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このままでは福島県民は皆殺しになってしまう。
妊婦・幼児・未来のある若者を早く逃がさなければいけない。
関東圏の数千万の人々もいま、刻々と現在進行形で被曝を強いられている。
一刻も早くあの忌々しい御用学者どもの口を塞ぎ、正しい情報を広げねばならない。
放射能はそこで暮らす全ての人々の生活を未来永劫奪ってしまう。
しかし、どうして住民の生きる権利まで奪えようか?
かつて、冒険家の風間さんがこういっていた。
「人間には、まず空気、その次に水、そして食物の順で必要なんだ。まず、健全な空気が吸えて、それから、おいしく安全な水が飲めて、そして、最後に食物を消化できる状態になるのだ」と。
いま、それらの全てが汚染されているのだ。
こんな異常な事態に、どうして、何の危機感も持たずに平常に振舞うことができよう。
そうしている間にも、国はこっそりと水質基準をWHOの国際値の100倍(改訂前の30倍)にした。
野菜の値も改訂前の20倍にしている。
空気もきっと、汚染が続けばこれからどんどん「改訂」されていくだろう。
「暫定」基準は何時でも引き上げられる可能性がある。
チェルノブイリ周辺の子供たちには1キロあたり37ベクレルという値が限度である。
これは、東京も含めて、37を超えるほとんどの汚染地域の水を飲んではいけないということだ。
あの、深刻な汚染地域の子供たちが飲んでいる(飲まされている)水より、汚れている可能性があるのだ。
こんなものは、当然幼児に飲ませてはならない。
あとになって、どういう病気になるか分かったものじゃない。
でも、ペットボトルの水にも限りがある。
売り切れてしまうという問題以前に、やがて製造メーカーも汚染された水を製品に止む無く使わざるをえなくなるからだ。
全てが汚染されれば、汚染水で製品を作る他ないではないか。
しかし、私たちはいったい何処に逃げれば良いというのだろう?
そんなことは、事実上不可能ではないか!
それでも、政府の偽の安心宣言をせめてもの慰みとし、沈黙し続けるほど、私たちは死んではいないだろう?
いま、出来ること。
即刻、稼働中の全原発を止めること。
停止中の原発も含めて、すべての原発を廃炉にすること。
マスコミに乗り込んで情報詐欺を止めさせること。
全国民に真実を知らしめること。
東電・政府・原発推進議員・官僚・マスコミの一体型癒着の悪を徹底的に残らず洗い出し、一人ひとりを裁判にかけること。
この期に、これまでの利権にまみれて人間の尊厳をないがしろにし続けてきた、この国の「在り方」自体を、私たちの手で創り直してみせようじゃないか。
国も、そんな幻想の空魂を守ろうとする軍隊も必要ない。
私たちは、そんなもの一切合財無くても、生きていけるのだ。
利権も派閥も政党も、金も名誉も、他人の犠牲の上に成り立っているこれらのカラクリ一切に背を向けて、執政者として真実のほかに何も欲さない人が、一人一人、みな自主的に、長など置かずに、無給か僅かな給金で「自らよりも、まず他のために」立ち上がることが、元来の自発政治というものなのだ。
私たちは国に対して、真実を知る「権利」があり、
また、国・電力会社・マスコミ・政治家・官僚らの責任を糾弾していく「義務」がある。未来の子供たちのために。
それは、この国に生まれた民の宿命でもあるのだ。
日本国憲法に明記されている「知る権利」を得るために
ー恐らく、今まで一度たりとも満たされることなかったこの権利を得るために
私たちは、巨大な利権集団に対して戦いを挑む「義務」があるのだ。
それは、私たちが真に安心して暮らしていくために必要不可欠なことなのだ。
知る権利とは、すなわち私たちの生存権でもあるのだから。
ことは、国と電力会社だけの問題ではないからだ。
この国を覆いつくしている、何重にも入り組んだ巨大な悪と闘わねばならないのだ。
なんたって、奴らは法律さえ都合のいいように「改訂」できるのだから。
いままで私たちは何時だって「沈黙」を強いられてきた。
しかし、私たちの堪忍袋の緒はあの大戦を経てもまだ切れずにきた。
あるいは、それは有史以来、為政者が民に暗に強要する世界的な権力かもしれない。
しかし、そんなものはあって無いようなものなのだ。
権力とは、案外脆弱なものだからだ。
国民一人一人が立ち上がれば、あっけなく崩れ落ちるだろう。
搾取する側は何時だって、搾取される側より圧倒的少数であるのだから。
だから、税金なり年貢なりで搾取人は満たされることができるのだ。
関東大震災
http://www.ustream.tv/recorded/13441127
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この若者は立派だ。たった一人、国家の犬の警官に取り囲まれながら、声を張り上げている。悲しいかな、警棒を持って威嚇的に構えている警官もまた人間なのだ。どうして、彼らは好んで番犬であることを選ぶのだろう?この国が原発で滅んでしまえば、給金や保障など原発と一緒に吹っ飛んでしまうというのに。結局、個人の問題なのだ。個人として、自分自身に正直になれるかなれないかなのだ。そして、この国、あるいはこの世界の未来はそこにかかっているのだ。
彼をキリストにしてはいけない。
一人だから反逆者にされてしまうのだ。
私たちも到る所で声を上げていけば、それが大変力を持つに至るのだ。
権力者はそんな私たちを、もはや反逆者呼ばわり出来なくなるだろう。
かつてキリストは、彼を貶めてやろうと画策してやってきた取税人の、税の取り立てに対してこういった。
「あなた達のものでしょう?持って行きなさい。どうして、私にそんなことを聞くのだ?」
それをきいて、取税人はびっくりして、すごすごと金を取って引き返して行ったそうである。取税人は反逆者キリストが税金を払わないだろうと見込んで、彼をひっ捕らえる口実にしようとしたのだが、彼の「これは私の金ではない。あなたたちのものでしょう。」という言葉に撃退されてしまった。
つまり、彼はこう言ったのだ。
「金は、あなたたち国家が勝手に価値として作り出し、それを国民として民一人一人に使わせ、流通させることにより、私たち民を支配しようと目論んでいるのでしょうが、私たちはその手には乗りませんよ。なぜなら、私たちは「そんなもの」がなくても、生きて行けるからです。私たちの生活は、その仕事を金に換金して、その一部をあなた達権力者を生かす為の労働として成り立っているのではありません。私たちは、私たち自身のためにのみ、生きるのです」と。
デモでもなんでもいい。
いま私たち、一人一人がやれることをやっていきましょう。
声を、上げていきましょう。
あ奴らに、私たちに声がちゃんと備わっていることを知らしめてやりましょう。
それ以外に私たちの道はないのだから。
※賛同していただける方は、あちこちにばら撒いてください。共に闘ってゆきましょう!
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