http://www.asyura2.com/11/genpatu8/msg/155.html
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(回答先: 東電、避難住民受け入れゼロ=保養所、社宅多数も―原発事故で対応遅れ(時事通信社) 投稿者 tk 日時 2011 年 3 月 29 日 21:09:48)
http://blog.livedoor.jp/yumemigachi_salon/archives/51692142.html
東電の保養所を避難所に提供しろ!正義感溢れるTwitter民がネット内でクーデター開催!乗り遅れるなよ!
1 名前:名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/03/27(日) 00:47:39.05 ID:OK+hPHQs0●
東京電力さん、東京電力につながる方にお願いです(メディアに流して?)。
東京電力は鎌倉や熱海など20数カ所に保養所を持っています。
そこを原発周辺の福島県民のための避難所に提供してくださいませんか?
http://twitter.com/#!/kikuchiyumi/statuses/51411597515698176
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http://blog.goo.ne.jp/tateyama18_2006/e/2095b76b1f074ffcd01ab8341845152c
東京電力の豪華保養施設
2007-07-23 | 世界地理
東京電力柏崎刈羽原子力発電所内の、東電豪華保養施所
東京電力は社員3万8千人、資本金6,764億円、年間売上げ4兆円の大企業である。
1994年には新潟県柏崎刈羽発電所敷地内の松林に、東電社員用の豪華保養所「東友クラブ」が建設された。
保養所の土地は5,700u。原発敷地内だからタダ同然だろうが、登記上はどうなっているのか、不明。
建物は990uの鉄筋コンクリート製。並みの建築ならば5〜10億円である。原発事故の放射能汚染対策を想定していれば50億円はかかっている。
しかし、保養所の玄関や窓は広く、原発事故を想定しない建築であると推察できる。安上がりになった分、家具調度は豪華である。東京電力は、全く原発事故に無関心、原発事故はあり得ないと確信していたことが分かる。
保養所の完成は1994年だが、原発1号機の完成は1985年、最後の7号機の完成は1997年である。
東京電力は原発敷地内に住居を大量に建設し、東京本社社員のうち、将来出世の見込みのある若者500人〜600人を、住まわせたらどうだろう。所帯持ちもいるから、約1千人が原発敷地内に住むことになる。保養所には会社幹部が住む。
東京本社の事務・営業の仕事は、保養所と本社をコンピューター回線で結べば、業務効率は低下しない。1千人の高給サラリーマン増加は、刈羽村への経済効果も大きい。社員の子どもの教育を考えて、3年で転勤させればよい。
原発敷地内に住んでいるうちは、事故を想定して、社員消防隊と奥様消防隊を組織し、毎週1度は訓練をする。さらに、発電施設・ゴミ処理・プルトニウムの安全性を勉強し、将来、六カ所村へ転勤した場合に備えるのがよいだろう。
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