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今のチェルノブイリを歩いてみた “レベル7”から25年、観光地化した惨劇の地
2011年4月18日 月曜日
大竹 剛
福岡第一原子力発電所 石棺 レベル7 チェルノブイリ 放射線 ウクライナ ガイガーカウンター
福島原発事故の国際評価尺度が「レベル7」に引き上げられた。これで福島原発事故はその深刻さにおいて、これまで史上最悪とされてきたチェルノブイリ原発事故と並んだことになる。
4月26日、チェルノブイリ原発事故は25周年を迎える。その1月前の3月26日、事故から25年が過ぎたチェルノブイリをこの目で見ようとウクライナを訪れた。そこには、今も事故の記憶を抱えながら原発と共存していかなければならない、苦悩する人々の姿があった。
観光バスで行くチェルノブイリツアー
ウクライナの首都キエフを訪れる観光客の間で、ここ数年、ちょっとした人気を集めている観光ツアーがある。チェルノブイリ原発の事故現場を訪れる日帰りツアーだ。キエフからバスに揺られること約2時間半。原発施設内の食堂で食べるランチ込みで150〜160ドルという手軽さが受けている。
記者が訪れた日も、欧州各国から訪れた外国人観光客を中心に45人が2台のバスに分乗して、爆発を起こしたチェルノブイリ原発4号炉を目指した。雪が降る中、集合場所のホテル前に停車した車内で1時間ほど待たされ、バスが動き始めた時には歓声が上がった。
車内に流れるビデオ映像には、白い防護服を着た男性2人が、放射線量を測定するガイガーカウンターを片手に、おどけながら事故現場を案内する姿が映し出されていた。その後には、事故の深刻さを伝える当時の映像を使った検証ビデオも放映された。このコントラストは、現場の復旧ぶりをアピールするための演出なのだろう。
ガイガーカウンターが売り切れ続出
チェルノブイリ原発の事故現場を訪れるにあたり、やはり気になるのが放射線だ。
事故現場を管理するウクライナ非常事態省のゲナーディ・ボブロー副局長は、「滞在時間やルートは限られているので安全だ。1日のツアーで浴びる放射線量は、せいぜい3マイクロシーベルト」と説明するが、やはりこの目で確認したい。そこで、放射線量を測定するガイガーカウンターをツアー会社に事前に発注し、バスに乗る前に受け取る約束をしていた。ところが、用意されていなかった。
担当者に聞けば、サプライヤーに頼んでも、あと1週間は手に入らないほど品薄状態が続いているとのことだ。福島原発事故の後、在庫のほとんどが日本向けに出荷されているのだという。
いつもなら、ガイガーカウンターはホームセンターで手に入るほど、ここキエフでは一般的な商品のようだ。あるキエフ在住の女性は、最近、部屋の模様替えで新たな棚を購入した際、そこで使われている木材が放射能に汚染されていないか、ガイガーカウンターで測定したという。チェルノブイリ原発事故の教訓から、キエフでは放射能の危険から身を守ろうと、自宅にガイガーカウンターを常備している市民も少なくないという。
現場まで18キロメートル、東京の放射線量とほぼ同じ
仕方がないので、ガイガーカウンターは現地に到着した時に借りることにした。
キエフ市内を出発してから約2時間、4号炉から30キロメートルの地点に到着した。ここから先は現在も立ち入り禁止区域に指定され、一般市民の居住は許されていない。つまり、先に進むには政府の許可が必要だ。といっても複雑な手続きは必要なく、事前に旅行会社に伝えておいたパスポート情報と照らして、本人確認を受けるだけで済む。
昨年12月、政府はこうした観光ツアーを正式に許可した。それまでは、研究者やジャーナリスト、カメラマンなどにしか許可を与えていなかったが、既になし崩し的に観光ツアーが組まれるようになっており、事実上、政府が追認した格好だ。
その後、事故現場から18キロメートル地点にあるガイドの詰め所に立ち寄り、これから始まるツアーの説明を受けた。ここで手渡されたガイガーカウンターで、放射線量を測定してみた。その値は毎時0.12マイクロシーベルト(屋外)。ちょうどその日、東京都で測定された放射線量とほぼ同じだった(東京都健康安全研究センター調べ)。
そして10キロメートル地点。ここで再び車両のチェックを受ける。事故現場への立ち入りが、いかに厳しく監視されているかが分かる。バスから降りることも写真撮影も許されない。バスの中で放射線量を測定すると、18キロメートル地点とほとんど変わらなかった。
4号炉から300メートル、毎時3.5マイクロシーベルト
爆発したチェルノブイリ原発4号炉から約300メートルの距離まで近づける
10キロメートル地点を過ぎると、徐々に放射線量は上昇したが、場所によって大きな差があった。例えば、既に廃炉となっている1号炉付近の道路では毎時1.6マイクロシーベルト(車内)だったが、建設を途中で止めた5号炉付近では毎時0.29マイクロシーベルト(車内)。その5号炉が窓越しに見える原発施設内の食堂では毎時0.16マイクロシーベルト(屋内)である。
最も数値が高かったのが、事故後に放射性物質に汚染されて木々の葉が赤く染まったという「赤い森(レッドフォレスト)」で、ここでは毎時15.5マイクロシーベルト(車内)を記録した。赤い森をバスで通過した時、車内にガイガーカウンターの警報音が鳴り響いた。さすがにこの時ばかりは、多くの観光客の表情に緊張が走った。「大丈夫だと分かっていても、いい気はしない」と、乗客の1人はそうつぶやいた。
そして爆発を起こした4号炉。防護服を着ることもなくバスを降りて、普段着のままカメラ片手に、事故現場から約300メートルの地点まで近づくことができる。ガイガーカウンターの数値を確認すると、300メートル地点で毎時3.5マイクロシーベルトだった。
現在、4号炉は放射線を遮蔽するために、コンクリートなどを使った「石棺」と呼ばれるシェルターで覆われている。この石棺は老朽化しており、ウクライナ政府は100年耐え得る巨大なシェルターを新たに建設する予定で、既に基礎工事を始めている。
廃墟の学校に散乱する子供用ガスマスク
4号炉から約3キロメートル地点にある廃墟の町。小学校には子供用ガスマスクが散乱していた
4号炉を後にして3キロメートルほど離れたところにある町を訪れた。「ゴーストタウン」とも呼ばれ、事故発生から48時間以内に約5万人の住人が避難して廃墟となったプリピャチである。石棺に覆われ記念碑も立つ4号炉より、むしろ、当時の生活が思い起こされるこの町の方が、残酷な事故の記憶を残していた。
中央広場の周りには、旧ソ連時代に典型的だった画一的な団地が立ち並んでいた。窓ガラスは割れ、壁は朽ち果てている。小学校に足を踏み入れると、破れた教科書や壊れたピアノが残されたままだ。放射能から生徒を守るために持ち込まれたものであろう、教室の片隅に散乱している大量の子供用ガスマスクが、事故の悪夢を今に伝えている。
広場の中心で放射線量を測定すると毎時2.2マイクロシーベルト。しかし、ガイガーカウンターを地表の裂け目に茂った苔の上に近づけてみると、毎時8.8マイクロシーベルトまで上昇した。放射性物質が、今もこの土地を汚染し続けているのだ。
廃墟の町を最後に、チェルノブイリツアーは帰路についた。事故現場を後にする時、観光客は1人ずつ、放射能に汚染されていないか専用の機械で全身を検査される。バスもまた、検問を通過する際には、車体やタイヤが放射能に汚染されていないか、入念なチェックを受ける。放射能に汚染された物質を、管理地域外に持ち出さないためだ。
ガイドの詰め所でガイガーカウンターを返却するまで約5時間、この間に浴びた放射線量は合計2マイクロシーベルトだった。
チェルノブイリは現代の「ポンペイ」
「まるで現代のポンペイだな」。ツアーに居合わせたドイツ週刊誌のジャーナリストは、廃墟となった町を見た時、そう言葉を漏らした。大噴火によって地中に埋もれたイタリアの古代都市になぞらえたものだ。地中から発掘された廃墟は、今では世界遺産として世界中から観光客を集めている。
チェルノブイリもポンペイのように、今後、観光名所として知られていくのだろうか。2012年にはウクライナとポーランドの共催で、サッカーの欧州選手権が実施される。キエフを訪れた観戦客を相手に、チェルノブイリツアーが今以上に多く組まれることになるかもしれない。
ウクライナ非常事態省のボブロー副局長は、「観光というより、教育的な観点から事故の教訓を学び取ってほしい」と話す。
実は、事故を起こした4号炉で建設が始まっている新たなシェルターには、16億ユーロ(約1950億円)の資金が必要となる。だが、いまだに6億ユーロ(約730億円)が不足している。
ウクライナ政府は4月19日からキエフで開催する事故後25周年を記念する国際会議で、欧州諸国を中心に国際社会から足りない資金を募る計画だ。事故現場への観光を許可する背景には、チェルノブイリの悲劇が忘れ去られないように、国際社会にアピールし続けたいという思惑もあるのだろう。
25年後のフクシマは……
だが、大惨事となった原発事故の現場に観光ツアーが行くことについては、否定的な意見も多い。
従妹を白血病で亡くしたある女性は、「ウクライナ人の心情として、観光でチェルノブイリに行くことはあり得ない」と話す。彼女は、従妹の死は放射能と関係があるのではないかと考えている。
原発反対を唱えるNGO(非政府組織)のドミトロ・フマラ氏は、「30キロメートル圏内の正確な地図はなく、どこに放射能に汚染された物質が埋まっているかもよく分からない」と疑いの目を向ける。フマラ氏は幼少期に、チェルノブイリ事故で放射能を浴びた被曝者でもある。
チェルノブイリ原発事故では、25年を経た今でも、市民の不安は解消されていない。それでも政府は、事故現場を観光地化してまで、負の遺産の処理に取り組まなければならない。それは、チェルノブイリ原発事故、言い換えれば「レベル7」という事態の深刻さを物語るものだ。
25年後のフクシマを、現在のチェルノブイリのような状況にしてはならない。
日経ビジネス4月18日号のスペシャルレポート「観光地化するチェルノブイリ 原発と生きる苦悩」も併せてお読みください。
■変更履歴
3ページ最初の小見出し、「チャルノブイリ」は「チェルノブイリ」の誤りでした。お詫びして訂正します。本文は修正済みです [2011/04/18 13:20]
このコラムについて
大竹剛のロンドン万華鏡
ギリシア危機を発端に、一時はユーロ崩壊まで囁かれた欧州ですが、ここにあるのは暗い話ばかりではありません。ミクロの視点で見れば、ベンチャーから大企業まで急成長中の事業は数多くあるし、マクロで見ても欧州統合という壮大な実験はまだ終わっていません。このコラムでは、ロンドンを拠点に欧州各地、時にはその周辺まで足を延ばして、万華鏡をのぞくように色々な角度から現地ならではの話に光を当てていきます。
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