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今回の原発事故は単なる事故とは訳が違う。問題の構造と本質は何か。
官(特に経産省)・原発産業界(東芝・三菱重工・日立・原燃・原電等)・政治家(原発利権に浸かる者・組織票の激減を脅され行動しない者・無知の者)・司法(権力側につき擁護)・メディア(そもそも原発導入時に世論形成を担った。各社重役に電力会社重役が入っているhttp://bit.ly/fg8euN電力会社のスポンサー料の激減を脅され不都合な情報を一切報じず)・研究者(研究費獲得・昇格のため原発批判的な研究できず)・大衆(何も知らされず「原発はクリーンでエコ」プロパガンダの洗脳)・教育(権力から自由でなく幼少からプロパガンダに利用される)・労働組合(電事連 民主党の支援団体)・著名人(仕事の減少を怖れ言及せず)
この実に入り組んだ絶望的包囲システムが、何十年と原発をタブー化し、聖域化してきた。
今回の原発事故は天災ではない。この国の“深刻なシステム”−つまり三権分立・民主主義・ジャーナリズム不機能の根源的独占社会体制−の引き起こした“構造的人災”だ。
エネ問題の本質は、代替技術はいくつもあるがエネルギー開発予算がほぼ原発産業に回され自然エネ開発に支援が回されていないだけの話。
(元々日本になぜ原発が導入されたか。広島長崎原爆→第五福竜丸事件による反米共産勢力の拡大を抑えるために、平和利用の名の下に日米政府と正力松太郎(読売新聞社主)の利害が一致。読売新聞と傘下の初の民放・日本テレビによる「原子力の平和利用」大キャンペーンが行われ、世論が反転した。NHK http://bit.ly/fja4vr)
遅かろうが早かろうが必ずどこかで起きることはわかっていた、起きる前に止めることはできたはずだったし、脱原発派はそのために必死で努力してきた。私もその一人だ。
しかし声を上げる者は社会的に抹殺されてきた。(福島原発の闇を追求した元福島県知事佐藤栄佐久氏は冤罪で引きずりおろされた(『知事抹殺』)他、挙げればきりがない)
志を持つ僅かな人が少しずつ活動を広げていたが、異端視・忌避されることが多く、国策・国民世論を動かすにはあまりに非力だった。強大な権力と金によって、構造のツケ、悲しみはいつも辺境の過疎地に押し付けられるという頻出の差別構造。都市でシステムに依存しシステムを造り出す人々の為に、美しい土地に生きる人々の古の歴史文化、豊かな関係性がぶち壊されてきた。原発内の末端被爆労働者は、貧民街で狩られた貧しい人々だったりする(『隠された被爆労働』)。一方、議論の机上にも至らない、あまりにもかけ離れた一般大衆の意識。
こんなにもやるせない構造が、長い間続いてきた。
『原子力に関して「民意は真空だった」なぜなら圧倒的に知らされていなかったから。民主主義は国民に知らされていない案件については機能しない。』(マエキタミヤコ)
民主主義の致命的構造。堕落したマスメディアが世論を創り出す社会において「民主主義」は「衆愚政治」へと陥る。マスメディアは潤沢な資金をもちよる企業・国側に有利な情報しか基本的に流せない構造に陥っているからだ。結果、大衆の意識は体制の意識に沿って形成される。そもそも全く未熟な日本の「民主主義」において「多数派が正しい」というのはとんだ大間違いだ。
人間はことが起こらないと気づかない。
悲しいかな、今回の件で、そのことがはっきりした。情けなくも人々の自らの恐怖と危機意識によって、ようやく原発界という鉄の牙城にヒビが入り、国民的議論が「スタート」した。いや、議論の前提となる情報が共有されていないので、スタート地点に立っているのかどうかも怪しいが。それでも、これまで明らかにされることのなかった原発の根源的問題の数々が、少しずつ白日のもとに晒されることとなった。「ここ数日でこれまでの反原発運動の30年分の情報が世に出た」と、いみじくもある人が言っていたが、ほんの2週間前まで原発と口に出すだけで異端視されていたのに比べれば画期的だ。
だが一般大衆の意見を見ていると、代替案を知らない人が多すぎる。
代替案はいくつもあるのに、単に知らない、知る機会がないという理由で今までのシステムから発想転換できない人のなんと多いことか!
今までも「代替案を誰もが選択できるようにしたい」と考えていたけれど、一刻も早くしないと日本が本当に終わってしまう、というのを今回のことで強く感じた。「無知は死を意味するというか、死につながる。」と坂本龍一氏が言っていたが、それは個人の死どころか国全体にもなるわけで、人間だけでなく他の生命さままで巻き込むことになる。そんなの許されない。
今が日本の原子力政策を転換するときじゃなければ一体いつだというのだ。ここで厳しく反省し、見違えるような素晴らしい国に大転換しなければ、犠牲者の御霊に申し訳が無さ過ぎる。
「そんな理想、実現できるわけがない」
そう言って行動しない大人たちが嫌いだ。
そうやって変革の志を欠いた社会の結実が、この原発事故に他ならないのではないか。
今回の一連の原発事故に私は怒っている。
防げた悲しみを防げなかった。私達の属するシステムのやるせなさ。自らの非力さ。
だけど
この怒りのエネルギーを、次の新しい社会構築への情熱に変えて、私は立ち向かう。
不安を煽っているのではなく「安心が煽られている」日本社会に警鐘を鳴らしている。批判や追及を封じる動きがあるが「こんな時に軍指導部を批判するなんて非国民だ」では戦時中と同じで犠牲を増やすことになる。命がかかっている。冷静で建設的な議論がなされる必要がある。
ドイツではすぐに7基の原発を一時閉鎖、25万人の反原発デモが起き、「緑の党」が初の州首相ポストを獲得した。日本は浜岡は稼動中、上関は工事続行、デモ1200人、みどりの党は発足すらできていない。それどころか未だに原発推進・選挙は無関心、言葉を失う。
311で私はこれまでの考えを決定的にした。自分のビジョンが間違いではない、むしろこれから求められるものだろう、と自信を持つことができた。
失ったものはあまりにも大きいけれど、この犠牲を絶対に無駄にしてはいけない、そのためにやるべきことをしよう。
新しい社会をつくろう。
この誓いと、確かに見える希望とともに。
心の奥には、揺るぎない慈愛と穏やかさを抱きながら。
新しい日本をつくろうと志す人達はもう、動いている。
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