57. 2011年4月01日 19:49:08: jK2zmp4Nds
以下に「副島隆彦の学問道場」の「気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板」から次の投稿を転載する。http://www.snsi.jp/bbs/page/1/page:5 http://www.snsi.jp/bbs/page/1/page:4 http://www.snsi.jp/bbs/page/1/page:3 (転載開始) [299]明日、群馬に帰ります。 投稿者:ゆみこ 投稿日:2011-03-20 16:40:18 京都に避難している、群馬のゆみこです。 副島先生、石井利明さん、命がけの調査をして報告してくださって、本当にありがとうございます!お二人の勇敢さと冷静さは素晴しい!心から感謝します。報告を読んだ人たちみんながほっとしていると思います。わたしは京都の叔母に「ほっとした顔してるわ」と言われました。 わたしは数日前、崎谷博征さんの【[275]原発は最悪の選択である】を読んで、また広瀬隆さん出演のテレビを見て、日本は原発がなくてもやっていけることを知りました。それでわたしは原発がとても不憫(ふびん)に思いました。利権のために建てられて、自分自身がすごく危険な存在だと知りながら40年間働いて、今ほんとうに危険な姿をさらしている。わたしは観音さんになって、原発を抱いたろうと思いました。二晩、観音さんになって、原発と原発の悲しみを抱いて眠りました。 そもそも女の人はみんな観音さんです。たぶん。 これからまだしばらく原発が静まるまで、女の人みんなで原発を抱いてやりましょう。原発さん、いい子ね、大丈夫よ、あなたが身を挺(てい)して人々にもっと違う安全なエネルギーを使うことを考えさせてくれた、ありがとう、って、なだめてやりましょう。 わたしは明日、群馬に帰ります。嬉しいです。 先生、石井さん、本当にありがとうございます。 [309]私たちは、今こそ福島県産の野菜、果物、コメ、魚を進んで食べる運動を始めなければならない。それが復興への支援だ。 投稿者:副島隆彦 投稿日:2011-03-22 06:41:53
副島隆彦です。 今は、2011年3月22日 午前3時です。 私は、21日には 自宅に戻ってきました。 19日に続いて、20日も、私たちは 福島第一原発に、今度は、県北の方の南相馬(みなみそうま)市の方から、原発10キロメートル圏内の浪江(なみえ)町、双葉(ふたば)町(5キロ圏)まで到達して、真実の放射能の線量(せんりょう)を測定しました。 たしかに、浪江町(なみえまち)、双葉町(ふたばまち)では、220マイクロシーベルト毎時( 220μSv/h) の やや高い数値が出ました。新聞記事にある 福島県の対策本部が毎日、地元で 発表している 「放射能測定値(暫定値)」の数値と、一致しました。 これぐらいの数値は、人間の体には全く影響はありません。福島県の人たちは、これぐらいの数値は、当たり前として受け止めて、淡々と生きています。 15日の、2号機の水素爆発があった(1号機=12日、3号機=14日に続いた、第3回目の水素爆発)あとには、横浜市でも、160マイクロシーベルト毎時(160μSv/h) が測定されたそうです。 この 15日が、一番、危険な日でした。 そして、緊迫の山場は16日まで続きました。 そして、17日(木)には、巨大原発事故は、危機の峠を越して、現場で奮闘する“フクシマ50の英雄たち” と世界中から称賛されている、東電の下請けの作業員と日立・東芝からの派遣社員たち自身が、そのことを実感したでしょう。 そして、4つの各号機の、格納容器爆発(水蒸気爆発)=高濃度の放射線の数百キロへの飛散 という 日本人どころか、人類すべてにとっての最凶悪事は、終息に向かいました。この真実を、アメリカは、17日 昼に、グローバルホークという無人偵察機を使って、4つの原発の上空から調べて、真実の放射能数値を知った。 真実をいち早く知った、アメリカ政府と、最高支配者たちと、ニューヨークの金融財界たちは、17日の夕刻には、最高会議を開いて、「フクシマの危機は去った」と確認したようです。そこで、18日(金)には、ニューヨークの金融市場では、狼狽(ろうばい)売りの投げ売りで、暴落していた株価が、早くも上昇に転じています。 東京市場(日経平均株価)も、18日には、大暴落(一日で1250円の急落)から立ち直りを見せています。 私、副島隆彦は、自宅に帰って、急いで、金融・経済の分析を始めています。これらの分析は、会員ぺージの方に載せます。 災害からの復興銘柄として、仮設住宅(被災者用の応急のプレハブ住宅)20万戸とかを作る住宅メーカーが、22日(火)からの株式市場で、棒上げ、急上昇すると、盛んに推測されています。 私、副島隆彦は、「こんな悲惨な巨大災害の時でも、ある種の人間たちは、自分の金融投資(バクチ、博奕)での大儲けの為に動くのだ。それが、人間と言う悲しい生き物なのだ」 と、達観しています。 私は、浪江町や、南相馬市の海岸で、ものすごい数の家が津波で破壊され、一面に瓦礫(がれき)が散乱している光景を、前日の県南の四倉(よつくら)、新舞子(しんまいこ)の海岸の悲惨な現状に続いて見ました。 美しい景勝の地の 家々は、無残に破壊されて、車も多くが海中に没しているでしょう。 この世の地獄そしてそのまま浄土(じょうど)の姿です。 今も、車の中にいたまま、津波で死んだ人たちの死体の多くは収容されていません。波打ち際に打ち上げた死体だけが自衛隊の手で集められ、遺体安置に並べられているのです。 救援に駆け付けた5万人の自衛隊でさえ、災害3日目の14日の深夜には、「原発が非常に危険なので、、上からの命令により退避します」と、避難場所(小学校の体育館とか)の被災者たちに伝えて、置き去りにして、一気に立ち去っていったのです。私は、その現場に、こうしてやって来たからこそ、この真実を体得できました。 そのことの衝撃(ショック)で、今、自衛隊全体が、深い鬱屈の中にあります。国家戦略家(ナショナル・ソストラテジスト)である、私、副島隆彦には、この核戦争・化学戦争に全く対応していなかった、そして、自分たちだけ、我さきに国民(一般住民)を残して逃げて行った、災害出動の自衛隊の、不甲斐なさを、彼ら自身が、大きな危機が峠を越した今だから、全身が震えるような悔悟の気持ちに襲われているだろう。 同じ日本国民を戦争の脅威から助ける盾(たて、シールド)となると決意して、進んで自衛官になった者たちの、無念と屈辱感が、私にはよく分かる。だから私は、今の自衛隊を絶対に批判しない。この時、自分たちが強度の放射能で被曝することを恐れて、一目散に災害地から先に撤退していった自衛隊を、私は決して非難しない。この問題は、不問に付されて、皆が忘れ去ってゆくだろ言う。 誰もが、原発の事故現場から、10キロでも遠くに逃げたい。そして、多くは、福島県の西隣の新潟県にまで避難したようだ。 同じ被災地である北の宮城県(仙台)方面に逃げるわけにはゆかず、そうかといって、南に逃げて、東京(首都圏)を目指しても、大混乱する、と分かっている福島県民は、新潟県に活路を求めたのです。 家と家族を失い、命からがら逃げてきた先の避難所で自衛隊に、「私たちは先に退避します。原発が大変危険です」と言い残された被災者たちが、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄に落とされたことは、火を見るよりも明らかだ。今も、ガラーンとして、運動場に軽自動車が、100台近く散乱していた小学校を目撃した私には、いつが、最大の危機のピークだったのかまでが、体で分かる。 被災者たちは、自衛隊のあとを追うようにして、沿道12号線を、西の方(福島市へ)に、15日の暗闇のなかを、ぞろぞろと移動していった。途中でガソリンが切れて、乗り捨てられた乗用車が、たくさん、いまも路肩に置かれている。 22日からの今週も、ずっと、ガソリン切れは続くだろう。 ゴーストタウンと化して、ガラーンとした町が続きました。浪江(まみえ)の駅の前の半倒壊している酒屋の中で、コンピュータだけが不気味に動いて、音をだし、点滅しているのを見ました。電気は通っているのです。 原発から5キロの地点である 双葉(ふたば)の駅のすぐ近くまで行けたのですが、そこから先は、道路に倒壊した家の瓦礫と、垂れ下がった電線がたくさんあったので、ここで私たちは前進を阻(はば)まれました。この地点で、220マイクロシーベルト(220μSv/h)を測定したのです。あとで、写真を示します。 私に、決死の覚悟で同行してくれた弟子の石井利明(いしいとしあき)君が、下の 重掲「308」番の報告文に引き続いて、翌日の20日の調査、現状の目視、放射能測定の結果を書きます。 19日(土)の初日の、富岡(とみおか)町からと、それから、県南の いわき市からの 巨大事故原発 への接近による 視察、目撃、放射能測定 のことも引き続き書きます。 私が、今、強調しなければいけないことは、被災地の現地で生きる福島県民を応援するために、私たち日本国民は、福島県産の 野菜、果物、コメ、そして魚を進んで食べる、ということです。 私たちは、同じ日本国民として、悲惨な大災害から福島県が急速に復興することを、徹底的に、支援しなければいけないのです。 そのためには、「今こそ福島県産の産物、食品を進んで食べよう」という運動を始めなければいけない。 [321]お土産と福島と原発と 投稿者:ゆみこ 投稿日:2011-03-24 06:48:09
群馬のゆみこです。3月21日(月)に避難していた京都から群馬へ帰ってきました。 避難していた一週間、わたしは所かまわず(電車の中、大通りを歩きながら、ネットカフェなど)ぼろぼろ泣いてばかりいました。たぶんきちがいだと思われたでしょう。関西はお店から乾電池が無くなるくらいで平和なものですから、わたしのような切迫感はなく、それで孤独感が増していたとき、この掲示板がよりどころでした。ありがとう。(迫感のない関西を責めているわけではありません。原発から700km離れていれば切迫感がなくて当たり前です。)京都から群馬に向かう新幹線の中で、自分がぐんぐん元気になるのを感じました。高崎に着くころには、3月11日の最初の地震すらなかったような、晴れやかな気持ちになっていました。やっぱり群馬はいいです。 翌3月22日(火)から出勤して、課のみんなに謝りながら、「もう炉心の爆発というような危険はなくなりましたので帰ってきました」と言うと、にやにやして許してくれる人、顔をしかめながらも許してくれる人、声を上げて笑いながら(受けてる)許してくれる人とさまざまに、みんな許してくれました。帰りに京都駅で急いで買ったお漬物と阿闍梨餅(あじゃりもち)を職場に宅配便で送ってもらってあり(すごく重たい)、それを課のみんなに配って許してもらいました。 「一人だけ助かろうなんて思っちゃだめだよ!」と言ってくるいつも正しいおばさん(ペットボトルのキャップを集めたりしている)もお漬物と阿闍梨餅のお土産で懐柔(かいじゅう)。わたし今までお土産をばかにしていたけど、すごく効果がある。勉強になりました。 さて、わたしは先生の「福島県産の生鮮食料品を食べましょう」運動に賛成します。やっぱり副島先生はすごい! 落語の「親子茶屋」で、ある若旦那が「もし火事で焼け出されたら」という話をする場面があります。 「そら、焼け出された当座はみな親切にしてくれはります。うちへ来てお泊り、これ持って往(い)んでお使い、と言うてくれるが、これは続かん。そのうちあっちへ行っては嫌がられ、こっちへ行っては嫌われして・・・」 これが世の中です。自活できない大人は厄介者。そんなの当たり前。カフカの『変身』のグレゴール・ザムザです(『日本のタブー』18頁参照)。だから福島の人たちが仕事ができるように、商売ができるようになることが大事です。一時の義捐(ぎえん)金では完全な復興はできません。わたしたちが福島県産の商品の消費者になろう。もう始めてる人もいて、すばらしいですね。 副島先生が、ついこの間は西へ逃げろ、今度は福島に住むとおっしゃるので、その変わりようについて行けないという人もいると思います。でもね、君子は豹変(ひょうへん)するんですって。養老猛(ようろうたけし)が『バカの壁』で書いてたでしょ。 語源由来辞典 「豹変」:『易経(革卦)』の「君子豹変す、小人は面(つら)を革(あらた)む」に由来する。これは、豹の毛は季節によって抜け替わり、斑紋が鮮やかになるように、徳のある君子は過ちを改めて良い方に移り変わるが、小人(徳のない人)は表面的に改めるだけで本質は変わらないといった意味である。 http://gogen-allguide.com/hi/hyouhen.html この場合、西へ逃げろというのが過ちというわけではなく、あの時点では正しいご判断であり、原発の状況が変わった(落ち着いてきた)ことが先生と石井さんの命がけの調査とそのほかの世界の動きの分析から、今度は「福島へ」という風にお変わりになったのだと思います。 「信念がない」と見る人もいると思いますが、信念とはただの凝り固まった考えのこともあります。先生はもっと広い視点からの信念でお考えなんだと思います。 今後の日本の原発について、わたしなりに考えました。やっぱり原発は減らしていって、終(しま)いには無くすのがいいと思います。原発が無くてもほかの安全な方法で電力は十分まかなえるそうですから。 しかし、56基もある原発をどうやって無くしていくのか、途方にくれてしまいます。そこで、まず、こんなにたくさん原発があるという現実は、自分にも責任がある、と日本中の人が認識することが大事だと思います。 福島の原発で発電された電気は全部東京へ送られているかもしれないけど、原発を推進する佐藤雄平福島県知事を選んだのは福島県民です。そして息子さんや娘さんが東京の学校に行ったり、東京で就職している人もたくさんいるでしょう。 今は疲れきっているけれど、立ち直ったら福島の人もその責任を考えたほうがいいと思います。これは、別に福島の人を責めてるわけじゃないんです。「責任を持つ」というのは「自分を責める」のとは違います。「あいつが悪い!」と言っているうちは、あなたの人生は始まらないんです。ぜんぶ自分に責任がある、と思って初めて人生を動かせるようになる。つまり、結果を変えたければ原因を取り除かなくてはならない。人生は自分の意思とは関係なくふらふらとあてどなく流されていくように思えるのは、いろいろなことを他人(ひと)のせいにしてしまい、本当は自分が原因だと気づいていないからです。 とても偉そうなことを書きました。こんなことを、いま公(おおやけ)に書いてはいけないかな、とも思いました。でも、書かないと忘れちゃうので、書きました。わたしもまだぜんぶ思い通りに人生を動かせているわけではありません。練習中です。でもね、何事も訓練です。だんだん出来るようになる。 以上です。 (転載終了) |