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南相馬、去るも覚悟 残るも覚悟 避難バスの内と外
http://www.asahi.com/national/update/0325/TKY201103250226.html
2011年3月25日12時59分 :朝日新聞
福島第一原発から20〜30キロの地域の自治体に対し、政府が住民の自主避難を促すよう要請した。福島県南相馬市では、食料やガソリンが届きにくく、住民の困窮が深刻化するなか、市の避難バス5台が25日午前、計142人を乗せて群馬県草津町に向かった。
同市には(1)「避難指示」の半径20キロ圏内(2)「屋内退避指示」の半径20〜30キロ圏(3)指示のない30キロ以上――の地域がある。これまで人口約7万人のうち約5万人が県内外に避難。指示が出た後、市内のスーパーやコンビニエンスストアが閉まるなど物資不足が続き、桜井勝延市長は(2)(3)の住民にも自主的に避難するよう促してきた。
バスは市内5カ所から出発。その1カ所、鹿島中学校前では大型観光バスに20人が乗り込んだ。
同市鹿島区に住む阿部豊さん(50)は、バスに母のアヤ子さん(88)と妻の由美子さん(50)、長男太輔さん(25)の3人を乗せ、見送った。「勤め先の建設会社の事務所は屋内退避地区にあり、今は仕事はないが、復興が始まれば仕事ができる。南相馬の復興のために残ることを決めた。家族が一時的に離ればなれになるのはしかたがない」と目を赤くした。
避難所で暮らす森由美子さん(42)は子どもたちと一緒に涙を流して知人を見送り、手を振った。「みな避難所で家族のように暮らしてきた。それぞれの決断なので仕方がない。大黒柱の夫が南相馬に残ると決めたので、私たちはついていく」
市は16〜20日の5日間で約4700人をバスで送り出している。24日には市内9カ所で住民説明会を開催し、「(避難バスは)今回が最終なので可能な限り避難を」と呼びかけていた。
同市鹿島区での説明会には、避難所となっている中学校の体育館に約300人が集まった。「手荷物は着替え、当座のお金など必要最小限にとどめてください」「飼い犬はえさと水を十分与えてつないだままにしてください」などと注意事項を書いた資料が配られ、職員が「自らの判断で決めてほしい」と説明。住民からは「残る人のためにしっかり行政を組織して」との要望が出た。
説明会の後、避難を決めたのは300人中11人。測量会社員の遠藤政秀さん(55)はいったん横浜市の親類宅に避難し、戻ってきた。「避難先に長期で世話になることは避けたい。食料は自分で調達できる。母親もまだ見つかっていないから捜したい」と残ることを選んだ。
一方、一人暮らしの加藤邦男さん(76)は避難を決めた。「ずっといた場所から離れるのは寂しいが、1人で残っていると周りのみんなに迷惑をかけることになるから」と語った。(矢崎慶一、岩崎賢一、下地毅)
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