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河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
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放射能という“目に見えない恐怖”がもたらすストレスの脅威 市民が知りたい情報を伝えられないメディアの責任
2011年4月14日 木曜日
河合 薫
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「はっきり言って、もう放射能のおかげで家族崩壊です。ストレスでおかしくなりそうですよ」
こう切り出したのは、大手商社に勤める大学時代の知人の男性である。
「被災している方のことを考えると、こんな不満はささいなものだと非難されるかもしれませんが」と彼は前置きしたうえで、次のように語った。
「私には来月に5歳になる息子と、2歳半の娘がいます。娘は未熟児だったんで、いまだに同じ年の子供よりも体が小さい。だから妻は余計に、神経質になってしまいまして。水は買い占めるわ、大変でした。換気扇も絶対に回しません。息子も2時間以上は外出させないので、サッカーの練習にしても、終わっていなくても2時間たつと強制的にやめさせるんです」
「僕は正直、やりすぎじゃないかって思うんです。息子だって、周りの子供たちはまだ練習しているのに、なぜ自分だけ帰らされるか分からない。子供なりに戸惑っている。でも、妻は『この子のことを守れるのは、私しかいない。周りから何と言われてもいいの』と一点張りで、何か僕が言おうものなら、たちまちけんかになってしまうんです」
あからさまにトーンダウンした放射能に関する報道
実は、この話を知人から聞いたのは、先週の金曜日(4月8日)のことである。
先週といえば、原発事故の発生当初は過剰なまでに恐怖心をあおり立て、その後は手の平を返したように、「大丈夫。問題ない」という言葉を繰り返したメディアが、放射能に関する報道熱をあからさまにトーンダウンさせていた時期である。
それまでで最大の余震が襲来した木曜日の夜でさえも、「原発に異常はない」という報道を繰り返すばかりだった。
そして月曜日。震度6弱の余震が福島を襲った。その数時間前には、福島第1原子力発電所の周囲20キロの圏外で新たに「計画的避難区域」を設定すると枝野幸男官房長官が発表した矢先の出来事だった。余震の直後にも、東京電力、原子力安全・保安院の会見が立て続けに行われたが、「問題なく、冷却注水も再開されている」とのことだった。
火曜日には、チェルノブイリと同じレベル7まで引き上げるとの報道もあった。
ところが、「で、ここで暮らす私たちへの影響は? やはり問題ないのか?」という類のものは数週間前に比べると明らかに少ない。「なぜ、今さら?」「説明が足りない」といった批判は報道されてはいるが、“目に見えない脅威”そのものに関する情報は、明らかに少ない。これが報道疲れによるものなのかよく分からないが、どうにも伝える“熱”を失っているように思えてならないのだ。
原発の現在の状況は、当初やたらと言われた『最悪のシナリオ』ではないのかもしれない(何が最悪のシナリオなのか、最後まで分からなかったが)。しかし、少なくとも原発の状況は何ら改善されたわけでなければ、“放射能”という、目に見えない恐怖がなくなったわけでもないはずである。
根拠なき不安から高まるストレス
むしろ時間の経過に伴って、不安感による心理的ストレスは高まっているのではないだろうか。
地震、津波、原発、風評と4重もの被害がのしかかっている福島の方たちはもとより、「被災している方のことを考えると……」とためらいながらも、放射能という目に見えない恐怖に翻弄されている人たちがいる。
特に子供を持つ女性の見えない敵への根拠なき恐怖心は、かなり高い。世間の放射能に対するある種の“慣れ”が、余計にそういった根拠なき恐怖に苦悩する方たちのストレスを高めているようにさえ思える。
そこで、今回は、目に見えない恐怖について、考えてみようと思う。
「放射能への恐怖心って、人によって明らかに違うように思うんですよ。僕はもともと海外出張が多いということもあって、飛行機に乗ってニューヨークに行く方が被曝量が多いんだから、大丈夫だよ、ってかなり楽観的だった。でも、妻は最初からものすごい不安を感じていました」
「不安だからだと思うんですけど、妻は自分でいろいろと情報を集めるわけです。特に最初のころは海外のサイトの情報はかなりヒステリックなものだったでしょ。だから、いまだにどんなに『大丈夫』って言われたところで、全く信じない。おまけに先日も、韓国で学校が休校になりましたよね? 雨の予報が出ていて放射能が雨に混じっているからと。ああいうニュースを見ると、また、日本の情報に不信感を抱くみたいなんです」
「でも、僕みたいに楽観的に考えている人間は、『そんなに神経質にならなくて大丈夫だよ』とか、『そんなふうに心配することの方が、体に悪いよ』とか言うでしょ。するとそういう一言にものすごくイラつくみたいなんです。もう、本当に彼女の気が済むようにさせるしかないって感じですよ」
確かに彼が指摘するように、放射能という目に見えない脅威に対して「たいしたことないよ」と構える楽観派と、「本当に大丈夫なの?」と根拠なき不安におびえる悲観派に、事故の発生直後から二分していたように思う。
楽観派と悲観派の間で広がる溝
そもそも人間には、自分が思ったことを裏づける情報に目が行く性質がある。「大丈夫」と思った人は、「大丈夫だ」という情報に敏感に反応するし、「不安だ」と思った人は、不安な情報に反応する。そして、周りから「大丈夫」と言われれば言われるほど、「本当に大丈夫なのか」と、大丈夫なことを証明できる情報をとことん集めたがる。
少しばかり不謹慎な例えではあるが、「相手が浮気しているかも」と感じると、相手の携帯電話の履歴やメールをチェックしたり、お財布の中の領収書を探ったりする行為とどこか似ている。
そこに何もなければ、どんなに探してもホコリが出てこなければ、「浮気してるかも」という疑いは思い過ごしだったと確信できる。探偵に化けるのは、「シッポをつかんでやろう!」という気持ちより、「浮気なんかしていなかった」と安心したい気持ちの方が強いのだ。
だが、「浮気しているかも」と不安に思った相手を探れば探るほど、多くの場合は、『ん?』という物証が出てくる。もともと疑っているのだから、ただのレストランの領収書だって「デートした」と思えるだろうし、仕事の電話の履歴だろうと「なんで携帯に電話しているわけ」などとカチンとくる。何でもないものまで「もしや」と見えるのだから、よほど完全否定できる状態にならない限り、安心するなんてことは滅多にない。
不安な気持ちは、情報が増えれば増えるほど、余計に強まる感情なのだ。
今回の原発のケースでは、情報を集めれば集めるほど、集まってくるのは不安をかき立てる情報ばかりだった。地上波のある番組では、原発推進派と呼ばれる人たちが、「直ちに影響はありません」と繰り返し、CS(民間衛星放送)のある番組では、原発反対派の人たちが、「影響はある」と断言する。
しかも、公表される数字の単位のほとんどが、「/時」であるため、分かりづらいし、説得力に欠けてしまう。「/月」は? 「/年」は? などと、疑問ばかりが増えていく。
子供を持つ母親が特に不安に
特に子供を持つ母親にとって、“乳児には危険”という制限が出されたことは、決定的な不安材料となった。
「乳児と乳児じゃないって、きっちりと線が引けるもんじゃないでしょ?」と思う人もいれば、前述した知人のように、「うちの子供は体が小さいだけに、悪い影響があるんじゃないか」と不安をかき立てられる人もいる。
私は国際線の客室乗務員(CA)をやっている時に、「キミたちはかわいそうだね。国際線を飛んでいるということは、毎回、放射線に被曝してるってことだよ。子供は産まない方がいいね」とお客さんから言われ、非常に恐怖心をかき立てられた経験がある。
当時、私はフライトをすることで被曝量が増えることも知らなかったし、それが女性の体にどんな影響を及ぼすかということについても、全く知識がなかった。で、一時期、私たち同期の間で放射能に対する不安が蔓延したことがあった。
まだ20代前半の女性たちにとって、「子供を産まない方がいいね」という言葉は、実にショッキングな一言だったのだ。
先輩たちの中には、「子供を産む時は、1年前にはフライトを降りた方がいい」と言う方がいたり、コンコルドに乗りたくてエールフランスに転職した先輩が入社する際に「子供は生涯産まない」という誓約書を書かされたという、ウソかホントかどうか分からない噂が流れたりしたこともあって、余計に目に見えない不安に恐怖心をかき立てられた。
ところが、ある時に1万時間以上飛んで表彰された先輩CAが、妊娠していることに気づかずフライトを続け(気づいた時には6カ月目に入っていた)、無事に元気な子供を産んだ。「何だ、大丈夫なんだ〜」といった安心感が広がった。私も、「何だ〜。関係ないんじゃん」と、妙に安心したのを覚えている。
だが、すでに結婚していて子供を欲しがっていた同期はそうではなかった。中には、「やっぱり心配だから」と、CAを辞めた同期もいたほどだ。
おそらく放射能の影響に対する恐怖心の度合いは、自分に対するものというよりも、子供に対する係数で変わってくるのだと思う。
相手が目に見えない敵だけに、敵が及ぼす悪さが“直ちに”分かる症状じゃないだけに、不安感はとてつもなく募っていく。放射能に対して楽観的な人が、「そんなこと心配することの方が、体に悪いよ」などと言おうものなら、不安感に怒りが混じるようになる。
「この子を守れるのは自分しかいない。誰が何と言おうと、関係ない」――。ますます孤立感を高め、ストレスがたまっていくのである。
1979年に米スリーマイル島で起きた原発事故のストレス影響について米ピッツバーグ大学の研究者が調査した結果(AL Dougall and A Baum,“Stress Effects of Three Mile Island”)によれば、事故後1カ月間は、多くの住民がストレス症状を訴え、中でも、原子炉の近くに住む人、若い人、学童期前の子供を持つ女性で症状が深刻だったとしている。
そのストレス状態は1年後も低下せず、10年の時を経ても慢性的にストレス状態にある人が多く、小さい子供を持つ母親の中には子供の将来への影響を懸念して過度のストレス状態に陥り、虐待に走ったり、妊娠すると中絶したりする傾向が高まったと報告されている。
同じように子供を持つ女性であっても、情報に信頼を置いている人のストレス度は低かった。つまり、当局の情報発信に不信感を抱く人ほどストレス症状が悪化する傾向にあったのである。このことから、情報の信頼性と透明性が重要であると指摘している。
また、チェルノブイリのストレス影響を調査したノルウェーのNational Conference Centre of Traumatic Stressによれば、事故のあった旧ソビエトから遠く離れたノルウェーやスウェーデンに住む人々の中にも、ストレス症状が大多数に認められたとしている。
ここでもやはり女性の方が男性よりも多く、3%とわずかではあるが、非常に深刻な助けを必要とするPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状を呈する人も存在した。
加えて、スリーマイル島の時と同様に、不確実な情報の氾濫による不信感がストレス症状と関連していた。特に、保健当局間の情報の矛盾、すなわち、一方は「放射能のレベルは危険なほど高くない」とし、他方は「若干の注意が必要である」とした状況は、余計に不安感を高めたと報告している。
ということは、今の日本の状況はかなり深刻である。何と行っても、情報の矛盾はもとより、1カ月以上たった今、避難地域が拡大されたり、レベルが引き上げられたりと、訳の分からない状態になっていて、これまでの情報すべてが不確実な情報だったのか? と疑いたくなる事態に陥っているのだ。
放射能事故によるストレスは自然災害よりも深刻
一般的には、自然災害の場合には家が破壊されたり、財産を失ったり、大切な人が亡くなったりすることによる喪失感から、ストレス状態が引き起こされる。片や、放射能にかかわるストレスは、目に見えない恐怖によるものであるため、「自分ではどうすることもできない」いら立ちや、情報に対する信頼性の欠如から生じると考えられている。
従って、自然災害の場合には、時間の経過とともに、失った財産を取り戻す作業、すなわち復興が進むことで心理的ストレスが緩和される傾向が促進されることがある。
米国史上、最も壊滅的な被害をもたらしたとされるハリケーン・カトリーナのストレス調査でも、災害発生から15カ月以内で、ほとんどのストレス症状が改善したと報告されている。
つまり、目に見えない放射能の脅威は、具体的な復興に自身がかかわることがないため、余計にストレス症状が続く可能性があり、放射能による影響は、肉体的なもの以上に、心理面に及ぼす影響を十分に考える必要があるというわけだ。
しかも目に見えない恐怖は、前述した知人の家庭のように、福島第1原子力発電所の近隣住民だけでなく、社会全体に広まっていく。それだけに一段と深刻だと言えるだろう。
阪神・淡路大震災以降、自然災害や大事件後に発症するPTSD(心的外傷後ストレス障害)に関するケアは重要視されているが、放射能被害への心的ケアも急がれているのである。
すでに米政府は放射能被害に対する心的ストレスに着目し、「根拠のない恐怖心こそ、心身の悪化を招く原因」と警鐘を鳴らして、日本への支援の一環として放射能被害に関する心的ケアをまとめた手引書を作成。日本語への翻訳を始めてくれているという。
もともとこの手引書は、米保健福祉省の薬物乱用・精神衛生管理庁(SAMHSA)が在日米国人と日本人向けに地震、津波、原発事故に伴う放射能被害に関する官学組織の論文や助言集をネット上に集約したもの。地震発生直後の3月中旬に作成し、日本の原発事故に関してよく出る質問とその回答集をリンクして、過度の恐怖心を抱かないよう、日米両政府の情報入手先を示している。
日本の政府も、地震、津波、原発、風評のそれぞれに対して、できる限りの対応に乗り出しているのだろうが、こういった海外からの支援を積極的に受け入れ、そこに日本独自のケアも付加すれば、より効果のあるものになるのではないだろうか。
できることなら、放射能SOSのような、「私の素朴な疑問、不安」について、明確な答えが得られるような仕組みがあればいいと思う。
脅威を感じているのが、目に見えない放射能であり、専門的な知識がないと難しいテーマだけに、素朴な疑問に答えてくれる機関がある、というだけでも、安心できることだろう。実際、ストレスを感じている人に、専門家とインタラクティブな環境を整えるだけでも、ストレス状態が緩和されることがある。また、放射能の基礎的な知識を自分が知りたい時に調べられるサイトのようなものも有効である。
これは実際に医療面で活用されているのだが、患者さんが自分の病気について簡単に調べられる図書館やサイトを病院が用意すると、医師とのコミュニケーションがスムーズになったり、信頼性が高まったりすることが分かっている。
個々には、そういったサイトを立ち上げたり、啓蒙活動を行ったりしているが、それらをすべてまとめるような形のものを、原子力委員会やら、原子力安全・保安院やら、いろいろと機関があるのだから、役割を明確にして、もっと積極的に取り組んでもいいのではないかと思う。
電気事業連合会のホームページには、Q&Aが掲載されてはいるが、回答に専門用語がやたらと多くて難解だし、電事連がどういった機関なのか知らない人にとっては、それを信じていいのかどうかさえも判断がつかない。難しい問題だけに、扱い方だけでも分かりやすくしてほしいのだ。
こうした時こそテレビの真価が問われるが…
本来であれば、こういった時こそ、テレビというメディアの出番だと思うのだが、残念なことにそういった動きはほとんど感じられない。昨今のテレビの情報の出し方には、私自身、首を傾げたくなることも多いのだが、今こそテレビがもっと有意義な情報を流す時ではないだろうか。
やたらと恐怖心をあおるような報道を繰り返したり、政府や専門家の「大丈夫です」という言葉を垂れ流したりするのではなく、視聴者が本当に求めている情報をインターネットではなくテレビが報じるべきではないだろうか。
テレビというメディアが持つ影響力は想像以上大きい。流れるメディアであるテレビはそこで、『ついている』だけで、情報が入ってくるものである。しかも、テレビの最大の利点は、“さま”を見せられることだ。
難しいことを難しく言うのは誰にでもできる。難しいことを、分かりやすく、子供でも分かるように伝えることほど難しいことはない。それを助けることができるのが、“さま”を見せられるテレビであり、より多くの人に情報発信できる地上波を効果的に使えば、1人でも多くの人が安心できる。
何でもかんでも池上彰さんに出演してもらって解説してもらうだけでなく、『中学生でも分かる放射能の基礎知識』を毎日少しずつ流すだけでもいいし、『放射能相談室』のように素朴なQ&Aに答える番組を作ってもいい。
「今、起きていること」「これから起こると予想されること」「それにどう備えればいいか」ということを、ただつけているだけでもついつい画面を見入ってしまうように、その“さま”が分かるように、テレビマンにしかできない工夫してほしいと思う。
テレビというメディアから、この世界に入った私としては、今こそ、テレビにテレビにしかでないことをやってほしいと願ってしまうのだが、これは無理な願いなのだろうか。
むやみに自分の考えを押し付けるのを慎む
そして、私たち自身も、今回取り上げたような目に見えない恐怖に不安を抱いている人が、身近にいるかもしれない、という現実を理解し、むやみに自分の考えを押し付けないように気をつけなくてはならない。
本人だけが恐怖を感じている場合には、それほどまでネガティブな影響を及ぼさないかもしれないが、子供を持つ母親や父親たちにとっては、他人が想像する以上に放射能の問題はデリケートなものであることは、前述したいくつもの調査結果からも明らかである。
子供を思う気持ち、子供を守りたいと思う感情は、当人にしか分からない。たとえ同じように子供がいる人であっても、子供の状況、健康状態によっても変わってくる。
「大丈夫だよ」と言われれば、「そんな無責任なこと言うな」と感じ、「気にしすぎだよ」と言われれば、「気にしすぎて何が悪い」と余計に思う。
「水を買い占める人の気が知れない」と非難されれば、「何を言われたって構わない。子供を守れるのは親しかいない」と反発し、「2時間しか外で遊ばせないなんて子供がかわいそうよ」とたしなめられれば、「後から影響が出る方が、かわいそうでしょ」と逆切れする。
ついつい放射能についての楽観派は、「たいして気にしなくていいんじゃない」とか、「そんなこと気にしていることの方が、体に悪いよ」と言ってしまいがちだが、そういった何気ない一言が、脅威を感じている人をますます孤立させてしまうことがある。放射能の専門家でない私たちが、目に見えない脅威を和らげることはできないけれど、余計なストレスを作らない努力くらいはできるのではないだろうか。
このコラムについて
河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。
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著者プロフィール
河合 薫(かわい・かおる)
河合 薫博士(Ph.D.、保健学)・東京大学客員研究員・気象予報士。千葉県生まれ。1988年、千葉大学教育学部を卒業後、全日本空輸に入社。気象予報士としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。2004年、東京大学大学院医学系研究科修士課程修了、2007年博士課程修了。長岡技術科学大学非常勤講師、東京大学非常勤講師、早稲田大学エクステンションセンター講師などを務める。医療・健康に関する様々な学会に所属。主な著書に『「なりたい自分」に変わる9:1の法則』(東洋経済新報社)、『上司の前で泣く女』『私が絶望しない理由』(ともにプレジデント社)、『<他人力>を使えない上司はいらない!』(PHP新書604)
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