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今回の事件で、「御用学者」「原子力村」と呼ばれる人々が、大学教授といった「地位」や「豊かな暮らし」のために、原発の危険性を語らず事実を隠蔽していたということが明らかになりつつある。その逆に真実を語った学者は組織において冷遇されてきたということも明らかになった。(京大 熊取6人衆など)
なぜ、東京大学などといった、日本における最高の学府に携わる者たちが、結果として、わが国を未曾有の危機に陥らせることに結果として加担したのかは、今後、十分な検討を要すべきことと考える。
しかし、こういったことは、歴史上幾度となく繰り返してきたことではないだろうか。少なくとも、今から2000年ほど前、ローマ帝国によって属州とされていたパレスティナにおいて「彼」が見た光景と、今我々が直面する現実に共通するものがあるように思われる。以下、新約聖書より一部抜粋する。
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「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣を着て歩くことや、広場であいさつされることや、また会堂の上席、宴会の上座を好んでいる。また、やもめたちの家を食い倒し、見栄のための長い祈りをする。」 (新約 マルコ 12−38)
「あなたがた律法学者も、わざわいである。負い切れない重荷を人に負わせながら、自分ではその荷に指一本でも触れようとしない。」
「あなたがた律法学者は、わざわいである。知識のかぎを取りあげて、自分がはいらないばかりか、はいろうとする人たちを妨げてきた。」 (新約 ルカ 11−46〜)
「この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりも利口である。」
(新約 ルカ 16−8)
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「律法学者」というのは、当時のユダヤ社会において、形式的儀礼に堕していた知識階層と表現して差し支えない。いずれも、現時点で明らかなのは、なんらかの制度・システムにおける、「心」を失った「形骸化」という点で共通しているように思われる。
ちなみに私は危機的状況に乗じてキリスト教を布教しようとしている者ではない。わたしにとって「彼」は、ある状況においても真実を語ることをやめなかったために殺害された義人であり、神と等質とかいったわけのわからない解釈などとは無関係だ。
なお、仏陀が入滅するときに「自灯明・法灯明」の教えをされたという。とらわれのない明澄な思考(法)をもとに自らが思考し現実に対処していくべきであるとの教えと考える。今の我々にとっても参考になる教えではないかと思う。
「御用学者」たちが、良心と引き換えに獲得していた、「名誉」と「豊かな暮らし」を、一度として渇望しなかった者は稀であろうと思う。そういう意味では、彼らの問題は我々の「心」の問題ともいえる。
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