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日経ビジネス オンライントップ>ライフ・健康>伊東 乾の「常識の源流探訪」
正しく怖がる放射能【2】食べるベクレル、浴びるシーベルト
2011年4月19日 火曜日
伊東 乾
放射能 ガンマ線 シーベルト 放射性物質 ベクレル アルファ線 環境 ベータ線 放射線
4月15日付けで東京電力は福島第一原子力発電所事故に関する、詳細で分かりやすいまとめを発表しました。
今、これをご覧になって疑問に思われることがいろいろおありかもしれませんが、コラムでは前回、今回と流れに沿ってお話をしています。単発のご質問などは、前回同様、私のツイッターに直接いただければお答えできるものがあると思います。
さて、ここに記されたデータ、例えば数値は、基本的にすべて正確を期して記されていると思ってよいと思います。もちろん測定値には誤差がつきものですが、意図的に数値を変化させるということはないと思います。逆に、これはいかがなものか、と思う部分も率直にあります。
例えば、上にリンクした資料3ページと8ページには原子炉の概念図が描かれていますが2つを見比べてみてください。8ページの図は燃料が冷却水の中にある部分しか描かれていません。すぐ横には原子炉水位として「1号炉 -1600ミリ 2号炉 -1500ミリ 3号炉 -2250ミリ」という数値が記されています。これは、4メートルほどと伝えられる燃料棒のうち、1号炉は1メートル60センチ 2号炉は1メートル50センチ 3号炉は2メートル25センチ、冷却水よりも上に頭が出ており、そこが十分冷却できないという状態を示しています。それらが横の図には一切記されていない。
これがどれくらい意図的であったのか、なかったのか、といった詮索はここではしないことにします。しかし、パッと見ただけではピンと来にくい数字に対して、直感に訴えやすい図が、必ずしも数値の内容を示していない、これはよろしくないと思います。
例えば2号炉、3号炉の圧力容器の中は圧力値がマイナス、つまり負圧の数値が書き込まれています。負圧ときけば、実験装置やプラントに関わった経験があるひとなら「逆流」とか「吸い込み」とか、いろいろ嫌な連想を反射的にするものと思います。私は原子炉の専門家ではありませんが、小爆発によってすぐ外側の格納容器の一部破損が伝えられる原子炉で『負圧』ときくと、大気中の酸素を吸い込んで、炉内で発生する水素と爆発反応(水素爆発)を起こさないだろうか・・・などと心配になります。
何はともあれ、データというのは、それをみて「おかしい!」とかピンと来なければ眺めていても何の意味もないもので、私も物質科学を離れて久しく、具体的な数値で分からないものは、物理学生時代の先輩など専門家におうかがいするようにしています。
データを見てピンと来る、来ないの第一は、そのデータを測る方法、つまり「測定原理」を理解しているかどうか、にかかっています。ここでは「常識の源流探訪」流に「放射能発見」の源流から「見えない放射線の測り方」を振り返ってみたいと思います。
放射能の発見の原点:アンリ・ベクレル
前回は、代表的な3つの放射線であるアルファ線、ベータ線とガンマ線をご紹介しましたが、内容的には実はアルファ線の説明で原子核や陽子、中性子などの基本的な話に脱線してしまいました。脱線と書きましたが、実はこの部分が一番基本的な内容なので、もし読み飛ばした方がおられましたら、もう1度よく見ておいてください。ここが分からないと、あとで被曝や原発の話をするとき、訳が分からなくなってしまいます。
アルファ線の正体はヘリウム原子核でしたが、ベータ線の正体は電子線、ガンマ線の正体は光線だとお話しました。これについて簡単にお話しておきましょう。
1896(日本で言えば明治29)年、フランスの物理学者アンリ・ベクレルは、ウラン化合物から出る蛍光の研究をしていたようです。蛍光というのは、文房具でおなじみの蛍光ペンや、お化け屋敷などで使われる夜光塗料のように、物質から発する光のことです。蛍やちょうちんアンコウは蛍光物質を使って光を出します。また先年、下村脩博士がノーベル賞を受賞したのも、クラゲの緑色蛍光たんぱく質の発見によるものでした。
さて、クラゲとウランは発光のメカニズムがまったく違います。ここではクラゲは別論として、ウランと放射能発見の経緯に話を戻すことにしましょう。
1896年のある日、偶然の経緯からベクレルは、蛍光を発するウラン塩をそばに置いておくと、なぜか当時の写真のフィルム(写真乾板)が、光を当てないのに感光してしまうことに気がつきました。
このごろはデジカメの普及で、写真のフィルムを現像するといってもピンと来ない若い人が増えてしまいましたが、フィルムは必要な時間だけカメラのシャッターを開いて露光することで写真を撮ることができます。うまく露光しないとピントがボケたり、露出オーバーで像が不鮮明になってしまったりしますよね。
ベクレルは、光を当てないのに、写真乾板の上にウラン塩をおくと、なぜか感光してしまうことを偶然見つけました。ウラン塩からは何か「放射」するものがあって、それによってフィルムが感光するらしい。そこでこれを「放射能」と呼ぶようになりました。英語で言うとラジオ・アクティビティ、つまりテレビ・ラジオのラジオと同語源です。ラジオの場合は電波を飛ばします。車のエンジンを冷却する部品をラジエータといいますが、これは放射冷却板という意味になります。ベクレルが見つけた未知のビームは、紙1枚でも遮ることができる程度のもので、プラスの電気を帯びていました。最初に見つけられたのでギリシャ語の一番始めの文字を取って「アルファ線」と呼ばれるようになりました。
現在でも、加速器実験物理学者など、弱い放射線を扱う職場では「フィルムバッジ」と呼ばれる、ベクレルの放射線発見の経緯とほぼ同じ原理にもとづく「線量計」が使われています。これはX線のフィルムのような感光物質を仕込んだバッチを胸など体の一部につけておき、過剰な被曝がなかったかを、定期的にチェックするものです。
ベータ線とガンマ線
さて、ベクレルの発見から2年後の1898年、ニュージーランド=イギリスの物理学者アーネスト・ラザフォードは、天然ウランからプラスの電気を帯びた「アルファ線」以外にも「別の放射線」が出ていることに気がつきました。「アルファ線」は紙一枚でも遮ることが出来ますが、この新しい放射線はもっと透過力が強く、薄い金属箔などは突き抜けてしまう。しかもよく調べてみると、マイナスの電気を帯びていることが分かりました。アルファ線に続いて見つかったこの未知の放射線は、ギリシャ語のアルファの次の文字によってベータ線と名付けられました。マイナスの電気を帯びていることからも分かるように、ベータ線の正体は実は電子線でした。
さらに2年後の1900年、フランスの物理学者ポール・ヴィラールは、やはりウラン鉱石の中からアルファ線でもベータ線でもない別の放射線が出ていることを見つけました。この当時、ベクレル、ラザフォード、あるいはキュリー夫妻といった人たちが放射線の正体がいったい何であるのか、必死になって最先端の研究で競走していましたが、ヴィラールが見つけた放射線はベータ線のようにマイナスの電気を持たず、アルファ線やベータ線より遥かに強い透過力を持つものでしたが、発見直後はほとんど注目されず、ヴィラール自身も後続の研究をあまりしませんでした。この第3の放射線は1903年になって、ラザフォードによりガンマ線と名付けられます。ガンマ線は原子核の中から放出される高エネルギーの光であることが今日では分かっています。
ベータ線のように電気を帯びている粒子は電磁気の力で簡単に捻じ曲げられしまいますが、正体が光であるガンマ線は長い距離をまっすぐに飛んでゆきます。このためベータ線被曝の心配をする必要があるのは、放射性物質つまり線源から近い距離に、ガンマ線被曝を心配すべきエリアはもっと広くなります。実際に福島第一原発では電源ケーブルの敷設作業をしていた作業員の方が、放射性物質を多く含んだ水中に足をつけていて「ベータ線熱傷」を疑われる症状が出た、と報道されました。
もっとも、後でお話する「体内被曝」のケースでは、話が全く変わってきます。水道水中からも発見された、先ほど触れたヨウ素131(原子番号53)はベータ崩壊によって原子核から電子が1つ飛び出し、それまで中性子だった核子が陽子になってプラスの電荷が一つ増えキセノン131(原子番号54)に核分裂して安定になります。
測定原理を理解する
さて、先に記した通り、ここで私が放射能の発見物語をご紹介したのは、昔話がしたかったり、お勉強で好奇心を満たしてもらいたいからではありません。放射線には測定原理というものが常にある、ということを感じ取っていただきたいからなのです。
今、アルファ線はプラスの電気を帯びている、またベータ線はマイナスの電気を帯びていると言いました。実は放射線の測定は、こうした「荷電粒子」が測定器の中に飛び込んで物質を「電離」するのをつかまえて、その量を測る、というのが大原則なのです。
そうすると、ガンマ線は光線ですから電気を帯びておらず捕まえにくいことになります。そこで、ガンマ線を浴びると「蛍光」を出す「蛍光物質(シンチレータ)」というものを測定装置に仕込んで、この蛍光を「光電効果素子」というもので電気的な信号に変化させる、別の測定装置が追々、工夫されるようになりました。
何にしろ「目に見えない放射線」の『見える化』『可視化』の第1歩は「電気的な信号に変える」ということなのです。こういうと、X線のフィルムが感光するのは電気的な信号か? と突っ込まれそうですが、いや、これこそまさに電気的信号の痕跡の最右翼で、レントゲンのX線発見以来、物質の電子状態が変化する光化学的な反応によってフィルムが感光したからこそ、私たちは放射線の存在を知ることができるようになったのでした。
「見える化」の最大のポイントは、どのように信号に変えるか、だということを、ここではひとまず強調しておきたいと思います。
人はしばしば「目に見えない放射能の恐怖」といいます。しかしこれはよく考えるとちょっと変な話です。放射線が目に見えないから怖い、のではなく、人間は元来「目に見えない恐怖」を恐れる動物だと理解すべきでしょう。
「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」
などといいます。若い人には分かりにくいかもしれませんが、尾花というのは「ススキ」のこと、つまり、幽霊かと思って恐れていたら、枯れたススキの穂が揺れていただけだった、ということ。つまり「目に見えないから恐怖の対象になる」のです。きちんと姿の見据えることが、目に見えない相手をむやみに恐れない、一番大事な基本。このことをお伝えしたいわけですね。
お化け屋敷は、先に何が出てくるか分からないから怖いのであって、3メートル先に釣竿をもった人がこんにゃくをぶら下げてる、と分かってしまったら、ただのギャグにしかなりません。
逆に言えば、3メートル先にどれくらいの放射性物質があるか、きちんと目に見ることができれば、むやみに恐れることはなくなります。あるいは3時間後、3日後に放射能がどのように広がるかが目に見えるならば、それを的確に退避するように行動することができます。
正確な測定結果の認識と、その可視化のススメ。これが放射能や放射性物質に対する私の第1のお勧めです。さらに、そうやって危険性が目に見えたなら、必ずその危険を回避して、自分の身を守るよう的確に行動することが大切です。
その都度、確認の習慣が大切
逆にしてはいけないことを2つ挙げておきましょう。1つは、きちんと放射能の危険性の測定を認識、可視化などせずに「大丈夫だ」と大風呂敷を広げたり「信じている」などと思考を停止してしまうこと、これは絶対に避けねばなりません。本当のプロフェッショナルは、何をおいてもまず正確な事態の把握からスタートします。
もう1つは、せっかく正しい情報を得ているのに、それをきちんと理解せず、かえって危険の中に丸腰で飛び込んでゆくようなこと。これも絶対に避けねばなりません。極端なケースは福島第一原発の復旧作業現場でしょう。大変危険な現場です。しかも事態は常に動いています。随時、的確に状況を測定、正しく評価しながら、原子炉や使用済み核燃料の冷却・安定化と作業員の安全、2つを同時に実現しなければなりません。
こうしたすべての基本は「正しい測定」とその「正しい理解」からスタートします。むやみに恐れるのは簡単なこと、まず冷静に測定値を確認し、的確に理解し、沈着に行動することが大事です。
こうしたすべてはデータの意味の理解からスタートします。そして、あらゆる正しいデータの理解は、測定原理から意味を把握していることが必要不可欠なのです。
人類が放射能を発見したのは、物理学者アンリ・ベクレルのちょっとした失敗と、その失敗に目ざとく気がついた偶然からでした。現在このベクレルの名を取って「1ベクレル」などと呼ばれる数値が、ほうれん草や小松菜の放射能汚染や食料品の安全基準量として新聞やテレビで報じられています。
この「ベクレル」は、主として「野菜」や「水」など私たち人間が口にするもの、つまり「内部被曝」に関連する情報のとき、放射性物質を特定して使われます。例えばヨウ素131が100ベクレル/リットル当たり、というような具合です。
これに対して、空間で放射線を浴びる、というようなとき、つまり『外部被曝』に関連して「シーベルト」という別の単位が使われます。炉の周りは100ミリシーベルト/毎時という高い放射線の値、というような場合です。
反射的に反応する「感じ方」を大切に
ベクレルとシーベルト、この2つを混乱しやすい、という声が大きいわけですが、ここではもう1つ、私たち人間にとっての健康被害、という観点から簡単に整理し直してみたいと思います。
先ほど「放射線源」と離れていればベータ線は安心、と書きました。逆に言うと高い線量のベータ線源と直接接してしまったり、極端なことを言えば、これを体の中に取り込んでしまったりするのが、一番回避すべき被曝だ、ということになります。
自分の体の中、例えば甲状腺や骨の中に放射性物質が沈着してしまったら、24時間放射線にさらされ続けてしまいますから、危険の度合いは飛び抜けて高くなります。
この状態を「内部被曝」と呼ぶわけです。
そこで、ベクレルとシーベルトを、この内部被曝を回避するという観点で、“標語的”に整理し直してみたいと思います。
【食べるベクレル】
――食べ物・飲み物はベクレル中心。ヨウ素・セシウムなど「物質名」が大事。その物質が体に残りやすいかどうかは健康への影響に決定的。
【浴びるシーベルト】
――外から浴びる危険性はシーベルトなどの値。物質によらず、被曝量による人への影響を示す疫学的な診断目安の値。ベクレルからシーベルトへの換算はできるけれど、シーベルトから元の放射線量はすぐには出てこない。
などと、とりあえず分別しておくことにしましょう。またこんな風に書きますと、賛否いろいろご意見をいただくと思いますが、専門家さんにはなかなか書きにくい、でも持っていると便利な目安として、僕自身が判断の参考にしているところをそのまま書いています。
もちろん放射性物質の粉塵を吸い込んで肺に沈着すれば内部被曝が起きますし、膨大な廃液の総量が物質名を特定せずに総計1700億ベクレルの汚水1500トンなどと報じられることもあるので、具体的には一つひとつ確認してゆかねばなりませんが。
でも「ベクレル」といわれたときには「飲み食いすると危険そうだな。いったい物質は何だろう?」と反射的に感じるほうが安全ですし、「シーベルト」と聞いたときには、飲み食いや吸い込むなどはもってのほか、単に浴びるだけでも短期間に100ミリシーベルトとか、総線量1シーベルト(1000ミリシーベルト)なんて量はただことでない危険性がある、と反射的に反応する「感じ方」を大切に考えるべきだと思うのです。
あれこれ一つひとつ書くと面倒なようですが、買い物のつり銭と同様で、大切な数というのは一つひとつ確認するのが習慣になればどうということはありません。また慣れてくると、いい加減にしていることが、かえって気持ち悪く感じられたりするのも、買い物のつり銭程度の感覚と似ているような気がします。
ベクレルは物質量を見て飲み食いを注意。シーベルトは総線量1シーベルト=1000ミリシーベルトが致死的なエリアに近い、といった「正しく恐れる目安」への感じ方を、普通に持つのが重要と思います。
(つづく)
このコラムについて
伊東 乾の「常識の源流探訪」
私たちが常識として受け入れていること。その常識はなぜ生まれたのか、生まれる必然があったのかを、ほとんどの人は考えたことがないに違いない。しかし、そのルーツには意外な真実が隠れていることが多い。著名な音楽家として、また東京大学の准教授として世界中に知己の多い伊東乾氏が、その人脈によって得られた価値ある情報を基に、常識の源流を解き明かす。
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著者プロフィール
伊東 乾(いとう・けん)
伊東 乾
1965年生まれ。作曲家=指揮者。ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督。東京大学大学院物理学専攻修士課程、同総合文化研究科博士課程修了。松村禎三、レナード・バーンスタイン、ピエール・ブーレーズらに学ぶ。2000年より東京大学大学院情報学環助教授(作曲=指揮・情報詩学研究室)、2007年より同准教授。東京藝術大学、慶応義塾大学SFC研究所などでも後進の指導に当たる。基礎研究と演奏創作、教育を横断するプロジェクトを推進。『さよなら、サイレント・ネイビー』(集英社)で物理学科時代の同級生でありオウムのサリン散布実行犯となった豊田亨の入信や死刑求刑にいたる過程を克明に描き、第4回開高健ノンフィクション賞受賞。科学技術政策や教育、倫理の問題にも深い関心を寄せる。他の著書に『表象のディスクール』(東大出版会)『知識・構造化ミッション』(日経BP)『反骨のコツ』(朝日新聞出版)『日本にノーベル賞が来る理由』(朝日新聞出版)など。
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