http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/527.html
Tweet |
なぜか東電叩きでは、会長と社長だけが叩かれており、原子力村のドンとされている武藤副社長の事故当日の行動がどこかに飛んでしまっています。
「放射能が来る」という今となっては真実そのままのタイトルで叩かれたAERAの記事がその点について詳細を書いた記事を見つけましたので、転載します。
記事からは武藤副社長が原発についての専門知識と権限を持ち合わせているにも係わらず、廃炉を惜しみ、海水注水を渋ったことが状況証拠から示唆されています。
なお、雑誌を見ながら手打入力しており、少々の誤字、脱字はご容赦を・・・
========================================================================
あの3日間、ドンは何をしていたのか
東電「原子力村」の大罪---(AERA 11.4.11)
東京電力には社長さえ御しきれない聖域がある。
「原子力村」。社内でそう特異な目でみられる原子力部門だ。
東京電力の武藤栄副社長(60)は3月11日(金)の午後3時30分、東京・内幸町の東電本店を発ち、ヘリコプターで福島第二原発に向かった。
後にマグニチュード9.0と判明する東日本大震災がこの日午後2時46分、日本を襲った。
大きな揺れで東電は「第3非常態勢」に入り、本店2階に対策本部が設置されている。福島第1原発の1、2、3号機の原子炉は自動停止し、福島第2原発の職員から午後3時23分に「津波を目視した」との報告が入る。武藤はその7分後には本店を後にしている。
武藤は原子力・立地本部長として東電の「原子力閥」の頂点に立つ。
東電には勝俣恒久会長(71)と清水正孝社長(66)のほか、6人いる副社長の計8人も代表権のある取締役がおり、その1人だ。 東京大学工学部原子力工学科を卒業し、1974年に東電に入り、以来、社内で「原子力村」と呼ばれる原子力部門を一貫して歩んできた。
福島第1原発の技術部長をつとめた経験もある。
2010年に副社長(原子力・立地本部長)に赴き、名実ともに「原子力村」の村長となった。
津波で非常用ディーゼル発電機が故障したことが判明したのは、武藤が現地に向かった後の午後3時41分だった。それまで原子炉の自動停止にホッとしていた対策本部に一気に緊張が走る。
「電源が失われると、このままではメルトダウンが進む」
幹部の1人はそのときをそう振り返る。すべての幹部が危機感を共有した。
対策本部のメンバーでない者さえ、週末の予定をキャンセルしている。
[短すぎたケーブル]
武藤は午後6時半に現地に着き、その日のうちに福島第1原発から5キロ離れたところにある緊急時の対応拠点「オフサイトセンター」で指揮をとり始めた。
電源の復旧が先決だ。
午後10時過ぎに電源車が到着し、本店の対策本部に安堵の声が広がったのもつかの間、事態は暗転する。 武藤は会見で「つなぐところが冠水したため」と釈明したが、正確ではない。
事実は「ケーブルが短くて使えなかった。プラグも合わなくて」(東電中堅)。
現地から「500メートルのケーブルが必要だ」と連絡が入ったが、そんな長いものは社内を探しても見つからない。
電源が失われ、格納容器の圧力が高まってゆく。翌12日午前2時半、1号機の格納容器内の圧力が最高使用圧力の2倍に達した。ところが、その3時間後に圧力は突如低下傾向を示した。
つまり外部に放射性物質が漏れたのだ。東電は午前5時14分、外部に放射性物質が漏洩したと判断した。
管直人首相が福島第1原発を訪れたのは、そんな緊迫した状況のさなかだった。
武藤は20分間、首相に対応している。管のパフォーマンスに付き合わされた格好だが、武藤がここで深刻な状況を打ち明けた形跡はない。
管は帰京後、官邸であった緊急災害対策本部の会合で「現地の責任者や業者の皆さんと話をしてきました」と述べ、官邸の危機感はまだ乏しかった点からも、それはうかがえる。
[海水注入に激しく抵抗]
武藤が管と面談する約1時間前から、1号機では消防車を使って濾過水タンクから消火系ラインを用いた注水が始まっていた。しかし原子炉の水位は下がっていき、午前7時半には水面から燃料棒が最大10センチ露出した。午前3時前までに濾過水タンクから8万リットルを注水したが、8万リットルを注水したが、足りない。
午後3時36分、ついに1号機で爆発が起きた。
もっと早い段階で海水を注入して冷ますという手はあったはずだか、東電は及び腰だった。
現地の最高司令官だった武藤は海水注入をいつ決断したか記者会見で再三再四問われても「手元に資料がございませんので」「時系列を確認しないと」と言を左右にして決して明らかにしない。東電が1号機で海水を注入するのは、12日午前8時20分だった。
その2時間以上も前に管首相が海水注入を指示していた、と週間朝日は書いている。
東電は30日の会見で、勝俣会長が初めて「廃炉」について言及したが、当初は管が11日のうちに海水注入を支持したのに、東電が「炉が使えなくなる」と激しく抵抗した、と産経新聞は報じている。
経済産業省の幹部の1人はこの報道と同様の見方を示し、「東電が海水注入に躊躇した」と指摘する。ある自治体首脳は「東電は自分では決断できないのです」と言って、こんな話をしてくれた。
彼が16日ごろ東電の企画部門の元幹部に、廃炉を前提に海水注入すべきだったと言ったところ、「株主代表訴訟を起こされるリスクがあるので、民間企業としては決断できない。政府の命令という形にしてくれないと動けない」と言ったというのである。
12日に管や海江田万里経産相が東電に海水注入を命じ、まるでお墨付きを得たかのように東電が海水を注入し始めたのは、こうした傍証と符合する。
=============================================
※転載者注//
株主代表訴訟云々のが経営サイドから出てきたときは眉に唾つけて聞くこと。
この文章からは武藤は法人の代表取締役(副社長であるが)であり、しかも原発についての専門知識を持っており、最悪の場合には原子炉の暴走で、廃炉費用など比較にならない程に多額の賠償責任を法人が負う可能性があったにも係わらず、それを躊躇したことが読み取れるが、これも「株主代表訴訟」の対象となり得る。
より多額の損失を負う可能性が少なからずあったのであるから、どちらに転んでも訴訟の対象となる。
またそれ以前に「善良たる管理者としての注意義務」(善管注意義務違反)を犯していたことは明確。
=============================================
[経済的損失を懸念か]
1号機で海水注入を始めた際に、2、3号機でも同様の措置を講じていれば、相次ぐ爆発を防げたと考えられるが、武藤はそう決断しなかった。彼が海水注入をいやがったのは、おそらく原発の廃炉による経済損失を忌避したからだろう。
彼は記者会見でこう本音を漏らしたことがある。
「海水を注入すると腐食などさまざまな問題を引き起こします」海水を入れると、腐食の恐れやたまった塩分で再稼動は困難になる。 原発1基あたり新設に3千億円、廃炉に1千億円超の合計4千億円超もかかる。迷惑施設の原発の新設を受け入れてくれそうな自治体を見つけるのも、不可能に近い。
勝俣は記者会見で「東電による人災」という見方「私自身はまずさというのを感じられませんでした」と否定し、こう言った。
「(意思決定の)遅さは私自身は感じていません」
[以下省略]
-----------------------------------------------------------
[コメント]
週間ダイヤモンドや週間東洋経済の特集にもあるとおり、武藤が原子力村の事実上のドンであることはまず間違いがない。
しかしなぜか大手マスコミは正面から攻撃しない。
AERAの記事によれば、武藤は何かと話題の電気事業連合会(電事連)に出向していた事や、使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出す「核燃料サイクル」の撤退に強くに反対しているとされている。
記事では「・・・3千億円強ある経産省のエネルギー対策特別会計・電源開発促進感情の配分も「そういう世界のトップは武藤さんです」と、この官僚は打ち明ける。・・・」とされており、それも関係があるのだろうか。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 原発・フッ素9掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。