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福島原発事故レベル7は日本の「敗戦」。 我々はいまその現実を直視しなくてはならない(週刊・上杉隆|ダイヤモンド・オンライン)
http://diamond.jp/articles/-/11888
発生直後から指摘されていた
「レベル6」の可能性
ようやく日本政府がレベル7を認めた。だが、残念ながら遅すぎた、あまりに遅すぎたのだ。その「敗戦」を認めるのが――。
少なくとも今回の事故が、その発生直後から、レベル6の事故に発展する可能性のあることは一貫して指摘されてきた。
筆者自身は原子炉に詳しくない。だが、原子炉の構造や過去の同種の事故を知っている者に直接取材をし、そのほとんど全員が、当初から口を揃えてそのように指摘していたことで、この事故が政府や東電、さらには大手マスコミなどの言うような軽い事象では済まされないことに気づいたのである。
私はすぐに取材を開始した。と同時に日本人として、この事実を広めなくてはと決心したのだ。
本コラムやラジオあるいはツイッターなどで私の発言を知っている方々はご理解いただけるだろうが、結果として私の役割は、「最悪の事態(レベル7)」にならないために、政府や東電に直接訴えかけること、さらには彼らの隠している情報を暴き、住民や国民に提供することにあった。
ちなみに、3月16日の午後の取材メモにはこう記されている。
【再臨界の可能性。1号機、3号機の建屋爆発は重大事態。原子炉、冷却できず、燃料棒のメルトダウン。格納容器? 絶対的に壊れないというのは嘘? 3号機、MOX燃料。ヨウ素、セシウムが検出されれば、普通にプルトニウムも放出されている? 作業員への健康チェック。最低30キロ圏外への住民避難。妊婦、赤ちゃん、思春期前のこども、緊急避難が不可欠。最悪の場合 チェルノブイリ化(石棺?)も】
正直に告白すれば、この時点での私はまだ原子炉についての知識を持ち合わせていなかった。そのためか、このメモにも、原子力の専門用語に疎い部分が窺える。
しかしその後、朝から晩まで取材を続けたり資料を読み込むことで、徐々に理論武装ができてくる。
そのうち、私は取材をしながらも、直接的にこうした危険性について、政府、東電に訴えかける必要のあることに気づいた。しかもそれは急務であるように思えた。
一方で、それはひどく困難な仕事になることも容易に想像が付いた。
なぜなら、3号機の建屋が吹き飛んだ15日、「米国とフランスの新聞がそれぞれメルトダウンの可能性に触れている」とラジオなどで発言しただけで、想像を超える大量の批判が私のツイッターに寄せられていたからだ。
異論は排除され、多様な言論が
併存できない未熟な言論空間
これを続けるとどうなるのか。不安がなかったといえば嘘になる。
それでは、テレビや新聞に登場して安全地帯からものを言っている御用学者や御用評論家のように根拠の無い「安全デマ」を飛ばせばいいのだろうか。実は、日本において、それはとても簡単な選択だ。
しかしながら、私はそうすることができなかった。なにしろ、自分自身に嘘をつくわけにはいかないのだ。では、仮に、私の指摘がすべて間違いになったらどうなるのか。
それはそれで日本にとっては良いことである。作業員の安全が守られ、地域住民は再び自分たちの家に戻り、普通の生活ができる。その可能性は薄そうだったが、それでも日本人である私にとってもそれは最良のシナリオであった。
そして私自身は、嘲笑の対象になり、世に晒され、想像を絶する非難を受けることになるだろう。なにしろ日本の言論社会ほど未熟な場所はない。記者クラブ制度によって異論は排除され、多様な言論が存在する場が完全に失われている。よって私は覚悟を決める必要があった。
その結果、ジャーナリストという肩書きは失われるであろうし、おそらく日本の言論界から永遠に追放されることにもなるだろう。
だが、それだけで済むことだ。命まで奪われることはない。
むしろ命を奪われそうなのは何も知らされず作業に当たっている現場の作業員や地域住民の方だ。私はすぐに覚悟を決めた。
こうして政府、東電への取材を開始しながら情報を発信することを始めたのだ。
「最悪のシナリオ」を明らかにし、
それをいかにして止めるか
そうした中で、きわめて残念ながら、現実は大手メディアの言うような「最良のシナリオ」――(そもそも情報分析の前提が違っているので「最良」というものがなかったのだが)――にはならないことがわかった。たとえば、1号機、3号機の建屋の爆発時から、その危険性がなくなったことはただの一度もない。にもかかわらず、政府やテレビは「安全」と「安心」を繰り返していた。
この一ヶ月間、私が訴え続けてきたのは「最悪のシナリオ」に進行する可能性を突き止め、それをいかにして止めるかという一点に尽きる。
だから、メルトダウンが始まっている可能性、格納容器が破損している可能性、猛毒プルトニウムが放出されている可能性、海洋汚染の始まっている可能性、避難地域外にも放射性物質が飛来している可能性、東京にも飛んでくる可能性を指摘してきたのだ。
これらの指摘は残念ながら、結果としてすべて正しかった。これは結果論で言っているのでもないし、また、自身の指摘の正しさを誇るつもりで書いているわけでもない。
もはやレベル7を政府が認めた現在、私の役割は終わった。
その結果残ったのは、私自身の無力感と大手メディアによる「上杉隆」という存在の徹底した無視である。しかも、この結果が出ていても「いい加減なデマを飛ばした」「根拠無く煽っている」というレッテルを貼られている。
耳を疑うような「安全デマ」を、繰り返しテレビや新聞、ネットなどで述べ続けた御用学者や御用評論家たちは健在であるのにもかかわらず、である。
日本にフェアな言論空間が育つ可能性は薄いのだろう。国民は嘘に踊らされ、現実を直視できずに洗脳される方が楽なのだ。国民は仕方ない。問題は、大手メディアやそこに登場する発言者たちである。
取材の「現場」を踏まず、
偽情報に踊らされる人々
本来、真実を伝えるべき仕事をする者たちが、次々と政府・東電のプロパガンダに騙されたのには理由がある。
ひとつは、記者クラブ制度に洗脳された日本の言論空間が、不幸なことに機能してしまったこと。
もうひとつは、それと関係するのだが、テレビや新聞などで発言する評論家やコメンテーターやジャーナリストほど、現場に来ないために、東電や政府の偽情報に踊らされてしまう傾向が強いという現実だ。
原子力事故の取材現場は二つある。
ひとつはもちろん、事故現場である福島第一原子力発電所だ。だが、その取材には大きな制約がある。人間である以上、誰一人、原子炉の中を見ることはできないことからわかる通り、確実な死を覚悟しない限り、本当の現場にはいけないからだ。
もうひとつは情報の集まる東京電力や原子力・保安院、そして政府への現場取材である。換言すれば記者会見など情報現場への取材である。
だが、東京の目と鼻の先で行なわれている記者会見ですら、ニュースキャスターや御用学者、御用評論家、ITジャーナリストたちは足を運ぶことはなかった。
「大本営発表」を終わらせて
世界各国の力を借りるべき時
レベル7になった現在、日本がすべきことは限られている。
米国にいる私のもとには、日本から次々と情報が入ってくる。楽観的なものはひとつもない。それぞれの現場には相当の緊張が求められていることだろう。
福島第一原発の原子炉設計者とは毎日電話をしている。この一ヶ月間、連絡を欠かさなかった東電協力会社の作業員とも話している。総務委員会、法務委員会所属の国会議員とも連絡を取り続けている。民主党幹部、大臣クラスの政治家とも可能な限り情報を交換するようにしている。
その結果、いまできることは世界との情報の共有であり、本コラムでも提案した「国際緊急チーム」による事故対応に尽きる。
菅首相や枝野官房長官を筆頭として、政府は結果として、東電の情報隠蔽に協力し、国民を欺いてきた。
また、民放テレビを中心に大手メディアも、その「大本営発表」にまんまと乗っかり、誤った自説にこだわることで嘘をつき続けてきた。
また、インターネットの世界でも、ITジャーナリストの佐々木俊尚氏を筆頭に、どの現場取材も行なわないネット有名人たちがいまなお同じ過ちを繰り返している。
いまの未熟な日本の言論社会ではそうした人々に、ただちに、批判の矛先が突きつけられることはない。その代わり、将来、彼らは歴史に断罪されるだろう。
断罪は今ではない。いつか、この事故を、日本人が冷静に振り返ることができるようになったそのときに初めて行なわれるはずだ。
あるいはそれはまた、70年ほどかかるのかもしれないし、もしかして永久にできないのかもしれない。
だが、そんなことはもはやどうでもいい。レベル7は日本にとっての「敗戦」なのである。私たちは、いまその現実を直視しなくてはならない。
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