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http://www.47news.jp/47topics/e/205232.php
無人の町の桜は満開だった。飢えた牛や犬が、餌を求めて追いすがるように車に寄ってくる。福島第1原発から約3キロの「原発の地元町」双葉町に14日入り、すべての住民が避難してから1カ月余の光景を見た。
取材団の車は原発から40キロほど離れた福島県田村市の中心部で、案内役の双葉町民の男性を乗せて出発。県道を北上、葛尾(かつらお)村から浪江町(なみえちょう)に入り、国道114号を南東へと下った。途中、家に一時引き返す双葉町民とみられる一般車両を時折見かけた。
原発から20キロほどの地点で、後ろから来たパトカーが「この先の道は非常に危険、注意してください」とマイクで警告して追い抜いていった。その後も警察車両とは何度もすれ違う。
確かに20キロ圏内に入ると、至る所で道路が陥没している。右へ左へ陥没を避けながら進んだ。
双葉町に入ると、石熊地区で、飼い主が牛舎から逃がしたとみられる牛と出会う。こげ茶色の毛並みのやせた牛が20頭ほど畑の上を歩いていた。
飼われていたらしい何匹もの犬の姿も見た。驚いたのは黒い毛並みの大型犬が車に走り寄り、ドアを開けると同時に飛び込んできたときだった。見知らぬ犬に車中へ飛び込まれたことなど初めてだ。
よほど腹をすかせているのだろう。弁当を与えると、がつがつとむさぼるように食べた。
民家の庭の赤い風車(かざぐるま)がくるくると回っていた。「交通安全」と書かれた旗が南からのやや強い風を受けてはためく。風上は明らかに原発の方角だった。
ここまで計測を続けてきた放射線量は原発から約3・5キロの双葉町山田付近の車内で毎時80マイクロシーベルトと最高値を記録した。車外なら少なくとも100マイクロシーベルト以上だったろう。事前調査で予測していた数値よりかなり高かった。
これまでに双葉町入りしたフリージャーナリストらからは、3月13日に双葉厚生病院前で毎時千マイクロシーベルト以上を記録した後、双葉町内の放射線量は低下傾向にあり、3月27日には毎時100マイクロシーベルトを超える地点は無かったと聞いていた。放射線量は風など気候条件に大きく左右される。
晴天のこの日、双葉町の最高気温は20度以上あったはずだ。放射線防護のため、ヘルメット、ゴーグル、マスク、厚手のレインコートなどで全身を覆っていると、たまらなく暑い。全身汗だくになる。これから夏に向け、福島第1原発で必死の作業を続ける人々は、この暑さとも戦うことになることを知った。
「汗は強くぬぐうんじゃないよ。放射性物質を肌に染み込ませちゃうから。そっとタオルでふくんだ」。原発で数十年働いていたことを車中で打ち明けた同乗の地元男性に教えられた。
町中心部も道路はあちこちが陥没しており、何度か通行不能で引き返した。完全に倒壊した家もあった。海水浴場がある双葉海浜公園周辺には、津波によるがれきが残っていた。付近の住民に行方不明者がいるため、遺体が埋まっている可能性もあるという。「原子力明るい未来のエネルギー」と書かれたアーケード下の路上には犬の死体があった。
それでも、ほとんどすべてが破壊された三陸地方の風景と比べれば、地震や津波の被害はまだ小さい方だ。だが、ここには、人の姿が全くない。時が止まったような町の姿だった。(共同通信編集委員 石山永一郎)
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