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コメント::何かと阿修羅で話題のグリンピースのホームページに面白い記事を見つけました。
グリンピースの活動については私は評価しないが、記事としては分かりやすいので転載する。真偽はご自身で判断願いたい。
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http://zerowaste.jp/campaign/nuclear/news/mayak
「ロシア・マヤーク再処理工場:核惨事の半世紀」---(グリンピース・ジャパン)
「高レベル廃液爆発事故」
1957年9月29日、ロシア・南ウラル地方にあるマヤーク核施設で、施設内のタンクに貯められていた高レベル放射性廃液が爆発し、大量の放射能が環境中に放出された。
冷却機能の故障で、廃液の温度が上昇したことが原因とされる[注1]。
廃液は同施設内の再処理工場で発生したもので、使用済み核燃料に含まれる放射能のほとんどが溶け込んでいる。
事故は旧ソ連の生物学者ジョレス・メドベージェフが亡命先の英国で告発、「ウラルの核惨事」として知られる[注2]。旧ソ連政府はメドベージェフの指摘を否定し続けてきたが、1989年、ついに事実と認めた。
1990年に公表された報告書によると、この爆発による放出放射能量は約2100万キュリー(7.8x1017ベクレル)で、ストロンチウムの濃度が、1km2当たり0.1キュリー(3.7x109ベクレル)以上にのぼった地域は、およそ23,000km2(青森県と岩手県の合計をやや下回る面積)にもおよび、その風下に位置していた217村落27万人の生活圏が汚染された[注1]。
そのうち高濃度(1km2当たり2キュリー以上)の汚染地域はおよそ1000km2で、そこに住む23村落1万700人が移住させられた[注3]。高濃度汚染地域の多くは、50年を経た今でも、立ち入りが制限されている。
「マヤーク核施設:汚染の歴史」
マヤーク核施設は核爆弾製造を目的に設置された。1949年、ソ連は核実験に成功、米国に続く核兵器保有国となったが、その核爆弾に使われたプルトニウムは、この施設で生成・抽出されたものである。
現在、同施設には再処理工場(軍事用は廃止、民生用RT-1が稼働中)をはじめ、ガラス固化施設、MOX燃料加工パイロット施設、原子炉(既に廃止)、高速増殖炉2基(建設中)などがある。RT-1再処理工場は1976年より、旧ソ連や東欧諸国などのソ連製発電用原子炉から送られてくる使用済み核燃料を再処理している(表3参照)。
同工場の処理能力は年間最大400トン・ウランだが、現実には140トン・ウランしか扱いきれていない[注4]。
放射能の大量放出は、爆発事故だけではない。
マヤーク再処理工場は、50年代半ばまで、高レベル廃液を含む全ての放射性廃液を、近接するテチャ川や湖、人造湖に垂れ流してきた。この垂れ流しによって、川や湖を利用してきた住民に加え、日照りなどで放射能を帯びた土埃が広範囲に飛散したために、公表されているだけでも、166,000人に被害が及んだ[注1]。
グリーンピース・ロシアは、2003年、テチャ川で採取した魚試料の放射能濃度を測定した。その結果を表1に、ロシア連邦の「放射線安全規則」と「放射性物質および放射線源に関わる作業衛生基準」を表2に示す[注5]。
テチャ川周辺には、現在も7000人が暮らしている。ムスリモボ村(地図2 参照)など、高濃度汚染地域の住民にたいし、なぜ移住が指示されなかったのか、いまだ不明のままだ。2007年5月、ロシア原子力庁(ロスアトム)は住民の移住計画を発表した[注6]。しかし資金難などから進んでいない。
再処理で発生する大量の放射性廃液
ロシア原子力庁は外貨獲得のために、海外からの再処理委託を拡大する方針だ。
再処理によって発生する放射性廃液は、使用済み核燃料1トン・ウランあたり;
高レベル放射性廃液 ― 45m3
中レベル放射性廃液 ― 150m3
低レベル放射性廃液 ― 2000m3
とされる[注7]。2001年までに再処理した海外分の使用済み核燃料はおよそ1542トン・ウランである[注8]。表3に再処理で発生した放射性廃液の推定量を示す。
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