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日本
記事発表:2011年3月26日土曜日
最終更新:2011年3月26日土曜日
日本:欠乏と放射能の間で、被災者にとって困難な生活状況
RFI
2011年3月11日に日本の東北地方を襲った、地震と津波の被災者のうち、数万人が避難している収容施設では、衛生状況が悪化している。犠牲者の数は、毎日増加を続けている。さらに、東北地方の住民は、惨事による心的傷害後の動揺に加え、目に見えない敵に対峙している。放射能の危険だ。2011年3月26日、通常の1200倍の放射性ヨウ素が、福島原発の近くの海で計測された。
RFI特約記者フレデリック・シャルル、盛岡からの報告
日本の東北地方では、雪が降っている。盛岡から50km離れ、地震による大きな被害を受け、周囲と隔絶された、沿岸の小さな都市・宮古の避難所の中では、寒さが、高齢の被災者たちの身体の抵抗力の末端にまで圧力をかけている。避難した人々の70%近くが65歳を超え、常用薬がなくなった何人かの人たちは、これから先の人生を諦めている。
彼らへの救援は遅く、不十分だ。被災した地域は、外の世界に援助を求めている。そういった人たちが、外国政府が派遣した救援チームに出会うことはめったにない。唯一の外国人といえば、いくつかのNGOや、俳優のトム・クルーズで有名なサイエントロジー教会のような、論争の的になるような宗教教団だ。彼らは被災者に、緊張を和らげるメッセージと祈りの言葉を与える。
菅直人政権には、事態に向き合う能力がない。その役割は自衛隊が担っている。自衛隊は、官僚機構と日本政府の怠惰と無能の穴埋めが自分たちにできるかのように、任務を果たしている。
放射能をめぐる不安
太平洋に面した、日本のチベットのような、東北地方の隔絶された村々では、わずかだが電力の復旧が始まった。携帯電話会社は、衛星回線のみによる、1日数時間の緊急通信サービスしか確保できていない。
それらの村々は、震災から、食糧と水を積んだ自衛隊の車両がはじめて到着するのを見るまで、5日待たなければならなかった。さらに、彼らは自分たちが、東京のように、放射性の雲による犠牲者となる危険があることを、現在知らない。それらの村々は破壊され、住民の半数が死亡したか、行方不明となっている。
被災者たちは、いま、自分たちの政府が、地震活動の激しいこの地方に、約20カ所の原発を建設したことによって、自分たちを大きな危険にさらしていることが、分かっていない。福島原発の中で起きているような、大きな原子力事故を避けるために、あらゆる安全措置がとられてきたと、彼らは信じ込まされている。
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(RFI)
http://www.rfi.fr/asie-pacifique/20110327-radioactivite-coeur-inquietude-japonais
日本 の
記事発表:2011年3月27日日曜日
最終更新:2011年3月27日日曜日
放射能が日本人の不安の中心
RFI
福島第一原発の近くの海水から、高い水準の放射能が発見されたことにより、日本中で、魚と海産物の消費者に動揺が起こりつつある。この地域に大損害を与えた、2011年3月11日の地震と津波によって、失業に追いやられた東北地方の漁師たちにも、少なからぬ不安が生じている。2011年3月27日、発電所周辺での放射能の水準は、通常の1800倍以上に増加した。
RFI特約記者フレデリック・シャルル、盛岡からの報告
日本の東北地方・盛岡の街では、すでにいくつかのスーパーで、魚や海産物が半値で売られている。
東京の北、300kmの都市・盛岡の小売商たちは、福島原発の事故で海水が放射能を帯びるようになってから、彼らが魚を売るのを政府が禁止するのではないかと危惧している。
「私たちが売る魚や海産物は、誰も買わないか、ほとんど誰も買わなくなるだろう。少なくとも、東北地方の原発の近くで獲れたものは、汚染の危険があるから」と、盛岡のスーパーマーケットの店員は語る。
盛岡から60km離れた、太平洋沿岸の、地震と津波で破壊された海岸では、漁民たちは全てを失った。船も、家も、大黒柱も。海が放射能を帯びるようになり、いまや彼らは、今度は自分たちが去らなければならなくなるではないかと危惧している。
福島原発の放射能レベルが急上昇している
福島原発の状況が、ますます不安を増している。3月27日、2号機の原子炉から非常に強い放射能が漏れたため、冷却装置の作業をしていた技術者チームは、作業の中断を余儀なくされた。
放射線は1時間当たり約1000ミリシーベルト。平常よりも極めて高い水準だ。日本当局によれば、この数値は、タービン室の地下にあるプールから採取した水のサンプルから計測された。原子炉は、そのすぐ後ろに設置されている。これは、格納容器に重大な損傷があることを意味する。
さらに、専門家たちは、原子炉の心臓部が溶け、放射性微粒子にとって自由な場となっていると予測する。いまや、大量の放射性微粒子が環境に放出されている。発電所の南、300mの海水は、現時点ですでに、通常の2000倍の濃度の放射性ヨウ素の存在が示されている。
1シーベルトを超える放射線をその場で浴びた人は、それがどんなに短い時間でも、即座に健康に影響を及ぼす可能性がある。約500人の技術者・消防士・自衛官が、この原子力の惨事による被害を食い止めようと、日夜、福島原発で作業をしている。
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(RFI)
http://www.rfi.fr/asie-pacifique/20110327-japon-d%C3%A9tresse-des-p%C3%AAcheurs-de-Yamada
日本/地震
記事発表:2011年3月27日日曜日
最終更新:2011年3月27日日曜日
山田の漁民たちの窮状
RFI
3月27日の午前中に、非常に強い放射能が福島原発の内部で計測され、日本国内に不安が走った。2号原子炉の放射能の水準は、平常の1000万倍(後に、10万倍と訂正されています:投稿者)で、沿岸部に建設された発電所の近辺では、海水中の放射能の水準もさらに上昇している。3月11日の地震で破壊された港町・山田では、漁民たちが、日本列島は原子力エネルギーに対しても脆弱だということを、まざまざと実感している。
RFI特約記者フレデリック・シャルル、山田からの報告
山田の街は、3月11日の地震と津波で破壊された。そこは、盛岡から東に60km離れた、太平洋沿岸にある。港も漁船も、津波で破壊された。今日、漁民たちは、日本列島は原子力エネルギーに対しても脆弱だということを知った。
山田は、日本の東北地方にある、盛岡から60km離れた漁民の街だ。同じ名前を持つ湾や海産物、特に、日本や外国の美食家たちが求める牡蠣の養殖で名高いその街は、15mの高さの波で洗い流された。いま、漁民たちは、日本列島は地震に弱いだけでなく、原子力エネルギーにも脆弱だと知った。
山田では、湾を見下ろす丘の上に逃げることができた漁民たちはわずかだった。彼らは、いまでも街に留まっている。彼らメディアを信用していない。彼らの目には、メディアは周辺の原発について、悲観論を急にあおり立てるように見える。ササキ・カツヒコ氏は、私たちに口を開いてくれた、わずかな人たちの一人だ。
「海流のために、私たちの湾は放射能に汚染される危険がある。風が放射性の雲を湾に運ぶのではないかも、とても心配だ。いま、非常に怖れることは、苦労して街を再建する価値があるかどうかが問題になることだ。食べ物に汚染の危険があるなら、私たちの魚や海産物は誰も買いたくないだろう。この街では、他にも2000人の漁民が養殖場で牡蠣を育てている。」
福島原発の技術者たちが最悪の事態を回避させられたとしても、山田の湾や街がかつての美しさを取り戻し、漁民たちが再び海産物を生産できるようになるには、5年から10年かかるだろう。
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(投稿者から)
RFIの記者が盛岡などで取材した現地の様子を伝えた、フランスRFIサイトに掲載された記事を3本、投稿いたします。誤訳があるかも知れません。ご容赦下さい。
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