り」「浜通り」と呼ばれる地域がある。南北に連なる奥羽山地、それに阿武隈山地を境に、各地域で風土が大きく異なるため、3つの地域に分けてこう呼ぶのだ。
浜通りでは、江戸時代、相馬中村藩の下で農民たちが稲作に励んでいた。だが、この地域は夏場、太平洋岸に「やませ」と呼ばれる冷たい風が吹きやすく、会津や中通りに比べて収穫は不安定になりやすい。
相馬中村藩の農民たちが過去に経験した厄災が、次のように語り継がれている。
第3代藩主・相馬忠胤の時代、藩内の石高は10万石を超えていた。ところが、1755(宝暦5)年に冷害が起き、凶作被害は4万6000石にもなり、「施粥」と呼ばれる粥の施しを受けた人は2万3994人。
追いうちをかけるように、その後も冷害が繰り返される。1781〜1789年の天明年間には「天明の大飢饉」として知られる冷害が浜通りを襲った。特に天明3年には、浅間山大噴火の影響による冷害がひどく、餓死者は天明4年半ばまでで8500人に達したとされている。
減った相馬藩の人口を回復させるため、他国からの移民を募ろうと、こんな歌が作られ、歌われた。
「相馬相馬と木萱(きかや)もなびく なびく木萱に花が咲く おれと行かねか相馬の浜に・・・」(「相馬二遍返し」)
幾度とない憂き目に遭いつつも、浜通りの農民たちはその度に立ち上がり、農業を守り続けてきた。
明治以降になると、稲作のみならず、野菜や果物栽培も広がっていく。昭和40年代には、地力低下や病害虫発生を防ぐために異なる作物を順番に作る「輪作」の工夫もなされるようになった。大麦、トマト、タマネギ、稲、あるいは、大麦、葉タバコ、キュウリ、イチゴ、稲と順に作っていくのだ。
「ふくしまの農林水産物」というパンフレットがある。福島県が作ったもので、ページをめくると「産地マップ」が載っている。浜通りの農産物は実に豊富だ。南相馬市は麦、春菊。双葉町は春菊、ホウレンソウ。大熊町はキウイフルーツ、梨。川内村はサヤインゲン。楢葉町はトマト。葛尾村はシイタケ。他にも海産物や牧牛などが紹介されている。
植物の放射性物質吸収に2つの経路
危機を乗り越えて農業を守り続けてきた浜通りの農家たちが、今、新たな別の危機に直面している。それは、過去に経験してきた冷害とはまったく異なる。
放射性物質による農作物汚染という人災だ。
福島第一原発の放射性物質漏れ事故以降、半径20キロ圏内の住民は避難、20〜30キロ圏内の住民は屋内退避の指示が出され、事実上、農業の放棄を余儀なくされた。
さらに、周辺地域の農作物についても、連日のように、国による出荷制限の指示が相次いだ。4月17日時点で、福島県の農作物で出荷制限の対象となっているのは、ホウレンソウ、カキナ、春菊、チンゲンサイ、サンチュ、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、カブなど。4月13日には、福島県の一部地域で栽培される原木シイタケも、出荷制限の対象に追加された。
なぜ、農作物が出荷制限になったのか。
主な理由は、福島第一原発から放出された放射性物質が、風や雨によリ農作物の葉の表面などに付着し、吸収されたからだ。これは「葉面吸収」とも呼ばれる。
だが、農作物への放射性物質の取り込まれ方は、葉面吸収だけではない。稲、野菜、果物などの農作物を含むほぼすべての植物は大地に根を張っている。土から水分を吸収して、成長の糧とするためだ。この土が、放射性物質で汚染されているとしたら、植物は水分の吸収を通じて放射性物質を取り込むことになる。この経路による放射性物質の吸収は「経根吸収」と呼ばれている。
農作物に放射性物質が取り込まれるのは、葉面吸収と経根吸収の両方があるわけだ。
問題になるのは半減期が長い放射性セシウム
「本当に考えてもみなかった事故です。チェルノブイリの事故はあったが、日本で放射性物質による広範囲な汚染をどうするかといった問題への対処法は今まで考えられていませんでした」
千葉市稲毛区にある放射線医学総合研究所で、同研究所研究基盤センター長の内田滋夫氏が取材に応じてくれた。内田氏はこれまで、環境における放射性物質などの分析を専門にしてきた。特に土壌から農作物への放射性物質の移行のメカニズム解明が研究のテーマだ。
放射線医学総合研究所研究基盤センター長の内田滋夫氏
今回の事故を受け、福島県からの依頼で、放射性物質の農産物に対する影響に関するアドバイザーを引き受けている。放射性物質による土壌汚染の度合いを調べる方法や、過去に調べた経根吸収のデータなどを福島県側に伝えている。
放射線を放つ能力を持つ物質は「放射性物質」と呼ばれる。福島第一原発から地上に放出されている放射性物質は主に3つ。「ヨウ素131」「セシウム134」「セシウム137」だ。放射性物質は他にも様々あるが、この3つは他の放射性物質と比べて、低い温度で飛散しやすい。そのため、空気に乗って散らばりやすいのだ。
放射性物質は、自分自身を崩壊させながら放射線を発し続ける。崩壊して半分になるまでの時間が「半減期」だ。
ヨウ素131の半減期は約8日と比較的短い。収穫までの時間が1カ月ほどの葉もの野菜などでは「少し注意する必要があるかもしれない」が、「80日経てば1000だった量がおよそ1になる計算。収穫までの期間が長い穀類などは、ヨウ素についてはほぼ心配はない」(内田氏)。
より問題になるのは、セシウム134やセシウム137だ。
セシウム134やセシウム137がヨウ素131に比べて問題なのは、半減期が長いため長期間土壌中に滞留するからだ。それぞれの半減期は約2年と約30年。自然に崩壊して放射能がなくなっていくのを待つには長すぎる年数と言える。
コメの作付けを制限する基準は1キロの土に「5000ベクレル」
福島県は4月6日、県内の田畑70地点の土壌を調べた。
その結果、飯舘村、川俣町、二本松市、本宮市、大玉村、伊達市月舘町、郡山市日和田町で、高濃度のセシウム134と137が検出された。乾いた土1キログラムあたりの最大値で、セシウム134は7308ベクレル。セシウム137は7723ベクレルと記録された。
この最大値について、内田氏は「かなり大きな数字だと思う」と話した。土壌中の放射性物質の濃度に対する安全基準はこれまでなかったが、政府は専門家からの意見を聴き、4月8日、コメの作付け制限を指示する値を発表した。「土壌1キログラムあたり放射性セシウムが5000ベクレルを超す」場合は、作付けが制限されることになる。
次いで、4月12日に行われた第2回調査では、飯舘村の1地域でセシウム134が1万4176ベクレル、セシウム137が1万4725ベクレル、浪江町の1地域で同じく1万4103ベクレル、1万4854ベクレルを記録するなどしている。1度目の調査よりも最大値は高まったことになる。
計測地点には、避難指示や屋内退避指示が出されている原発周辺地域の町村は含まれていないが、土壌中のセシウム134や137などの濃度が高いことが考えられる。今後、詳細な計測が必要となる。
「これまでの研究で蓄積したデータはある」
この土壌に対する放射性セシウム濃度の基準値は、コメを作る水田を対象に定められたものだ。コメのみに土壌の基準を作った理由を、鹿野道彦農林水産大臣は「コメは主食であり、きちんとした考え方を出さなければならない」としており、他の作物については「収穫時に判断する」と述べている。
セシウム137の半減期は30年。同じ土壌を使い続けていれば、30年経ってもセシウム137の経根吸収の量は半分にしかならないことになる。
浜通りをはじめとする放射性物質の影響を受けた地域の農業は今後どうなるのか。内田氏は「事故そのものの収束への見通しが立たないので、考えにくいところです」と言う。
一方で、「これまでの研究で、放射性セシウムの土壌中での動きやすさや、コメ・小麦がどれだけ吸収するかといったデータの蓄積はある。応用の範囲外になる部分もありますが、そのあたりの知識をどう生かしていくかということだと思います」とも話す。
放射性物質の影響で農作物の作付け、収穫、出荷ができないという事態は、日本の農業にとっては初めて直面する事態だ。未曾有の危機に対処するため、今、求められるのは、科学の知の結集にほかならない。 (後篇に続く)
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