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人災とは何か。「人間の不注意や怠慢が原因で起こる災害。水害・地震などで、十分な対策を講じておかなかったためにこうむる災害をいう」(大辞泉)。地震と津波。ふたつの天災が起きたときに、福島第1原子力発電所は対策の不足が原因で深刻な事故を起こした。よって、同原発の事故は人災である。
今回の原発事故で、天災とは想定すること自体が困難なものだということがわかった。だが、日本では50基以上もの原発が稼働中であり、それらの原発が生みだす電力を使用したり、原発関連の仕事をしている人は多数にのぼる。この事実がしめすことは、「原発を即停止し、廃止せよ」などと早急な“反原発”を唱えても、その実現はむずかしいという実態だ。
極端な話になるが、人災なのであれば、“十分な対策”をこうじることにより、原発事故を防ぐことができる、とも考えられる。想定が困難な天災を、「もう、これ以上はないでしょう」という“人が考えられる限界”まで想定し、どんなに時間とカネがかかろうと、安全対策を万全にするという道である。
東京電力にかぎらず、原発にかかわる技術者は、おそらく現状で知りうるかぎりの知恵と技術を結集して、原発の建設・稼働・維持・管理につとめていることであろう。しかし、今回は、残念ながら天災がその知恵と技術を超えてしまった。ならば、今後、原発の稼働を維持し、増設していくためには、いままで以上の知恵と技術が必要になる。
一方、私たちが“脱原発”の道を選んだ場合、どうなるのか。現存する原発を、順次停止し、廃炉にする。原発が発電していた電力を、別のエネルギーで代替する。そのためには、莫大な時間とカネが必要になる。また、原発を廃炉にすると、周辺の地域経済が停滞し、雇用が減る。経済の再活性化と雇用の促進は、県市町村レベルでは対応不可であろう。
いま、ふたつの道をしめしてみた。日本の原発について、冷静になって考えてみると、もはやこのふたつの道しかないような気がするが、いかがなものだろう。問題は、いずれの道を選んだとしても、道の途中で“想定を超えるような天災”に見まわれたらアウト、という現実である。
この厳しい現実については、きっと私たちが原発の建設を認め、その電力を使用し、快適な暮らしを満喫しはじめた時点にまでさかのぼって、見つめ直す必要があると思う。原発事故の影響から、つい感情的な物言いになってしまいがちだが、ここは「なぜ、日本には原発があるのだろう」という議論からはじめたうえで、進むべき道を選びたいところ。
さて、いずれの道もイバラの道だ。原発のある道は、イバラの道なのである。でも、選ばなければならない。みなさんは、どちらの道を選ぶのだろう。
(谷川 茂)
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