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http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/23811414.html
1.東電福島原発事故が人災であることをもっとも知っているのは清水社長
3.11東電福島原発事故は日本全体を放射能汚染危機に陥れているのみならず、世界各国の放射能濃度を押し上げ、世界全体から顰蹙(ひんしゅく)を買っています。
国民は日々高まる日本列島汚染の現実に直面して、原発の怖さを肌で感じるようになっています。その反動にて、東電への風当たりは日に日に厳しくなっています。
その東電の最高経営責任者である清水社長は事故後、入院して、国民の前に姿を現していません。そのため、日本のみならず世界中から東電は非難されており、また、そのような無責任会社を生んだ日本国への不信も日々高まっています。
しかしながら、世間からどんなに謗られよう(そしられよう)と、清水社長は引きこもりを続けていますし、今後ともマスコミには顔出しできないのではないでしょうか。
国民も事故後、いろいろ勉強し、この事故が決して不可抗力の天災ではなく、紛れもなく人災であるとわかってきました、すなわち東電の怠慢(不作為の罪)であったことを知りつつあります。そして、東電に対し、言い知れぬ怒りがこみ上げています。
そのことを一番、知っているのが、実は当の清水社長であり、だからこそ、到底、国民に顔向けできないのだと思われます。
2.清水社長は赤字に転落した東電の財務数字を回復させるミッションを帯びていた
清水社長が東電社長に就任したのは、2008年6月です(注1)。東電の財務履歴を観ると、万年優良企業であった5兆円企業・東電は、2007年度、売り上げは伸びているにもかかわらず、純利益が連結でマイナス約1500億円の赤字に転落、2008年度は遂に、約350億円の経常赤字まで出しています。このように東電にとってかつてない危機的財務状況のなかで、2008年6月、清水社長がコストカッターとして社長に抜擢されています。その功績あって、2009年度には早くも黒字転化、約2000億円の経常黒字を出すまでに経営業績を急回復させています。2010年度数字は発表されていませんが、おそらく、元の黒字経営状態に戻っているでしょう、ただし、3.11原発事故がなければ・・・。
3.絵に描いたような“好事魔多し”のドラマ
3.11大地震さえなければ、2010年度決算報告時、見事に業績を急回復させた敏腕社長として、東電清水社長は、証券市場、産業界、マスコミから大喝采を浴びたはずです。かつての日産カルロスゴーン社長同様、名社長誉れ高かったはずです。日経ビジネスあたりは早速、ヒーロー扱いしてヨイショしていたでしょう。そのハッピー・シナリオが3.11大地震で無残に打ち砕かれたのです。そして、一転、歴史に残る大人災社長に転落したのです。まさに天国から地獄に真っ逆さまの転落です。
今、国民からは、お前が原子炉に落ちろと非難轟々です。
清水社長にとって、天国から地獄への転落の落差はまさに気が狂うほどの衝撃でしょう。
東電が普通の民間企業であったら、清水社長はその経営手腕が高く評価されたはずです、しかしながら、東電は公益企業であり、世にも危険な原発を保有する非常にハイリスクの企業だったのです、ところが、文系・清水社長には、魔の原発が他の電気設備と同じにしか見えなかったのでしょうか。
4.なぜ、万年優良企業・東電は2007年と2008年、赤字転落したのか
さてそれでは、あの優良企業・東電がなぜ、2007年、2008年、二期連続赤字転落したのでしょうか。
東電柏崎刈羽原発が新潟中越地震で被災したのが2007年7月16日です、その復旧費用は約6000億円でした。この予想外の出費が経営の足を引っ張ったのです。この原発停止に伴い、代替火力や他電力からの電力購入コストが嵩みました。さらに不運にも、震災後の2007年半ばよりBRICs石油需要急増で、石油価格が急騰したのです。以上の背景より2007年度、2008年度の東電の赤字転落要因は、柏崎原発復旧コスト発生と石油価格急騰にあるとわかります。両者、東電にとって予期しない外部要因(アンコントロラブル・ファクター)でした。
この苦境を脱出するミッションを負った、資材部長出身の清水社長は、2009年から2010年にかけて、猛烈な調達コストダウンに走ったことは容易に想像できます、そしてその成果は目覚しいものでした。
しかしながら、この猛烈なコストダウンに大きな落とし穴があったのです、それが、築後40年も経た老朽原発(福島第一の1号から4号機)の存在でした。東電経営陣は2007年、新鋭の柏崎原発が震災にて破壊され、危機一髪で破局事故を免れた現実を熟知していたはずです。そこに、内外から、新鋭の柏崎原発と違って老朽機を抱える福島原発の耐震安全性を厳しく追及されていたのです(注2)。
清水社長は、その警告を十分承知していたとみなせます。そこで、同社長は、社長就任当初から、コストカット(出銭を防ぐ)か安全優先かの厳しい二者択一を迫られていたはずです。彼にとって、福島老朽機の耐震補強は財務成績の足を引っ張る”出銭”でしかなかったのです。そこで、彼は内外の警告を無視して、福島老朽機の耐震安全性不備を承知で、耐震補強の予算を認めなかったのでしょう。そして、運命の2011年3月11日を迎えたのです。折りしも、2010年度を好決算で締める直前だった時期です。
5.東電柏崎原発震災の経験はなぜ、フィードバックされなかったのか
天災とはいえ、2007年東電は柏崎原発震災を経験しており、原発が地震来襲を受けるといかに怖いか、東電経営陣は痛いほどわかっていたはずです。2007年、2008年の巨額赤字原因は原発震災によるものだったからです。
おそらく、東電社内の原発関係者は柏崎原発震災の苦い経験から、東電福島老朽機が地震に遭遇すると極めて危険であることはよくわかっていたはずです。そして安全重視派と財務立て直し重視派の間で喧々諤々の議論が闘わされたと想像されますが、結局、財務立て直しが優先され、清水社長は福島老朽機の耐震補強を放置し続けたのです。
そして、運命の3.11大地震の来襲にて、2007年に福島地元県議団が指摘していた通りの最悪事故が起きてしまった(注2)、心底、悔やまれます。
6.安全よりおのれの功を優先した天罰が下った
電力会社は公益事業会社であり、電力供給に無限の責任と義務があります。この企業ミッションは他の民間企業とは全く異なります。清水社長は東電が公益企業であるという根本をすっかり忘れていたのです、社長失格です。
東電福島原発老朽機の危険を知りながら、財務建て直しを優先してしまったのです。
清水社長には、財務の黒字転化という重いミッションの重圧がかかっていたのは確かですが、おのれの功をあせるあまり、大局を見失った社長の典型です。
それにしても、おのれの功を追求したばかりに、社長まで登りつめた60数年の貴重な人生を一瞬にして失ったということです。
『君は功を成せ、われは大事を成す』吉田松陰の格言です。
注1:清水正孝、ウィキペディア参照
注2:日本共産党福島県議団『福島原発10基の耐震安全性の総点検を求める申し入れ』2007年7月24日
http://www.jcp-fukushima-pref.jp/seisaku/2007/20070724_02.html
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