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http://news.livedoor.com/article/detail/5471025/?p=1
なんだか時間の感覚がなくなってしまった。ほとんどものを考えずに、フラフラと生きている感じ。何かを考え始めると、その思考の狭間に「原発」が入り込んでくる。ぼやぼやと、頭が揺れる。
故郷の老母が逝ったのは3月4日だった。まだたった1ヵ月しか経っていない。それなのに、お袋には申し訳ないけれど、ほとんど思い出すこともできない。手許の母の写真に目をやると、それがテレビの中の被災したお年寄りの顔に重なる。そして、放射能に故郷を追われた老人たちの哀しい呟き。
僕の頭は、原発でいっぱい。それ以外は、もう僕のキャパシティを超えてしまった。
今週は、まとまった文章が書けそうもない。だから、思いつくままに書いていく。とりとめのないものになるだろうが、僕の精一杯。お赦しを。
「負の世界遺産」というのがある。それは、人類が負った罪悪の歴史を後世に伝えるものとして設定されたものだろう。たとえば「アウシュビッツ強制収容所」「ヒロシマの原爆ドーム」「核実験場に使われたビキニ環礁」などが、それにあたる。
いずれ「フクシマ原発」も、おどろおどろしい「石棺」とともに、この「負の世界遺産」に登録されるべきだと思う。もし福島原発が冷却に成功したらと、いう前提つきだが。
それと同時に、「日本の負の人材」というものも、我々は記憶しておかなければならない。
たとえば、しゃにむに原発を推し進めた東京電力の経営陣、平岩外四、那須翔、荒木浩、南直哉(以上元社長)、勝俣恒久(現会長)、清水正孝(現社長)ら。
彼らの犯罪性は、度重なる原発についての記録改竄や事故隠し、原発トラブルへの呆れた対応などで何度も追及されてきたのだが、それを反省することなく、ついには今回の大惨事を招くに至った。
南直哉元社長は2002年に原発データ改竄事件で引責辞任。勝俣恒久前社長は柏崎刈羽原発事故で引責辞任したが現会長として、いまだに権力を振るう。そして清水正孝現社長は、病院へ逃げ込んだまま。
ここで前回の繰り返しになるが書いておく。
2003年には、前記の原発データ改竄事件のために、福島・新潟の東電の17基のすべての原発が停止した。しかし、電力不足は起こらなかった。むろん、計画停電などなかった。
「原発がなくなれば電力不足に陥る」という電力会社や推進派政治家、御用学者たちによって垂れ流された情報が、実は何の根拠もないものだったことの証拠である。それでも「原発が必要」という人たちは、この事実をどう捉えるのか。
「ではなぜ今回、計画停電が行われたのか? 原発停止で電力不足になったからではないか?」という反論には「火力発電所のかなりの部分も今回の地震の被害を受けたから」と答えておく。原発が止まったから、という理由だけではないのだ。
そして、火力は原発と違い、早期の復旧が可能だ。このところ計画停電が行われなくなったのは、火力の復活、再稼動によるところが大きい。むろん、消費者の節電効果もあるけれど。
東京電力と歩調を合わせて、いやむしろ、電力会社の尻を叩いて原発推進を声高に叫んだ政治家たち。たとえば、中曽根康弘や渡部恒三が有名だが、加納時男(元東電副社長)や電機連合(電機メーカー労組等の連合体)出身の政治家たちが挙げられる。一貫して原発推進を踊り続けた自民党(中には河野太郎議員のように原発に疑義を持つ人もいるが、それは圧倒的少数派)に限らず、このように労組がらみで民主党にも数多くの「原発推進派議員」が存在する。
その中曽根氏や森喜朗氏(石川県)などの原発推進老人政治家たちが、またもや「大連立」がどうしたこうしたと、原発危機などどこ吹く風、相変わらずの政界ごっこに忙しい。そんな連中にお伺いを立てる谷垣自民党総裁。国家的危機でも、政治屋連中の頭の中は変らない。つまり、この国は変らない。
そして、原発立地県で「原発マネー」目当てにやたらと原発の安全性を強調した定見なき県知事たち。今回の「原発震災」で「東電の謝罪など受けない」と突っぱねた福島県の佐藤雄平知事が、震災前は徹底的な原発推進派だったことを忘れてはいけない。
福島と並んで原発銀座などといわれる福井県や新潟県の知事たちや、他の原発立地県の知事とて同じことだ。
さらには「私は原発推進派だ。原発なしで、どうやっていくのか」と、福島県へ乗り込んで放射能汚染に苦しむ県民の前で言い放った、東京都の現知事。その無神経さに愕然とする。そして、この人が選挙戦で有利だという「世論調査」に呆然とする。
ならば「東京に原発を」だ!
東京電力管内、つまり関東地方には、実は原発は1基もない。東京都民や首都圏の県民は、遠い福島と新潟から、延々と送電線で電気を届けてもらってきらびやかな「都市生活」を満喫しているのだ。それほど電気がありがたければ、自分たちの住む場所に原発を造ればいいではないか。
送電には大きなロスがある。発電所が遠ければ遠いほど、途中で喪失する電力は大きくなる。それを避けるには、電力の大消費地のそばに発電所を造るのが当然だろう。そうすれば、送電ロスを少なくでき、あんな超巨大な原発は必要なくなる。
現に、東京の品川や神奈川の川崎・横浜などの火力発電所は、消費地に近いので送電ロスもあまりなく、十分に機能している。
だったら、「東京に原発を」だ。
現都知事さん、あなたが築地魚市場を強引に移転させようとしている豊洲は、すでに有害物質で土壌汚染されていることが判明している。そこへでも原発を造ればいいではないか。毒には毒を、だ。
また、財界人という名の推進派たち。
筆頭は米倉弘昌経団連会長(住友化学会長)だ。この人の発言が凄まじい。「福島第一原発が、千年に一度の津波に耐えたのは素晴らしいことだ。原子力行政はもっと胸を張るべきだ」と述べたのだ。すでに、原発の水素爆発が明らかになっていた3月16日の発言だ。呆れ返るしかない。
しかも「千年に一度の津波」とは、まるで事実に反している。岩手県宮古市田老地区では38メートルの津波が観測されたというが、これは実は、1896年の「明治三陸地震」のときの大津波と同程度なのだ。「千年に一度」どころか、たった115年前にも記録されていたのだ。不勉強もはなはだしい。
むろん、こんな発言は財界人として恥ずべきことだが、学者と称する連中も「今回の地震と津波は想定外」を連発した。「想定外」が時ならぬ流行語となった。
「想定外を想定することこそが学問ではないか」と、そんな学者(と称する人)たちを批判するのはもっともだが、実は今回の災害は「想定外」などではなかったのだ。「想定内」にあることを知りながら、「想定外」として対策を怠ったのである。これはまさに犯罪だ。
日本のすべての原発は海岸沿いにある。最大級の津波は「想定内」でなければならなかった。実はたった百年余り前に、その実例があったのだ。しかし、学者(と称する人)たちはそれを無視した。「想定外」とした。結果、何が起きたか!? そして、これから何が起きるか!?
静岡県御前崎市の浜岡原発は、いわゆる「東海大地震」の震源域の真上にある。この原発に対する津波防護策は、たった7メートルの砂丘でしかない。
今回の事故を受けて、浜岡原発を運転する中部電力は「12メートルの塀を新たに設置する」などと発表したけれど、繰り返すが、今回は最大で38メートルの津波が襲ったのだ。福島原発にも、推定で14メートルをはるかに超える津波が押し寄せた。7メートルの砂丘と12メートルの塀(堤防ではなく「塀」なのだ)で、どう防ぐというのか?
その中部電力の発表を真に受けて、「浜岡原発は安全だ」という発言を繰り返すのが、静岡選出の自民党・片山さつき議員だ。12メートルの「塀」で、ほんとうに巨大津波が防げると思っているとしたら、この人の頭のネジは確実に外れている。これが政治家だ。
とにかく、東海地震が来る前に、せめて、浜岡原発は止めなければならない。
福島原発による連日の高濃度放射性物質の海洋への垂れ流しや、風での飛散。それらによる海産物や野菜の汚染、人体への影響。ことに乳幼児を含む子どもたち、妊娠中の若い母親たちの不安。
それらの報道を連日のように目にしながら、なおも浜岡原発を容認する人たち。「原発がなければどう生活するのか」などと開き直る人たちが多数なのか。もしそれがこの国の進み行きであるとするなら、僕は自分の国に絶望する…。
なによりも腹立たしいのは、御用学者(というより幇間)たち。
特に、膨大な原発マネーが「研究費」の名目で流れ込んでいる東大、京大、大阪大などに棲息する学者(と称する人)たち。こういう人たちについては、あるリストがネット上で閲覧できる。それを参照して欲しい。テレビで、妙に歯切れよく楽観論を述べる学者たちのほとんどが、このリストに名前が出ている。よーく覚えておく。
原子力安全・保安院と、原子力安全委員会という組織がある。どちらも、デタラメ極まりないことが、今回の「原発震災」で明らかになった。これらや、原発の片棒を担いで電力会社のCMに出まくった芸能人や文化人(って何だ)については、次回に譲ろう。さすがに長くなりすぎた。
テレビをつければ「日本人は強い」とか「ひとりじゃない、みんながついている」とかのCMがシツコイほど流れる。それはいい。しかし、それだけでいいのだろうか。
妙な自粛ムードの中、チャリティ・イベントだけは大流行。4月1〜3日の3日間、ジャーニーズ事務所のタレントたちのチャリティ・イベントには約40万人のファンが詰めかけた。そこでは「みんなで助け合いましょう」との大合唱。巨額の義捐金が集まったという。それはそれで素晴らしいことだと思う。
しかし、それだけでいいのか。
影響力を持つ芸能人は、もっとはっきりしたメッセージを、自らの言葉で発信するべきではないのか。
俳優の西田敏行さん(福島県郡山市出身)は、朝日新聞(4月4日付)で、次のように語っている。
「今度だけは怒りを」というタイトルだ。
(略)地震と津波があって、福島第一原発のことがあるから、いたたまれない気持ちでいっぱいでね。我慢強い人が多い福島ですけど、今度だけは、ね。東京電力や原発を進めてきた政治家たちに怒りの声を張り上げたい。
あの原発がつくる電力は地元で使うものではなく、首都圏のためでした。なのに受け入れてきた。安全と説かれてきましたが、今回のことはきちんと「想定」されてきたのでしょうか。
今、20キロ圏内の人は、行方の分からない家族を自ら捜しに行くこともできない。(略)
もちろん、命をかけて現場で働いている方々には感謝しています。こんなことを言ったから事態が早く収まるわけもない。でも、故郷のことは今、ちょっと落ち着いて語れないんです。
西田さんは「怒り」を語った。真っ当な怒りだと思う。「東京電力や原発を進めてきた政治家たち」に、非常時を言い訳に責任論を回避させてはいけない。きちんと、正当な怒りをぶつけなければならない。そうでなければ、戦争責任をうやむやにして、戦争犯罪人が逃げ延びたような歴史がまた繰り返される。
「歴史は繰り返される。1度目は悲劇として、2度目は喜劇として」と言ったのはマルクスだが、今回の2度目の歴史は、決して「喜劇」にはなりえない。原発が、放射能が、燻り続けている限り…。
西田さんだけではない。
藤波心さんという中2のアイドルが「批難覚悟で…」というブログを書いて、大きな話題になっている。
これは素晴らしい。自分の思いを言葉にできる世代がしっかり育っていることに、僕は感動した。藤波さんは「脱原発」を、きちんと書いている。まさに「批難覚悟」の文章だ。
「冷静に議論を」とか「私は反対でも賛成でもない」と中庸を気取って教養とやらをひけらかす「大人」より、はるかにこの少女のほうが素晴らしい。僕は、そう断言する。
このブログは大反響で、すでに300万ページビュー、60万人のアクセスを記録したという。むろん、「ガキのくせに」とか「わけも分からず原発を語るな」などの罵倒も殺到したというが、圧倒的に賛成の意見が多かったようだ。藤波さんはこのあと、同じブログに「パンドラの箱の『希望』」という文章を書いて、それらの反響についての自分の気持ちを、きちんと説明している。
藤波さんのような中2のアイドルでさえ(そう、でさえ、なのだ)、はっきりと自分の考えを主張する。大人である芸能人たちが、なぜ自らの意見を主張せず、「きみはひとりじゃない」だの「日本は強い国」だのと言うだけなのか。
あのACのCMに出ているタレントの中には、かつて東京電力のCMに出演していた人物さえいる。ああ、恥というものは…。
春が来た。異常な寒さが続いたけれど、それでも春は来た。
我が家の小さな庭の花も、一斉に開き始めた。半野良猫のドットとナゴも、春の陽を浴びてのんびりしている。
でも、この春は、いつもの春とは違う。
僕はいま何もいらない。ただ、「いつもと同じ春」がほしい…。
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