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http://jp.wsj.com/Japan/node_224237
福島原発避難区域の浪江町で捜索活動
http://jp.wsj.com/Japan/node_224326
不気味な静けさに満ちた原発の町
【双葉町(福島県)】コインランドリーの乾燥機の中には、オレンジ色のスエットシャツと緑の作業ベスト、ジーンズ2本が残されており、湿ってカビ臭を放っている。
110418futaba.jpg Ko Sasaki for The Wall Street Journal
駅近くのレストランには、ベーコンとナスのトマトクリームパスタをはじめとするランチメニューが掲げられている。洋品店の入り口のドアには5日間の「在庫処分」セールを宣伝するチラシが貼られている。町の中心を貫く道路上には、白地に青い文字で「原子力 正しい理解で豊かなくらし」と書かれた大きな看板が掲げられている。
だが、福島第1原子力発電所からわずか数キロメートルに位置するこの町では人々の生活がおおむね失われている。
かつて7000人が暮らしていた福島県双葉郡双葉町は、3月11日の震災で福島第1原発で事故が発生して以来、退避を余儀なくされている8つの町のうちの1つ。事故発生後の数日間に避難した原発から半径20キロ圏内の住民は数万人に上る。日本政府は4月11日、原発から20キロ圏外の一部地域を新たに「計画的避難区域」に指定した。
東京電力は17日、事故収束に向けた作業工程を発表し、6−9カ月で原子炉内の圧力と温度を安全な水準にまで低下させ「冷温停止状態」にもっていくことを目指すとした。海江田万里・経済産業相は、冷温停止状態になれば避難者の一部は帰宅できる可能性があるとしながらも、全員帰宅は困難であることを認めた。
一方、双葉町の井戸川克隆町長は町に帰れたとしても「何年も先」になると述べた。東京電力は15日、原発から半径30キロ圏内の避難・屋内退避区域の住民を対象に、1世帯当たり100万円、単身世帯は75万円の補償金を仮払いすると発表した。だが、避難者の一部は金額は不十分であり、一時的なご機嫌取りに過ぎないとしている。
避難区域を東西に走る国道6号線には、警察によって通行規制が敷かれている。原発から半径20キロ圏内については退避指示が出され、20キロ〜30キロ圏内の住民に対しては屋内退避が指示されている。退避指示区域ではパトカーや救急車、消防車が時々巡回を行っている。退避指示区域への立ち入りは、違法ではないものの、控えるよう強く要請されている。
通りを歩いていた一人の記者に消防隊員が、何をしているんですか、と尋ねた。助手席に座った別の消防隊員の手には放射線モニターが見える。消防隊員は、ここは立ち入り禁止区域であり危険なため、すぐに立ち去るようにと指示した。
なかには双葉町には二度と戻れない可能性もあるとの認識から、自分たちの荷物を取りに戻るため、通行規制をかいくぐり、狭い裏道から区域に侵入している地元住民もいる。
14日、一人の女性が美しい伝統的な日本家屋に慌ただしく出入りしていた。その女性は自らを「高崎」と名乗っていた。高崎さんによると、一家は現在約100キロほど内陸にある福島市の親戚の家に身を寄せているが、30分でできる限り多くの荷物を持ち出そうと、夫と娘、義理の父で双葉町の自宅に戻ってきた。
高崎さんは透明の雨合羽に身を包み、フェースマスクとサングラスを着用していた。靴は透明なビニール袋で覆われ、足首の周りはテープで留められていた。
とても急いでいる、と高崎さんは洋服の入ったケースを自動車のトランクに積み込み、腕いっぱいに抱えた冬用のコートを別の見知らぬ人物に手渡しながら言い、それでもここに戻ってくるのは恐らくこれが最後になるため、持ち出さなければならないものがあるのだと述べた。
私道に大型のスポーツタイプ多目的車(SUV)が止まった。中には高崎さんの夫と娘が乗っていた。二人は金庫を取りに親戚の家に立ち寄っていたという。二人は急いで自宅から洋服を持ち出した。それが済むと、靴を覆っていたビニール袋と雨合羽を私道に置いてあった手押し車に脱ぎ捨てた。そして前のドアをロックせずにそのまま走り去った。
原子炉の冷却作業が終息しない限り、退避指示区域の放射線レベルや被害状況がどの程度になるかは明確には分からない。日本の当局は、現在までのところ放出された放射性物質の量は数十万テラベクレルに上るとしている。これは、1986年に発生したソ連のチェルノブイリ原発事故で放出された放射性物質の量の約10分の1に相当する。
主に漏出した放射性物質はヨウ素131で、8日で放射線量は半分になるため、数カ月たてば放射線量はかなり減少する。だが、国際原子力機関(IAEA)は、福島第1原発から約40キロに位置する福島県相馬郡飯舘村では、半減期が30年に及ぶセシウム137に関して、許容範囲を超える量が検出されたことを明らかにした。
双葉町の一部地域では、放射線の被ばく量を測定する線量計が1時間当たり10マイクロシーベルトを示していた。この量の放射線を1年浴び続ければ、防災業務に従事する原子炉作業員や警察官、消防隊員の最大許容被ばく量の2倍近くに達することになる。これだけの放射線量が検出されたとなると、双葉町の農家にとって米や野菜、花の栽培を再開するのは難しい可能性がある。
双葉町周辺地域には荒廃と絶望感が漂っていた。双葉町と同じく福島第1原発の一部が立地する大熊町では、さらに高い放射線量が検出された。そこでは、避難した家畜農家が残した牛が痩せ細った状態で通りをふらふらと歩いていた。ある納屋の中では、少なくとも5頭の牛が柵に鎖でつながれたまま死んでいた。母牛の隣で死んでいる子牛の姿も見られた。
住民の帰宅時期が大きな問題となりつつあるなか、双葉町や大熊町をはじめとする原発周辺地域の状況は今や政治問題にまで発展している。13日、菅直人首相の側近の一人が、菅首相が「福島第1原発周辺は10年、20年は住めない」と語ったと発言した。その後、菅首相はそれを否定し、同側近は発言を撤回した。
だが、この発言に対し、福島県当局は、ただでさえ萎縮している避難者の気持ちに追い打ちをかけかねないとして怒りをあらわにした。側近の発言をめぐる議論は、一部で菅首相の退陣を求める声にまで発展している。
原発から数キロに位置する町は荒涼とし、絶望的な雰囲気に満ちている。福島第1原発から約16キロ南に位置する楢葉町では、スズキ・エイコさん(80)とヨシオさん(48)が政府から避難指示が出ているにもかかわらず依然自宅にとどまっていた。エイコさんは糖尿病を患っており、震災直前に膀胱の一部を取り除く手術を行って以来おむつを着用しているため避難所では暮らせないと話す。ヨシオさんもてんかんを持っており、避難所暮らしで症状が悪化することを恐れている。
外に設置されたプロパンガスのタンク1本が彼らにとって残された唯一の燃料だが、それもなくなりつつある。食料品店は閉鎖され、近隣住民も全員避難してしまっていることから、家族の家で見つけた米やみそ、缶詰めの魚などで食いつないでいるという。
ヨシオさんは「放射能がなくなったら、みんな戻ってくると思う」と述べた。二人は部屋の隅に置かれた小さなテレビで震災のニュースを見ながら日々過ごしている。ヨシオさんは、原発はここの住民の重荷であり、破壊すべきだと腹立たしげに述べた。
楢葉町議会副議長の山内左内氏は、二人に避難を促したが拒否されたと述べた。避難指示が出されてから数週間、自衛隊員と共に定期的にスズキさん宅を訪れ、食べ物や水を届けていたという。だが、ここ5日は彼らの訪問は途絶えている。
エイコさんは「ここに残るのが間違っているんだってことは自分でも思っている。でも、どこで死ぬのも同じだ」と述べた。
記者: Daisuke Wakabayashi
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