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1.東電社長は日本型サラリーマン社長の典型だった
2011年4月18日、東電清水社長は衆院予算委委員会に呼ばれ、東電福島原発事故について釈明を行いました。何とも頼りない答弁でした。
同社長は、コストカッターの異名をもつほど、コストダウンに長けているということで社長に抜擢された人物ですが、それは単に“安物買いの銭失い”に過ぎなかったことがばれました。原発の悪魔性をまったく見抜けず、わずかな安全コストを削って、東電を破局に追いやり、日本国民を不安地獄に叩き込んでしまいました。
今日起こっているシナリオを描けなかったという点において、清水社長は社長失格ですが、このような能天気社長は清水社長固有のものではなく、日本の大企業のサラリーマン社長全体に当てはまるものです。
2.日本の大企業の特徴:現場は強いが本社が弱い
今回の東電の破局(有事)から観察できるのは、“現場は強いが本社は弱い”という日本大企業によくみられるパターンです。
3.11事故以来、東電本社のみならず、原子力安全・保安院でも毎日のように、記者会見が開かれ、大手マスコミの記者連中が、意味のない些細な質問を繰り返しているシーンを国民はさんざん見せつけられ、もううんざりしているのではないでしょうか。
この情景がもたらしていたのは、一言“隔靴掻痒”でした、なぜなら、国民と現場の間の直接対話は一切ないからです。
おそらく、東電は厳重な情報統制をやっており、現場(東電福島第一原発)とマスコミの情報交流を厳禁しています。
ところで、われわれはよく、道路地下の上下水管・ガス管工事、埋設電線・通信線菅工事を見かけますが、実際に、マンホールの中で作業している人間は一人か二人であり、周辺に10人くらい群がってただ見ているか、文句言っているだけのことが多いわけです。
今回の東電事故も同様で、現場で事故対応しているのはごく少数であり、本社に大勢の人が居て、右往左往しています。みんな忙しそうにしているけれど、事故対応にはまったく貢献していないのです。
3.東電は典型的な官僚的企業
筆者はIHI時代、東電向けのLNGタンクの設計担当でしたが、その経験から、発電所の現場を仕切っているのは、いわゆる学歴エリートではありません。所長ポストは学歴エリートの昇進ステップの腰掛的側面があります。
東電の場合、昇進するのは厳しく選抜された上で限定採用された学歴エリートですが、現場を知らないことが多いわけです。
東電は民間企業とはいえ、地域独占の公益企業、つまり、限りなく日本の官僚機構に近いわけです。
その東電と原子力安全・保安院に共通するもの、それは、旧日本軍的組織体質です。このような組織の特徴こそ“現場は強いが本社が弱い”という点です。
4.旧日本軍の敗因は末端の兵士は優秀だったが、トップが腰抜けだったから?
旧日本軍組織は、末端の現場が強かったため、圧倒的競争優位の米軍相手に粘って食い下がったわけですが、そのトップに戦略性や断固たる意思決定力が欠如していたことが、日米戦争の敗因だったと言われています。
なぜ、こうなるかというと、旧日本軍の現場は、一般国民からの徴兵ですが、トップエリートは陸軍大学校や海軍大学校の成績優秀な学歴エリートで固められていたからでしょう。学校成績が優秀であることと、戦争時(有事)における戦略性と意思決定力はまったく別物なのです。稀に優れたトップがいるのは、偶然、戦略性と意思決定力を備えていたためです。
5.強い現場の優秀な人材は有能なトップになれるか
さてそれでは、東電のような典型的な日本大企業において、強い現場の有能人材をトップに引き上げたら、その会社は強くなれるのでしょうか。
筆者の答えは否です。なぜなら、現場に強い人材が、本社のトップになって活躍するとは限らないからです。現場能力と会社経営能力は別物なのです。
逆に、本社の学歴エリートを現場に行かせたら、案外、活躍するかもしれません。しかし、その学歴エリートは会社トップに据えたら活躍しないかもしれないのです。
会社経営に関して問題が表面化するのは、今回の東電の例のように有事です。有事と平時では、向いた人材がまったく異なります。有事に対応するには、学歴と無関係な戦略性と意思決定力が要求されますが、このような人材は稀なのです、特に東電のような日本の大企業には・・・。
上記の分析より、言えることは以下です。
(1)学歴エリート日本人もそうでない日本人も現場力において大差ない。
(2)学歴エリートがトップに立っても活躍できるとは限らない。特に有事にはそうである。
6.日本民族はそこそこ有能だが、均質なビロンガーである
筆者の持論、それは、日本国民は総じて、寄らば大樹の“ビロンガー”(注1)であるというものです。
日本人は学歴エリートもそうでない人もオール・ビロンガーなのです。その特徴は、学歴と能力が必ずしも比例しないということです。学歴がなくても、有能な人はいくらでもいるし、その逆もあります。
なぜ、このような現象がみられるかというと、大学での試験問題というのは、大学教員や大学研究者を選抜することに主眼が置かれているからです。その意味で、学歴が有効なのは学界の人材に限られます。大学成績は一般社会に要求される能力を十分に保証していません。特に、産官学組織での有事対応能力に限って、学歴とはまったく無関係です。
そこで、競争やリスクにさらされる日本企業においては、有事対応のトップ人材を学歴や通常業務成績以外の視点から発掘する仕組みが求められます。
グローバル競争にさらされる日本企業はそれなりに、そのような仕組みが備わっていますが、東電に代表される、多くの官僚的日本企業や官庁では、そのような仕組みが備わってないと思います。
今回の東電破局事故は、その仕組みがないことが裏目に出て、被害を無限大に拡大してしまった代表例であり、戦前の旧日本軍のもたらした日本破局の罪に匹敵します。
注1:ビロンガーとは
http://www.jiten.com/dicmi/docs/k27/21596s.htm
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